「タイでは布施のお金を投げるのはありえない。でも、どうして日本の神社の参拝者は賽銭を投げるの?」という学生の疑問と意見。



「タイでは布施のお金を投げるのはありえない。でも、どうして日本の神社の参拝者は賽銭を投げるの?」

信仰の授業で話題になった。


確かに、タイでお布施をするとき、僧侶にお金を投げて渡すなどありえない。

失礼だからだ。

でも、日本の神社では、賽銭は投げ入れられている。

なぜ、日本では失礼ではないのか。

素朴な疑問である。


そこで家で、参拝者が賽銭を投げる理由を考えてきてもらった。

その答えの一部がこれだ。


 ・お金を投げることで音が鳴る。それで、神を呼ぶ。

 ・お金は欲の象徴。だから、それを投げることで、自分自身が清浄になる。

 ・お金は穢れを吸収してくれる存在で、それを投げることで穢れを祓うことに繋がる。

 ・お金自体が、まさに穢れであり、それを祓うために、投げる。

 ・我々の世界と、神の世界に横たわる境界を飛び越える方法として、投げる。


学生の幅広い答えに、どれも「なるほど〜」と感じた。

お金を穢れや欲の象徴と見る、というのはタイらしさを感じる。

また、境界を飛び越える方法として投げるというのは、とても興味深いものがある。


何れにせよ、タイの文化との比較による何気ない疑問から、そこまで考えついて。

学生の柔軟さは面白いものだ。



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