タイに住んで10年以上がたち、研究対象地域もここである。

ただ、僕はもともと江戸時代の歴史を学んでいた。
江戸周辺の村のお祭りや、自治を考えてきた。
いわば江戸時代の地域社会の歴史や文化から、市民社会の基盤形成を考えてきた。
この歴史観を決定づけたのは、やはり恩師である指導教官だ。

先生のご退職に際して、僕が大尊敬している先輩の文章にはこう記されている。

「…先生ご自身が確保された知識の一部をお分けいただいたのが、私であり、川上真里、木村涼、そして若曽根了太等々の各人でありました。M・ヴェーバー、O・ブルンナー、二宮宏之、宮田登など代表的歴史家の著作に誘っていただいたことが、その後の私たちの研究を規定しています。」(中山学「恩師」『法政史学』89:198)

先輩の言葉どおりだ。
今でも挙げられている歴史学者・民俗学者の著作を読み返すことが多いし、何より先生の知識の一部や研究方法が僕を規定している。

とはいえ、タイでの歴史研究は日本史研究のようにいかない点もある。
それは、史料の圧倒的な少なさによる。
タイの地方では長いあいだ、ある物事についてが文字で「記録」されてこなかった。
バイラーン(貝葉文書)と言われる、椰子などの植物の葉を紙代わりにしたものは残っているが、数はやはり少ない。

だから文献を中心にして歴史を組み立てるには、バンコクに残されている史料に頼らざるを得ない。だが、これは為政者の側から書かれた史料である。よって、ともすればバンコク中心・為政者中心の「物語」になりやすい。事実これまでのタイ史研究はその傾向が強いといえよう。

僕はそんな王権や為政者中心の歴史像を相対化すべく、地域の視点から歴史を描いている。
恩師から得た地域への眼差しを柱として、あーでもない、こーでもないとバンコクに残る史料と向き合うのである。

その一つの成果としての論文が7月あたりにでる予定なので、それはまたそのときにお伝えしたい。