タイ研究の碩学で世界的人類学者の田辺繁治 名誉教授に初めてお目にかかったのは、もう10年ほど前のことだ。
チェンマイ大学日本研究センターにてご挨拶させていただいた。

学生の頃から、先生の北タイの精霊信仰についての本は何冊か読んできた。
正直いって「本の中の人」という感じだったので、「おー、リアル田辺先生」なんて思ったものである。

先生には、それから大変お世話になってきている。
日本研究センターの仕事も色々とご一緒した。
博士論文提出までの戦略も、一緒に練っていただいた。
原稿にも目を通していただき、有益なコメントをいただいた。
先生がもしチェンマイ大学にいなかったら、論文完成まで至らなかったであろう。

プライベートでも、よく食事に行かせていただいている。
研究に関しては目の奥に並々ならぬ厳しい光をもつが、普段はいつも笑顔で美味しそうにサバを召し上がっている。
「タイの方がうまいんだよな」
そう笑っている。
謙虚で、明るく、僕ら家族のことをいつも気にかけてくださっている。

そんな田辺先生の最終講義・セミナーが先日、チェンマイ大学社会科学部にて行われた。





先生は2026年3月をもってチェンマイ大学をご退官し、日本に本帰国される予定だという。

セミナーには、タイ人の先生が多く集まった。



チェンマイ大学社会科学部のチャヤン(Chayan Vaddhanaphuti)先生、チュラロンコーン大学名誉教授のスリチャイ(Surichai Wun'gaeo)先生が、挨拶やコメントの役を担っていた。
他にもセミナーには、錚々たるメンバーが集まっていた。

皆さんは田辺先生の研究のお話を聞くと共に、かつてお世話になったことや感謝の気持ちを述べた。
自分たちがあるのは田辺先生にいっぱい助けられたからだ、と語っていた。
多くの先生たちが師と仰ぐ田辺先生を囲んで、最終セミナーは温かく終わった。

タイ研究に携わって60年。

こうして多くの人に知と影響を与え、多くの人に感謝される先生。圧巻だ。
僕もチェンマイ大学に来て10年。先生とご一緒できて、研究内容や姿勢について大きな刺激を受けた。
何より先生とのかけがえのないチェンマイ時間をいただけたことが、本当にありがたいことだった。

タイ人の先生方の話を微笑みながら聴いている先生の姿をみて、「こんなふうに年とるの、いいなぁ」と、うらやましく思った。



日本研究センターからも、お礼を込めて花束を送った。
「わざわざ来てくれてありがとう」
先生はそうおっしゃった。
お礼をいうのはこちらの方である。いくら感謝してもしきれないものだ。

今、先生は日本に一時帰国されている。
でもまたすぐに、本帰国準備のためにチェンマイに戻ってこられるとのこと。
その時は、センターメンバーで食事をする予定だ。

さらに、先生と僕ら夫婦とで、ラオス・ルアンパバーンに行く計画もたてている。
今の国際情勢もあるので様子を見ながらにはなるが、うまく実現できればありがたいことだ。
超プロフェッショナルとまわるルアンパバーン。超贅沢。楽しみだ。



