大学2年生、19才の頃。

生まれて初めてゼミに所属した。


あの頃は近世(江戸時代)の歴史や、考古学に興味があった。

それは学問としてではなく、単純に新撰組、あるいは京都の街並みが好きだったからに過ぎない。


ゼミを選択する1年生の終わり、近世史ゼミの先生に相談してみた。

先生は厳しくて有名な方だった。


「新撰組のことが好きなんです。あとはお寺とか城とか、なんというか簡単にいうと京都の街並みが好きなんです」

大学の勉強や研究というのは趣味の延長線上、くらいにしか考えていなかったこと丸出しの質問だった。


でも先生は優しく何かを答えてくれたと思う。

正直言ってその言葉は覚えていないものの、先生の言葉が後押しとなって僕は近世史ゼミに入った。


厳しいゼミで有名だったから、人数は少なかった。

他のゼミは学生20人以上なんてのもあったが、近世史ゼミは5人だけだった。

しかも全員男。むさ苦しいのなんの。

でもそのぶん結束は固くて、異常に仲が良かった。

(ちなみに翌年、女の子が1人編入できた。男だらけのムードに、さぞ驚いたであろう)


ゼミは卒論に向けての発表の連続だった。

何せ、卒論は原稿用紙100枚以上。(しかもなぜか手書き)

だから2年生の夏から発表が始まった。

2年生からやらないと、間に合わないのだ。


生まれて初めての発表。

まあ、親以外の人からあそこまで怒られたのは生涯であれきりだと、妙な自負心を持っている。


あれから20年くらい経っても先生は、

「後にも先にも、あそこまで怒鳴った学生はいないな」

と言って、爆笑する。


ただ叱られてから僕は、少しだけ真面目に勉強に取り組むようになった。

卒論もなんとか書き上げ、大学院にも進学できた。

大学院時代は先生の仕事の手伝いをしながら、いろいろと勉強させていただいた。


博士課程2年になってから、先生にタイに留学したいと相談した。

「これからの歴史学は、一国だけ見ていたってしょうがない。早く行ってこい」

そう、後押ししてくれた。タイとの関係はそこが起点となっている。


あれからなかなか先生と話す機会がなく、直近でお会いしたのは2年前の夏だろうか。

先生に会いに行き、それから寿司をご馳走になった。

研究のこと、仕事のこと、思い出話…

楽しい時間だった。


まさかこれが最後になるなんて、思っていなかった。

先生に伝えていないことが、たくさんある。

恩返しもできていない。

正直、今は愕然としている。


もう一度お会いして、あーだこーだと話がしたかった。

厳しくも、とんでもなく優しかった先生。

心から、ありがとうございました。


先生にもらった一言、一言が今も心に残っている。

本当に、たくさんの言葉が残っている。



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「あー、若曽根先生。久しぶりだね。覚えているよ。あれ、背伸びたね?」

僕が10年以上前にバンコクに留学していた際にお世話になっていた先生に、そう言われた。


先日、バンコクへの出張で、東洋大学のバンコクオフィスに挨拶にいった。

そこのアカデミックアドバイザーとして、先生がいらっしゃった。



先生は東洋大学で人類学のドクターを取得後に、チュラロンコーン大学で教鞭を取られていた。

定年退職後も、チュラやその他の大学で特別のご講義をされているらしい。


先生は僕の留学した大学院での指導教官だった。


僕はもともと日本の江戸時代の研究をしていたがタイが好きだったので、「日本とタイの比較史研究をします」と言って、タイに来た。

「サワディーカップ」しか、タイ語は知らなかった。


とりあえずバンコクに住んで、タイ語学校に半年通った。

その後、日本の大学の先生からの紹介で、なんとかチュラの大学院に入ることができた。


とはいえ当然、タイ語はまだまだで、授業は大変。

そして、どこを研究対象地域にしていいか、具体的に見えていなかった。


そんな中で指導教官だった先生の人類学のゼミでは、タイ東北部のフィールドワークが必須だった。




先生には、ローイエットやシーサケート、ムクダハーンの村に連れて行ってもらった。





特にローイエットは、それから頻繁に通うこととなった場所である。

家族ぐるみで本当にお世話になったものだ。


そして今でも、タイ東北部やラオスを研究フィールドとしている。

いわば、先生は研究のきっかけをくれた恩師なのである。



10年以上ぶりにお会いした先生は全く変わってなく、驚かされた。




先生のご著書もいただいた。




「それにしても先生、全然お変わりないですね」

「そう?ありがとう。若曽根先生は背が伸びたね」

先生から「若曽根先生」とか言われるとむず痒い。


というか、2度目。

そして、そもそも20代後半から40才過ぎの間に身長が伸びることはないだろう。

そう伝えると、先生は爆笑していた。

先生の笑顔と優しい感じを久しぶりに思い出した。


とても温かい面会だった。




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