「先生、質問があるんですけどいいですか?」
ある学生が、部屋をたずねてきた。
「日本の昔の女性は、なぜ本名が残っていないのですか?」
「本名?」
「はい。たとえば、織田信長の奥さんは濃姫ですよね。でも、濃姫も本名ではないですよね」
「ああ、確かに、濃姫というのは美濃国の女性という意味で、通称だね。確か、本名は不明だね」
なかなか珍しい質問である。
というか、20歳くらいのタイの学生にまでその名を轟かせる濃姫の、その幅広さに感心もする。
少し調べてみたところ、江戸時代までは女性の名自体が公的文書に残ることはやはり珍しい。
女性は男性とは違って、公的な名前を持てなかったようだ。
そもそも江戸時代、女性が公的な地位、たとえば庄屋/名主につくこともないから、公的文書に出てこないのだろう。
(ただし、網野善彦先生が備中真鍋島に女性の庄屋がいたことを指摘されている。その名はお千。(日本の歴史をよみなおす
ということで、日本における男女差別の歴史的な根深さを感じずにはいられないのである。
このへんのこと、あまり知らないので、とりあえず角田文衞『日本の女性名―歴史的展望
日本に帰って読んでみようと思う。
「先生」とか呼ばれたって、本当に知らないことだらけだし、学生の素朴な疑問から気づかされること、学ぶことは多々。
ありがたい環境にいさせてもらっているのである。
<関連記事>
・逆に緊張の北部タイ・日本語スピーチコンテスト。
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・学生の卒論発表。昔、先生に大激怒されたゼミ時代を思い出す。


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