「なんかこのリサイクル回収ボックス、後ろが簡単に開くけど大丈夫かな」

妻とそんな話をしながら、古くなったPCやiPad、スマホをボックスに入れた。

場所はチェンマイの大型デパート。


長年、研究や生活を支えてくれたPCやスマホたち。

もう、古すぎて売ることももちろんできない。

バッテリーが膨張してしまったものもあり、適切な回収ルートに乗せるためにアップルに持ち込んだが、タイでは引き取りのサービスはやっていないという。


代わりに提案されたのが、近くに設置されているリサイクル回収ボックスだった。

不安は募るが、全てを回収ボックスに入れた。


用事を済ませてわずか20-30分。

再びボックスの前を通ると、iPhone4だけを残してPCやタブレットが綺麗さっぱり消えていた。


「業者来た?早くね?え、でもどうしてPCだけを?」

極めて嫌な予感。

大半は初期化したが、電源の入らなくなったものはそれができていない。

誰かが持ち出しとしたら、気持ち悪い。


すぐにインフォメーションへ向かった。

時刻は20時過ぎ。営業終了が迫る時間帯だったが、受付の方は事情を察し、すぐにセキュリティへ連絡を入れてくれた。

「カメラを確認して、明日必ず連絡します」

なんだか落ち着かないが、帰宅。

AIさんからの指示で、その夜はiCloudから遠隔消去の予約をかけた。


翌日、約束通りデパートから電話が入った。

結論から言うと、端末は無事に見つかり、回収された。

ボックスの近くにある店舗のスタッフが、僕らが去った直後に持ち出していたのがカメラにがっつり写っていたらしい。

デパート側は即座にその会社に連絡。厳重注意の上で、全ての端末を回収してくれたのだ。


「現在はデパートが責任を持って保管しており、このままリサイクル業者へ渡します。何か持ち出した人のいる会社に言いたいことなどありますか」

とのこと。


おそらく、あまり深い意味を持たずに持ち出したであろうスタッフ。

もちろん良くないことだが、とんでもなく怒られただろうと思うとなかなかに不憫である。


「別に特にないです。ちゃんとリサイクルに回してもらえれば大丈夫です」

「そうですか。この度は誠に申し訳ございませんでした。今後このようなことがないように注意します。申し訳ございませんでした」

何度もデパートの方に謝られた。


「あなたは別に悪くないんだよー」と、妻と言ってやりたかった。

単に紛失として片付けるのではなく、防犯カメラを遡り、身内とも言えるテナントスタッフに対しても厳格に対処。

誠実な対応にむしろ感動したよー、と。

デパートの素晴らしい対応はとてもありがたいものだった。


なお、余談だが売れるiPhoneは売った。

また、使えるけど売れないものは仕方ないので回収ボックスにいれようとしたら、「山に送る」とその店の人が引き取ってくれた。

ありがたかった。


最後に一応載せておくと、リサイクルに出す前に駐車場でとった写真がこちらである。





ノートブックを広げてさらに色々な角度から撮影しようとしたら、意味がわからんと妻に言われた。

なんだか名残惜しかったが、機材たち、これまでありがとう。


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タイの卒業式は一大イベント。卒業生の家族が総出で大学に来る。



式の様子をモニター越しに皆で見る。
大学内の芝生にゴザを敷いて、卒業生が戻ってくるのを待つ。
家族皆さんにとって、極めて大事な式なのだ。

僕は卒業式には出なかったが、卒業アルバム用の写真撮影だけは行ってきた。
1学年に学生は7−8千人はいると思われ、その撮影だけでも大変なイベントである。

僕の所属する人文学部は朝5時集合。気温15度くらいの冷えるチェンマイで、大学の特設撮影会場に向かった。



いくつかの特設ステージが並び、そこに学生が並んで待機している。
僕はAのステージで、この写真でいえば1番右にチョコンと座っている。

完全に夜明け前だが、出来上がりはおそらく昼間のように修正されるのであろう。
僕は卒業アルバムを見たことがないので、出来上がりは不明だ。



全体撮影のあと、人文学部から来ていた教員数名でも撮影した。
僕が着ている紫のものはチェンマイ大学のガウンで、レンタル。
紫以外のガウンを着ている先生方は、自分の卒業した大学のものだろう。とにかくカラフルだ。

この撮影から数日後に卒業式が行われ、無事に終わった。

僕の大学の卒業式はもう24年も前のこと。武道館で行われた。
中高から大学に進んだ僕にとっては、久々に昔ながらの友人に会う機会で、式そのものの記憶は薄い。
とにかく、式場が騒がしかったのを覚えている。
タイの厳粛な卒業式とはまるで違った、秩序も何もないものだった。

祖父母が卒業式を見に来てくれたのを覚えている。
「なんだか、みんな携帯電話で話していて、騒がしかったね。今の時代はそうなのかね」
そんなことを言われた気がする。
わざわざ見に来てくれたのに、なんだか申し訳なく今になると思う。

家族に対して卒業の節目をしっかりと見せ、そしてそれをしっかりと皆で喜ぶタイ。
そのほうがいい思い出になるに決まってる。

学生のみなさん、卒業おめでとう。
どうか、大志を抱け!
(人がいない時を見計らっての、自宅エレベーター前にて妻撮影)




