「知り合ってもう1年だな。カンパイ」

友人は笑いながらドイツビールがなみなみと入ったグラスを持ち上げた。


早いもので友人と出会ってから1年も経った。

彼とはこの1年、カフェで『サピエンス全史』について話をした。(最近はなかなかできていないが…)

彼には時間を割いて英会話に付き合ってもらっているので、僕は授業料を渡そうとする。

しかし、彼は決して受け取らない。

「レッスンじゃないんだ。これは議論だから、お金をもらうことはない」

…男気がすごい。


彼はもともとチェンマイ市内の高校で英語を教えていた。

もう10年になるという。

しかし、その高校を3月に辞めた。

なぜなら、今年の4月から日本の大学で教えるはずだったからである。


しかし、新型コロナ。

それによって、日本にいくことができなくなってしまった。


彼は、日本に行く資金を貯めるために、チェンマイ市内の小さなゲストハウスに2年も住んでいた。

ただベッドがおいてあるだけの、窓もトイレもない部屋。

それも、日本へ行くためだった。


しかし、日本行きは延期となり、小さなゲストハウスの部屋で自粛生活が始まった。

「日本のビザがでたんだ」

そう笑顔で言っていた後におとずれた不意のコロナ。

この落差は大きいはず。

僕は心配だった。


「まるで独房で過ごした4月からの数ヶ月は、精神がおかしくなりそうだった。まあ、今となれば貴重な経験だったけどね」

彼は笑って、そう話す。

すごい精神力と前向きな姿勢の友人に、僕は感心しっぱなしだ。

きっと本当にキツいはずなのに、愚痴一つ言うことなく…本当に人格者である。


日本の大学の後期から仕事に行けることを希望していたが、結局それもダメだった。

今はチェンマイ市内で新たな職場を見つけた。

学校で英語を教えながら、日本に行ける4月を待っている。


そんな友人と先週、ドイツ料理を食した。

あーでもない、こーでもないと話をする。




ユーモアのある彼は、何かと冗談を言う。

これがアメリカンジョークっというやつか、と実感する。



「もう少し飲むか?」

二次会は彼が2年住んでいたゲストハウスに行った。

そう、彼は新しい仕事を始めたと同時に、引っ越したのである。


彼のかつてのカナダ人ルームメイト、ゲストハウスのオーナーも交えて飲んだ。

屋外の店は、お世辞にも綺麗とは言えないが、ムードがある。




「タイで日本人とアメリカ人がドイツ料理を食べて、その後にカナダ人やタイ人と飲む。なんだか不思議だな」

そう言って、友人は笑った。



僕はもうタイに、トータルすれば10年以上いる。

タイのほとんどのことが日常となり、当たり前になってしまった感がある。

でも、こうして皆と駄弁っていると、忘れかけてしまった異国にいることで生じる熱い気持ちみたいなものが、ふっと湧いてくる。

いろいろな背景を持った人たちが交錯する場の空気感が、そうさせるのだろう。

「いやー、やっぱいいなータイ!」って声を出したくなる。


そんな瞬間が、時々ある。

それが、たまらなく心地いい。





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日本研究センターの人類学の先生と時々、ご飯やコーヒーをご一緒させていただく。


