学科で、百人一首のかるた部が作られることになった。
で、僕はその顧問になることに。
かつて小4の時に100首全部覚えたことがある、という点が担当になる理由だった。
小4の頃の先生は熱かった。
先生は、確か父母と同い年だったと思うので、あの頃40歳前くらいだったのだろう。
毎朝、日直が歌う曲を決めて、みんなで先生のギターの演奏に合わせて合唱した。
「銀河鉄道999」「あの素晴らしい愛をもう一度」「翼をください」…
日直が何をリクエストするかによって、その日の気分が違った気がする。
また、先生は色々な遊びを、授業そっちのけで教えてくれた。
「二重Sケン」や、「ひまわり」はおそらく先生の教え子にとっては懐かしい響きであろう。
そんな先生が、冬休みに出した宿題が、百人一首の暗記だった。
そして、冬休み後の3学期は百人一首大会が頻繁に行われた。
当初は、なんでこんな難しいのを覚えなくてはならないのか、と思った。
きっと歌の意味もわからなかったはずだ。
でも、大会は非常に楽しく、思い出深い。
「先生、今日は授業やめて百人一首やろうよー」
誰からともなくその声が上がると、
「よし、じゃあさっと授業を終えて、百人一首やるか」
という日々だった。
(写真は小6の頃だが)
あれから30年。
僕もあの頃の先生とほぼ同じ年(いや、超えたか)になって、遠い異国の地で、かるたにたずさわるようになる。
人生、わからないもの。
来月から、楽しみである。
ただし、もう90首以上、忘れてしまったという現実がある。
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