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子供の頃から、飛行機に妙に興奮する。

免許を取った頃は、よく友達と城南島に行って飛行機の離着陸を見ていたものだ。


実はチェンマイには城南島、いやそれ以上の近さで見られるところがある。


運転免許を扱う陸運局の前。免許の関係でそこに行けば、驚かされるであろう。ものすごい近さを飛行機がかすめるのだ。

目の前にある歩道橋に登ろうものなら、マイケル・ジョーダンくらいであれば届くのではないかと錯覚を覚える。


去年の年末、父母がチェンマイに来てくれた。

僕と同じく、いや僕以上に無類の飛行機好きの母をそこに連れて行った。


近くのガソリンスタンドに車を停めて家族で歩いた。

マイケル・ジョーダンのことは伝えてあったが、さすがに母も半信半疑。

その時、轟音と共に一機の飛行機が我々の頭上近くを通過した。

母は大はしゃぎ。急いで歩道橋に行った。


歩道橋にはタイの若者2人が座っていた。そこで飛行機の着陸を眺めていたのだ。

我々も座って待った。そして、5分から10分に1本ぐらい飛行機が降りてきた。

そのたびに母は「来た!来た!」と写真を撮った。




何とも言えない夕方のひととき。この場所はおすすめだ。

あなたが無類の飛行機好きならば、ビールでも飲みながら、1日過ごすことができるであろう。ちょうど、相撲を見に行く気分だ。


母は生まれ変わったら飛行機の仕事に就きたいという。

僕も実は小学校低学年くらいまでパイロットになりたいという夢があった。

おじいちゃんやおばあちゃんに「パイロットになったらただで乗せてあげるね」なんて無邪気に言っていた遠い日々。近視はつらい。


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気づけば新年。

去年の1月にブログをアップしてから、あっという間に1年経ってしまった。おかげさまで一家みな元気です。


去年は中高時代の友人に数十年ぶりに会ったり、仕事を一緒にしたりして、なんとも刺激的な1年だった。

その辺のことは、後日改めて(来年にならないよう努めます)。

まずは、正月らしく飲みのことを書いておこう。


去年11月。かれこれ10年近くずーっとお世話になりっぱなしの共立女子大の先生から、「今、チェンマイ大学にサバティカルで1年いる先生がいまして、その人、絶対に若曽根先生と合うから紹介するためにチェンマイに行きたいです。講演招待のレターを書いてもらえます?」とご連絡をいただいた。


もちろん、即OK。僕も共立女子大で講義をさせてもらい、かわりにその先生にチェンマイ大に来ていただいた。そして、先生をご紹介いただいた。


その先生のニックネームはピーガン。

ピーガンとは異常なほどに共通点が多かった。

20年前に住んでいたバンコクのアパートは目と鼻の先だった(時期は少しずれていたが)。

遊んでいた場所もほぼ同じだった。

好き嫌いや考え方、教員になるまでの経過も似ていた。

ということで、11月に初めて出会ってから頻繁に飲んだ。

「この店、バンコクのランナム通りっぽいですよね」なんて話しをして。


そして正月は我が家で飲むことに。

20年前のように「若さいっぱい夜中まで」とならないように15時から始めることにした。





鍋やおかずを食べながら、ビールに日本酒、ウイスキーと飲んだ。

「このささみフライは無限に食べられますね」とピーガンはおっしゃった。

「そのセリフ、いつも旦那も言ってますよ」と妻が言った。


そう、ささみフライは子供の頃から無限に食べられると踏んでいる。

大葉とチーズ、そして梅肉が豊かな味を生み出す。

40半ばを過ぎれば、ウイスキーが進む。


ささみを貪りながら、3人で大いに語り合った。

未来のことを語るのは楽しい。

もしかしたら歴史的な1日になるかもしれない構想で盛り上がった。

ワクワクだ。


はっと気づけば23時。かれこれ8時間飲みっぱなし。

飲みの体力。ささみの無限食い。

我々、「20代の頃と同じ」とまではいかないが、まだいける。


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バンコクのサイアム弓道会(SKK)による年末28日と29日のセミナー。


丸二日にわたる充実したセミナーの終わりにあたって、SKKとチェンマイ大学弓道部のメンバーがホフ先生を囲んで円座になった。そこで一人一人が、この2日間の感想を述べていった。


