文学史の学生、百人一首発表の楽しさ。解釈。



今日の日本文学史の授業は、学生に発表をしてもらった。

今回の発表内容は、百人一首のうちから好きな一首を選び、その訳や解釈、そして歌の魅力をみんなに伝えるというものだ。


皆、かなりいい感じに仕上げてきていた。

その中で儀同三司母の次の歌を発表した学生がいた。




忘れじの 行く末までは 難ければ 
今日を限りの 命ともがな

(「忘れない」という言葉。いつまでも変わらないのは難しいこと。
だったらいっそのこと、今日でもう、命が尽きてしまえばいいのに)





永遠の愛を誓った言葉を聞いたその日は幸せ。

だから、作者はその幸せのまま命が消えてしまった方がいい。

学生はそう解釈して、発表した。


確かにそうだろう。

でも僕は逆に、「見方を変えれば、歌をうたった女の人は男の命が消えてしまえばいいと思ったと考えることはできないのか?」と尋ねた。

つまり、愛を誓った男がその時に死ねば、その言葉はこれから変わることなく、永遠に残る、と。


「こえー。だとしたら、女はこえー」

そんな声が上がった。



発表は、学生が色々な意見が聞けたり、反応が出たりして面白いものである。

とにかくワイワイ大騒ぎなのだ。


ということで、1人の持ち時間はゆうにすぎる。

文学史を受講しているのは全部で13人いるが、今日発表できたのは6人。


よって、続きは次回金曜日。

まだ楽しみが残っているのである。


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