先生は世界的に著名な方で、尋常じゃない博学さ。

先生からの話は面白いのなんの。


ラオスのある場所について僕が話せば、

「ああ、その辺を何十年か前にブラブラ歩いていたらチャールズ・カイズとバッタリ出会ってね…」


公文書館の話をすれば、

「僕が若い頃、アヌマン・ラーチャトンと数回、公文書館で一緒になってね。日本人が珍しかったから、向こうはよく話しかけてくれたなぁ…」


ダムロン親王(ラーマ5世の異母弟)の話をすれば、

「そういえば、アユタヤ歴史研究センターを建てたときに、ダムロン親王(ラーマ5世の異母弟)の子供だか孫だかがいたなぁ…」


歴史資料の保存のことを話をすれば、

「昔、石井米雄さんとやったプロジェクトでね…」


なんというか、話題の中に、書物でしか目にしないような人の名がさらりと出てくる。


それに、先生のフィールドワークの話も印象深いものばかり。

僕が最近研究している山地民の話を持ち出すと、

「昔、うーん。30年前くらいのことかな。僕も山地の部族にお世話になったことがあったなあ。山奥深いところにいた部族で、人々と話をしていたら夕方になってしまって。そしたら、夕食を食べていけと勧められてね。偉く歓迎してくれたんだ。で、食べ終わったらあたりは真っ暗で。そしたら彼らは町まで送ると言って、松明を持って10キロ以上の道のりを一緒に歩いて下山してくれたんだ。偉く歓迎してくれて、ありがたかったなあ」

先生は微笑んでいた。


松明で2時間以上の道のりを行列…

なんだか、すごい話だ。


先生は北タイをフィールドとして50年以上。

もともとはラオスを研究対象地にしたかったそうだが、当時の情勢不安で断念。

流れ着いた地がたまたまチェンマイだったという。

日本では民博で仕事をし、名誉教授になってからはチェンマイに戻って、チェンマイ大で教鞭をとられている。


先生に時々お会いしてご飯をご一緒し、いろいろなお話を聞かせてもらえる時間は至極である。

改めて、ありがたい環境下に住んでいるなと実感する。


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ある日の文学の授業。
いつものように進めていたら、「聖地」という言葉の意味の話になった。
ひととおり説明して、わかっているか確認するために「ちなみにタイの聖地は?」と聞いた。
ある学生が即答。「ドイツ」。
おおー。どよめいた。
うなずきあう学生たち。

おんどがこれまでと随分と変わった。ちょっと前まではこの手のジョークは微妙な空気になった。
うーん、と変なうなずきくらいだった。
のどから出かかっても、みな飲み込んでいた。しかし、今や変わった。
くだらないしがらみを、わけのわからない伝統・制度を今、彼らは変えようと叫んでいる。
その声や技術は、古い世代を凌駕している。
つながりあって、別次元で動いている。
たちあがる若者たち。
れきしを変えるのは彼らだ、と思う。古い人たち、彼らに希望をあげて欲しい。暴力だけはやめて欲しい。