全員が一通り思いを述べ、ホフ先生が話を始めた。そして、最後に思いがけない申し出をいただいた。


「……実はチェンマイに行くんです。そして、1月2日と3日はフリーなので、どちらかの日にチェンマイ大学に行って稽古をつけてあげましょうか」


我々はもちろんお願いした。



3日朝、学部の車に乗って先生のホテルまでお迎えにあがった。この前の弓道着姿とはうってかわり、ジーンズにポロシャツときわめてラフ。しかし、やはり弓道や柔道、剣道、合気道などを全て習得した師範。姿勢がとても正しく、どこかただものではない雰囲気を感じさせる。


先生と車の中で色々と話をしつつ、大学のアーチェリー場も案内、日本研究センターに着いた。弓道部の顧問はセンター所長が、副顧問はセンター副所長、会計事務はセンターの専門職員がやっているからだ。


センター前で記念写真😆



センターの中を簡単にご案内。センター図書室には13,000冊以上の日本関係の本が所蔵されていてOPACで検索ができること、センター内の教室では大学院生や学生の授業が行われること、また毎週水曜日には書道や生花、茶道、折り紙、百人一首かるたの文化活動が行われていることなどを説明した。


先生は日本文化に興味を持っておられるので、とても真剣に聞いてくださった。


そのあと、センターの前にある50周年記念ホールへと向かった。ここが今日のホフ先生による特別稽古の会場だった。15名ほどの学生がすでに集まって、先生を待っていた。


先生はスタスタと学生たちの方に向かうと、すぐに3列に並ばせた。


「礼!」


何も話すことなく、唐突に稽古を開始された。




年末にセミナーに参加した学生は「これ、これー」といった嬉しい気持ちだったろうが、初めての学生は驚いたようだ。


副学部長らもまず簡単に挨拶をする予定だったが、それも行われることなく稽古に入った。副学部長は「日本の伝統って感じでいいですね」と言った。


学生は、真剣に先生の英語に耳を傾け、ご指導にしたがった。足踏みや、フォームの方法から弓の扱い方まで、先生から幅広く教えていただいた。



喉から左手の先端までの長さを、矢で測った。この長さが、矢を放つときの構えの歩幅になる。これが一番安定するのだ。学生たちは皆でチェックし合いながら、真面目に応えた。


午前で3時間近く、ランチを挟んで午後にも1時間以上にわたり親身に教えてくださった。学生も頑張って英語で質問を繰り返し、先生はその全てに答えてくださった。




世界各国で稽古をつけている先生。とても丁寧でわかりやすいご指導をいただいた。




贅沢な時間。発足して1ヶ月ほどの学生にとって、なかなかできない貴重な経験になったと思う。




先生をホテルにお送りする車に乗り込むとき、

「先生、本当にありがとうございました」


キャプテンと副キャプテンが日本語で言った。先生も少し日本語がわかり、日本語で返した。

「弓道、がんばってください」

「はいー。先生も、またきてねー」

なぜか、学生はタメ語だったが、先生は喜んでいた。



「学生は素直でいい子が多かったから、今後が楽しみですね」

そうおっしゃってくれた。嬉しかった。


「では先生、またお会いする日を楽しみにしてます。本当にありがとうございました」

そう言って、ホテルでお別れした。まだできたばかりの弓道部。しかし色々なイベントがあって、幸先のいいスタートを切った。



これから毎週、1−2回ペースで練習が行われる。どれほどの学生が地道な練習に耐えられるかわからない。それでも、いつか環境の整ったチェンマイ大学弓道部から、矢の放たれる音が聞こえる日がくること、待ち遠しいものである。


ただその前に顧問として、さらなる道具購入の予算探しに奔走しなければならない。キャプテン・副キャプテンを連れて、援助してくれるスポンサーを探そうかと画策している。

まあ、これからも乗り越える壁はあり大変そうだが、それ以上にワクワクもしている。



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チェンマイ大学弓道部が、タイ国内の大学のなかで初めて創設された。できるまでの過程は前回の記事の通りだ。


