「先生にとって国民国家とは?」という、学生からの質問。


「先生にとって国民国家とはなんですか?」

いきなりの学生からの質問。

まあ、同期の友人が今、授業で国民国家の話をしていると聞いていたので、それに関係しているのだろうと思った。


「えー。突然だね。一言で答えるの?

…えー、それなら”必要悪”とか?笑

あるいは”暴力”?笑

それとも”税金”?笑」

現在の日本や世界のニュースを見ている僕の口からは、ネガティブな言葉しか出ないところが、悲しい限りだ。


「想像の共同体」論から30年以上。

国民国家の確かさはますます揺らいでいる。

国民国家は究極の形とは思われなくなった。

アパドゥライがいうように、国境を超えて展開する人やテクノロジーといったフローは、そのことを指し示している。




そして、それが一部の人々の国家に対する安心感を喪失させ、反動として強烈な国民国家への執着が生まれている。

マイノリティに対する暴力も強くなる一方だ。


そんな状態を見ていると、どうしても「国民国家とは?」と聞かれても、肯定的な意見が出ない。

悲しい限りだし、あまりネガティブなことを学生に言いたくはないんだけどねえ。


現在、インターネット環境を軸にして、5Gやブロックチェーンを利用した新たな時代が到来しようとしている。

それによって今後、今までは考えもつかなかったような共同性が形成され始めるだろう。

国民国家とは違う、新しい共同性。

仕組みや、それを支える考え方が、全く異なる共同性。


僕はチェンマイに住み、異文化に触れながら教員として生活しているが、もうすぐそんな新しい社会が訪れるはず。

その未来像を、どこまで想像できるか。

新しい共同性と自己をどう関係させて、生きていくべきか。

考えていかなくてはいけないだろう。


ということで、とりあえず次に学生に質問されたら、もっとポジティブにこう答えよう。

「国民国家は、新たな共同性を考える伸びしろをもつ、不完全な共同性かな」ってね。



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