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13日は、せっかくの休日。

ちょっと気候の良い高原のカフェでも行って作業をしようかと、ツマゴマと話した。

ということで、グーグル・マップで山を探す。


ドーイ・チェンダオ山。

標高2200mくらいの、タイで3番目に高い山だ。

Google画像を見る限り、なかなか綺麗である。


「ドーイ・チェンダオ国立公園」とあるので、カフェなんかもきっとあるはず。

眺め豊かな高原で、秋のような風を浴びながら作業しよう。

そう2人で決意して、朝早くから意気揚々と車を走らせた。


チェンマイ市内から1時間ちょっとで、チェンダオの山麓についた。

下から見上げれば荘厳な山。




おおー、となる。


登山道に入った。

乗用車でグングン進む。ドライブウェイをイメージしながら、ワクワクした。

途中、インフォメーション的な場があり、おばちゃんが暇そうにしていた。

国立公園に行くのだからお金でも取られるかと思ったが、何も言われなかった。


進めば進むほど、道幅は狭くなった。

なんだか、ドライブウェイ感が薄れている。

道は、ぐちゃぐちゃになり、車が揺れる。

ふと斜面の反対側を見れば、崖だ。


でも、もう少し行けば道はよくなるはず。

自然の中を縫うドライブウェイになるはず。

もう少し行けば、きっと…

そんな淡い期待を抱きながら、進む。

引くに引けない。

しかし、状況はまったく改善されなかった。

悪化の一途である。



2時間以上、悪路を彷徨った。

タイヤがぬかるみでクルクルと回ってしまって、前に進まなくなることも数回。

車の下は、何度擦ったかわからない。

バンパーのところも、なんかバキッと外れた。


もう2人、泣きそうだった。

いや、もう泣いていた。

先に行くべきか、地獄の道を戻るべきかも、もうわからなかった。

車が全く通らないこの道で、いずれタイのJAF的なものを呼ぶ覚悟をした。


最終的には、もうこれ以上は登れないというところまで来て、頂上まで行くことは断念。

また来た道を引き返すことにした。

帰り道もまた地獄の行程であることはわかっていたが、仕方がなかった。


ヒーヒーとなんとか下山。

行きで見かけたインフォメーションのところについたのは、登り始めてから4時間以上が経っていた。

車を止めて、景色をみつつフーと息をついた。




今になって思えば、行きでおばちゃんが何も言わなかったのは、「お前らその車で行くのか」という唖然さからだったのかもしれない。

できれば、我々を追いかけて、強めに引き止めて欲しかった。


正直いって、こんな恐怖を味わったのは生まれて初めてだった。

ツマゴマはその日の晩は、穴に落ちる夢を見たらしい。


今日は、頑張ってくれた車に感謝を込めて、洗った。

もはや、戦友。

無事に帰れて、本当によかった。ありがとう。


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大学2年生、19才の頃。

生まれて初めてゼミに所属した。


あの頃は近世(江戸時代)の歴史や、考古学に興味があった。

それは学問としてではなく、単純に新撰組、あるいは京都の街並みが好きだったからに過ぎない。


ゼミを選択する1年生の終わり、近世史ゼミの先生に相談してみた。

先生は厳しくて有名な方だった。


「新撰組のことが好きなんです。あとはお寺とか城とか、なんというか簡単にいうと京都の街並みが好きなんです」

大学の勉強や研究というのは趣味の延長線上、くらいにしか考えていなかったこと丸出しの質問だった。


でも先生は優しく何かを答えてくれたと思う。

正直言ってその言葉は覚えていないものの、先生の言葉が後押しとなって僕は近世史ゼミに入った。


厳しいゼミで有名だったから、人数は少なかった。

他のゼミは学生20人以上なんてのもあったが、近世史ゼミは5人だけだった。

しかも全員男。むさ苦しいのなんの。

でもそのぶん結束は固くて、異常に仲が良かった。

(ちなみに翌年、女の子が1人編入できた。男だらけのムードに、さぞ驚いたであろう)


ゼミは卒論に向けての発表の連続だった。

何せ、卒論は原稿用紙100枚以上。(しかもなぜか手書き)

だから2年生の夏から発表が始まった。

2年生からやらないと、間に合わないのだ。


生まれて初めての発表。

まあ、親以外の人からあそこまで怒られたのは生涯であれきりだと、妙な自負心を持っている。


あれから20年くらい経っても先生は、

「後にも先にも、あそこまで怒鳴った学生はいないな」

と言って、爆笑する。


ただ叱られてから僕は、少しだけ真面目に勉強に取り組むようになった。

卒論もなんとか書き上げ、大学院にも進学できた。

大学院時代は先生の仕事の手伝いをしながら、いろいろと勉強させていただいた。


博士課程2年になってから、先生にタイに留学したいと相談した。

「これからの歴史学は、一国だけ見ていたってしょうがない。早く行ってこい」

そう、後押ししてくれた。タイとの関係はそこが起点となっている。


あれからなかなか先生と話す機会がなく、直近でお会いしたのは2年前の夏だろうか。

先生に会いに行き、それから寿司をご馳走になった。

研究のこと、仕事のこと、思い出話…

楽しい時間だった。


まさかこれが最後になるなんて、思っていなかった。

先生に伝えていないことが、たくさんある。

恩返しもできていない。

正直、今は愕然としている。


もう一度お会いして、あーだこーだと話がしたかった。

厳しくも、とんでもなく優しかった先生。

心から、ありがとうございました。


先生にもらった一言、一言が今も心に残っている。

本当に、たくさんの言葉が残っている。



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「あー、若曽根先生。久しぶりだね。覚えているよ。あれ、背伸びたね?」