とはいえ我々は素人の集まり。まずは、きちんと稽古している様子や弓道環境を実際に見てみたかった。


そこで目に止まったのが、タイ・バンコクで10年以上の歴史を有す弓道会、「サイアム弓道会(SKK)」による特別セミナーだった。12月28日・29日の2日間にわたって、ドイツ弓道連盟名誉会長フェリックス・F・ホフ先生が特別稽古してくれるものだった。


早速SKKに連絡をとり、チェンマイ大学に弓道部が新設されたこと、そして年末のセミナーを数名が見学させてもらうことができるかどうかを尋ねた。SKKは弓道部新設を喜び、セミナー見学も快諾してくれた。


部長・副部長に話をした。

「これはいい機会。僕はセミナーに行ってみようかと思う。行ける学生も、参加してみたほうがいいと思うよ」


「えー、行きたいです。でもバンコクで2日間だと、色々とお金が…」


「ふっふっふ。実は、学部は学生ひとりひとりに対して、こうした校外活動に対する予算をとっているんよ。セミナーとか何かの大会とかに参加する場合、学生は申請できるよ。それでもし学部の審査を通れば、上限5000バーツもらえる。その方法に詳しい先輩がいるから聞いてみな」


「えー、そんな方法があるんですか。それなら行ける人も多いかもしれません。聞いてみます!」

こうして、10人ほどの学生がバンコクに行くことになった。


SKKに特別セミナー参加を正式に申し込んだ。SKKの方はとても親切で、年末のセミナー前にSKK会長らを交えて、zoomでミーティングをしようという提案もしてくださった。チェンマイ大学弓道部からは部長と副部長、そして顧問の僕が参加した。


なぜ弓道部を作ることになったのか。今後、チェンマイ大学弓道部はどのようなことを目指しているのか。セミナーにどのようなことを期待しているのかなどが話された。それに、弓道部に役立つ本や動画、道具などの情報を共有してくれた。


SKKには西洋の方もいたので、タイ語だけでなく、英語も使われた。その中で部長と副部長は頑張って受け答えをした。これはバンコクでも心配ないな、と思った。


そして事実、ふたりはしっかりと準備からセミナー当日まで仕事をした。ホテルや夜行バスの予約、SKKとの連絡もこまめにとった。事前に勉強会やゴム弓を使った練習を行い、その熱量に引っ張られるように、他の学生も真面目に取り組んだ。こうして彼らは学部からの5000バーツもとって、バンコクに向かった。



僕はセミナー当日にバンコクで合流した。心配していた学生の遅刻もなく、彼らは真面目だった。SKKの方達による射的を目の前でみて、感動していた。ホフ先生の英語による指導にも皆積極的に参加した。目を輝かせていたのが印象的だ。


SKKの方達もゴム弓を頑張る学生たちに優しく指導してくれた。弓道はただかっこいいというものではなく、型の反復と精神が重要であることを叩き込んでくれた。弓道に終わりはないことを教えてくれた。





朝から夕方までびっちりと練習した2日間のセミナーの終わりには、SKKの方達とすっかり部員は仲良くなっていた。


「またいつでもSKKにきてね」


「チェンマイに行ったら、弓道を一緒に稽古しようかな」


などと、SKKの方達は言っていた。





僕は2日間を通じて、学生が自主的に、積極的にやっている姿を目の当たりにした。学内だけでは見えない姿だった。学生たちはとても楽しそうだったので、弓道部を設立してよかったと思った。とにかく前進することで、少しずつ得ていくという刺激をもらった。




セミナーを後にする時、部長が言った。


「先生、ホフ先生は稽古の始めと終わりに神前に向かって『礼!』と言ってたじゃないですか。だから、私たちもあれを取り入れたいと思います」


「えー、ちょっと恥ずかしいな」

他の学生が言った。


「いいから、いいから。みんな、ちゃんと円になって」

10人で円陣になった。


「礼!」


部長は大きな声で言った。皆で頭を下げた。SKKの方達は半笑いでその様子を見ていた。ちょっと僕も照れくさかったけど、「学生は元気でいいな、これが初めの一歩だな」と思った。



2日間のセミナーでの学生のひたむきな姿。ホフ先生はどうやらそれをちゃんと見ていてくれたらしい。それから数日後にチェンマイ大学に来ることになるのだ。それはまた続き。


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