「できればもう一度、一緒に酒を呑みたいもんだなぁ」って。



今日は父方の祖父の一周忌。

昨日、岐阜にて法要を終えたところである。



で、お気楽な我が家は、どうもそこで供養を終えたような気になってしまったのだろう。

本命日だというのに、今日の夕食後までそのことをすっかり忘れ、線香どころか、遺影前に供える水の取り替えすらしていなかった。

まったく、ひどい話である。

(こう書くと毎朝水を替えているようだが、どうも父母の話を総括すると、実際は週3〜4日しか取り替えていないらしい。これまたひどい話だ。笑)



「ま、そんなもんだわな…笑」

祖父に言われそう。

そろそろ夢枕にでてきそうだ。

「いかんいかん」と、今日は水の代わりに酒をつぐ。




祖父と父、僕の分の酒が机にならんだ。




クイっと酒を飲み干しつつ、線香から立ち上る煙を眺める。



僕が小さな頃から祖父に言われたこと、祖父の電話越しの声、歌う様子(80を過ぎても、祖父は現役の歌の先生だった)、別れ際の笑顔…

いろんなことが思い出される。



病室で祖父の手を握りながらうたた寝したあの日が、つい先日のようだ。

あの日から数日後、祖父は他界し、あれよあれよと言う間に一年が過ぎてしまった。



祖父が亡くなったことへの実感は未だにない。

今でも祖父の家に行けば、「おう」と言って、微笑む祖父が居間にいそうな気がする。



でも実際今は、写真越しでしか、思い出の中でしか酒をともにすることはできない。

「ああ、一緒に呑んで話がしたいなぁ」って思う。

柄にもなく、涙がこぼれちゃいそうだ。(ま、実際涙もろいんだが)



祖父が生前、僕に言ったことの意味を、これから様々な場面でふっと気づかされることだろう。

「あのとき言っていたことは、こういうことか」って。

そういう意味では、今も祖父と対話中なわけだ。



ああ…

でもねぇ。

やっぱ一緒にこたつにでも入りながら、また一杯呑みたいねぇ、じいちゃん。




そんな風にしみじみと思う僕の横で、実家の2頭の愛犬のうち1頭がクワっ〜と寝ていた。

その寝顔を見ていたらなんだか少し穏やかにな気持ちになって、救われた気がした。




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2 件のコメント:

  1. 形式的なことをきちんとするのももちろん大事だけれど
    何気ない日でも、今は亡き人に想いを馳せる・・それだけで
    良いんじゃないかなぁって思います。
    Ryotaさんのおじいちゃん、きっと喜んでると思いますよ。
    私には早世してしまった友達がいますけど、離れてることも
    あり、お墓参りなどにはなかなか行けないのですが、時々
    悲しくではなく楽しかったことと共にその子を思い出すんですよ。
    それで良いかなーって。

    返信削除
  2. そうですねぇ。
    悲しみでなく、楽しいことと一緒に偲ぶ。
    それがいいなと、僕も思います。
    で、「またどこかで会えるといいな」って感じですね。
    他生の縁!

    返信削除