僕が10年以上前にバンコクに留学していた際にお世話になっていた先生に、そう言われた。


先日、バンコクへの出張で、東洋大学のバンコクオフィスに挨拶にいった。

そこのアカデミックアドバイザーとして、先生がいらっしゃった。



先生は東洋大学で人類学のドクターを取得後に、チュラロンコーン大学で教鞭を取られていた。

定年退職後も、チュラやその他の大学で特別のご講義をされているらしい。


先生は僕の留学した大学院での指導教官だった。


僕はもともと日本の江戸時代の研究をしていたがタイが好きだったので、「日本とタイの比較史研究をします」と言って、タイに来た。

「サワディーカップ」しか、タイ語は知らなかった。


とりあえずバンコクに住んで、タイ語学校に半年通った。

その後、日本の大学の先生からの紹介で、なんとかチュラの大学院に入ることができた。


とはいえ当然、タイ語はまだまだで、授業は大変。

そして、どこを研究対象地域にしていいか、具体的に見えていなかった。


そんな中で指導教官だった先生の人類学のゼミでは、タイ東北部のフィールドワークが必須だった。




先生には、ローイエットやシーサケート、ムクダハーンの村に連れて行ってもらった。





特にローイエットは、それから頻繁に通うこととなった場所である。

家族ぐるみで本当にお世話になったものだ。


そして今でも、タイ東北部やラオスを研究フィールドとしている。

いわば、先生は研究のきっかけをくれた恩師なのである。



10年以上ぶりにお会いした先生は全く変わってなく、驚かされた。




先生のご著書もいただいた。




「それにしても先生、全然お変わりないですね」

「そう?ありがとう。若曽根先生は背が伸びたね」

先生から「若曽根先生」とか言われるとむず痒い。


というか、2度目。

そして、そもそも20代後半から40才過ぎの間に身長が伸びることはないだろう。

そう伝えると、先生は爆笑していた。

先生の笑顔と優しい感じを久しぶりに思い出した。


とても温かい面会だった。




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ラグビー部キャプテンで、生徒会長。

彼は、圧倒的なリーダーシップを中学時代から発揮している。


中学・高校時代は一緒に遊んだりすることはなかった。

大学4年時の教育実習で一緒になってから、話をするようになった。

国語教師になって、ラグビーのコーチをすると言っていた。


しかし、やはりラグビーを愛し、自分でまだまだプレイを続けたいという思いで、卒業後はラグビーのできる大手企業へ入社。

そこで10年以上ラグビーをしつつ勤務し、2017年に中学校の教員に転身。

新たな一歩を踏み出した。


僕は、Facebook上でだけ、彼の活躍をみていた。

時々彼がアップする文章は、非常に熱のこもった、人を魅了するものである。

あまりFacebookをみない僕も、彼の文章は読み入ってしまう。


そんな彼とももう10年くらい会っていないが、今日目にしたニュースで彼を見た。




(「休校中に授業動画500本作った公立中の“奇跡”、新卒から60代まで全教員の『学びの空白を作らない』戦い」(https://internet.watch.impress.co.jp/docs/special/1265043.html  :INTERNET Watch)



新型コロナの影響で休校の際に500本もの授業動画を作った学校の話。

その取り組みの中心に、彼がいた。

相変わらずのリーダーシップと行動力。

それを支える情熱。

彼からはいつも、大きな刺激をもらっている。




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ラグビー、歴史的快挙〜。そして、元日本代表の親友。
チェンマイ大学ラグビー部 顧問
元日本代表の親友に、クラブ顧問…何かとラグビーに縁がある僕(※未経験)。無論、ラグビーW杯応援する。
第30回チェンマイ大学日本祭と、わたくしスサノオ。
路上パン、仏像、焼き鳥、角質喰い魚。ごちゃ混ぜバンコク。



