久しぶりの『火垂るの墓』。しかも何度も見返す状況。



ここ数日、久しぶりに『火垂るの墓』を見てる。

しかも、何度も。

「論文もまだ終わってないのに、何をしてるんだ!」と言われそうだが、これも仕事。

水曜日、日本研究センターで『火垂るの墓』の上映会があり、上映後に少し話をしなくてはいけないのだ。

論文を書きたい気持ちはやまやま。

決して目を背けて、逃げているわけではないのである。

…本当に。


さて、『火垂るの墓』。

小学校以来、見ていなかったが、やはり重い。

精神的に疲れる内容だ。

目もはれる。


ただし、僕は大学で文学史を担当しているということで、『火垂るの墓』も文学的な視点で読むとこんな風に全然違ってみえるんだぞ! という話をする予定。

つまり、悲しいという感情を入れずして、話を組み立てている。

そこがせめてもの救い。

でも、動画から画像を切り取る時とか、いちいち気持ちが落ち込むことはやはり否めないのである。


(ちなみに、岡田斗司夫氏の『火垂るの墓』論が、かなり助けになってくれていることをあらかじめ白状しておきたい。)


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