今日の文学の授業は、清少納言『枕草子』である。
春はあけぼの…
その中に出てくる「山際」の言葉。
秋は夕暮れ…
その中に出てくる「山の端」の言葉。
二つの言葉の違いを説明したら、「日本語ってそんなとこまでこだわってるんだ」と皆、半分呆れているのか、笑っていた。
そして、
「こういう風にそれぞれの季節における、美しい時間帯をあげて、その情景を述べていくんだね。
タイもこういう感覚あるかい?
たとえば、雨季は…とか」
「雨季は…洪水ですね」
「おー」
「おー」じゃねえよ、美しいところ、時間帯よ…。
とはいえ、ふと思い返す。
圧倒的に暴力的で破壊的なものは、時に美しくさせ見えるという意味だったのだろうか。
昔、バンコクからロッブリーに帰る電車の中、車窓から見えたアユタヤーの洪水は、不謹慎ながらも美しかった。
もし、学生たちはそのあたりまで汲んで、雨季といえば洪水と言ったとすれば。
一体、いつの時間帯なのだろうか。
やはり夕暮れか。
次回、掘り下げてみよう。
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