     
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気がつけば、今年も半分が終わる。

コロナ以降、何をしたものか…まるで空白のよう。

でも、実は忙しく、元気に過ごしている。

ブログは、すっかり書いていなかった・・・


先日、半分仕事でバンコクへ行った。


チェンマイの飛行場、ガランとしていた。

スマホで、行き先や、健康状態を報告させられた。

「報告した証としてのこのQRコードを、バンコクで見せてください」

そう、言われた。

まあ、結局バンコクでは特に見せる場面は見当たらなかった。


バンコク・ドンムアン空港もガラガラだ。


街も当然ながら、人、車、全てが少ない。



でも、そのぶん空はとてつもなく綺麗。



人間がいかに大気を汚してきたかを示しているかのようだ。




仕事を終えて、久しぶりのバンコクのラーメンを食す。



特大のチャーシューめん。

チェンマイとは、やはりレベルが少しちがう。


美味しくいただいて帰るとき、日本人の店主さんから、何度もお礼を言われた。

「本当にありがとうございます、またお願いします」


今、本当に大変な状況。

本当は心からの応援のつもりで、2杯くらい食べたかった。

しかし、40を超えた胃袋はそれを受け付けず、特大チャーシューだけでもかなり危なかった。

ということで、また、近いうちに行きます。


たまにいくバンコク。

チャオプラヤー川沿いは、やはりいい。





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少しずつ規制が緩くなり、美容院にも行けるようになったタイ。

ツマゴマは髪を切りに、チェンマイのおしゃれ美容院 SHIZEN Hair Salon に行った。


「これ、リョウタさんに。ブログでSHIZEN Hair Salonを紹介してくれたお礼。ブログ経由で、お問い合わせがあるんですよ」

プレゼントされたのは、手作り石鹸だった。






チェンマイ大学では、大きな悲しみが広がっている。

チェンマイ大学のアイドル犬 ティアが5日から行方不明になり、昨晩チャーンプアックの森の中で悲しい姿で発見されたのだ。

懸賞金1万バーツもかけての大捜索の上のなんともつらい結果に、チェンマイ大学はもちろん市民全体が傷心している。

チェンマイ大学に関わる人々にとって、ティアとの思い出は多い。



朝9時から1時間半にわたって、オンライン授業の問題点やこれからの取り組み方など、幅広いQ&Aウェビナー(webinar:ウェブ上のセミナー)が、チェンマイ大学・学長室から発信された。

学長から直接話を聞けるとあって、参加教員は400人以上。

学長は、「新型コロナウイルスによって、生活様式は大きく変化し、教育のあり方も変わる。教員も授業方法だけでなく、根本的な部分から問い直される時にきている」といった認識で、次の点を明らかにした。


facebookのページで、「新型コロナ休講で、大学教員は何をすべきかについて知恵と情報を共有するグループ」がある。

グループ内では、色々な大学の先生方の情報や意見が飛び交っている。


今や1万7千人を超えるメンバー数。

皆、試行錯誤してオンラインでのより良い授業を目指していることがわかる。




わりと近所にあるチェンマイ・ラーンナー病院(Lanna Hospital)。

勤務先の指定病院にもなっていて、僕もかつて喘息の発作の時にお世話になったことがある。


で、この病院では新型コロナウイルス対策として、ドライブスルーによるPCR検査が始まったようだ。

車に乗ったまま(バイクもOKかな?)検体を採取して行われるということで、安心。

検査の結果は24時間以内に、E-MAILやLINEで知らせていただけるそうだ。

検査を希望する方は…




チェンマイ大学は新型コロナウイルスの影響を受けて、学生を支援するために2億5,000万バーツの基金を立てたそうだ。

同時に、大学の授業料と寮費の値下げもするという。


自分が勤務させてもらっていてなんだけど、すごいねえ。

世界的危機、不安な状況が続く中で、学生が少しでも安心して学業が続けられるようにと決断した大学、そして学長。

素晴らしいと思う。





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店頭に、無料でお弁当を置いてたカフェ・ロッサニヨム。チェンマイの人たちの優しさ、助け合い。
チェンマイ大学、オンライン授業開始。授業は座って聞くという価値観を相対化し、新しい方法を皆が見直す機会になるかもと感じたこと。
腰のために、立って書き仕事をする試み
チェンマイこもり7日目。「こもる」ことは、「再生」への必要な過程。
本棚もらって、ついつい整理しちゃう土曜日の午後。

     
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