多くの方が洪水に被災し、過酷な状況下にある。
確かにそう。
だが、日本のメディアやワイドショーの煽りときたらどうだろうか。
まるでバンコクも水に沈んでしまったかのような描き方だ。
実際、バンコクの被害は現在のところ少ないのに。
大変な状況下にある中でも笑顔でいられるタイ人のよさ、みたいな部分に焦点をあてた報道が日本にあってもよさそうなもんなのにねぇ。
こんな笑顔ね!(source:http://on.fb.me/ndcF3b)
まぁ、日本のTVメディアにあれこれ言っても、意味ないか。笑
さて、タイの人々は昔から水とうまく共存し、生活してきた。
今回は確かに例年以上に大きな規模の洪水だが、町や村が水に浸ってしまうということは日常茶飯事的なところがある。
「今日はうちの前のソイ(道)が水に浸ったから、身動き取れないので、仕事は午後から行きます」
こんな会話も本当にあった。
だから、少しくらい水につかることは日本ほど深刻には受け止められないフシがある。
ただし、今回のように過度な水量が街や村を襲い、農事に影響が出るようなことについては問題だ。農事への影響は、食料問題に直結し、生命維持に関わるからだ。
とくにそれが、古く昔のモロ農業社会なら、なおさらのこと。
当然ながら、水というのは適当な量が求められるのである。
適度な水量。それを左右する存在は、ナーガ(蛇神)であり、ナーガとかかわり合う王だった。
王は水を司る存在としての自身の象徴性を示すため、洪水(干ばつも)に対処する儀礼を行なってきた。
「船追い儀礼(ライ・ルア)」や「水追い儀礼(ライ・ナーム)」といわれる。
農事に影響がでるおそれがあるほどの洪水時、儀礼を行うことが決定される。
王は王家の人々、従者たちを引き連れて御座船に乗る。
そして洪水と相対し、ナーガの神にこれ以上の雨を降らせないよう、祈りを捧げるのだ。
儀礼はかなり昔からあったようで、1670年代にアユタヤーに訪れたNicolas Gervaiseもアユタヤー王朝が執り行ったそれの様子を伝えている。
生命存続に絶対的な影響力を持つ水。
それに深く関与する者としての象徴性が、共同体の支配者としての王の正当性付与につながっていたといえそうである。
ちなみに先日8日、ライ・ナーム儀礼がバンコクの街の守護神が祀られる
国礎柱ラック・ムアンで行われた。
そこでは、国王が御座船にのってナーガと”対話”して洪水被害を抑えるという昔の法式ではなく、バンコクの守護神に洪水被害の忌避を乞うという法式がとられた。
王家が実施したわけでもない。
その変化はどうみればいいのか。
儀礼の簡素化?ナーガ信仰の低下?ラック・ムアンの求心性?王家のご威光の問題?
うーん。
答えは出ない。
とりあえず早いところ洪水の事態が落ち着くことを祈るばかりである。

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