先生の「使命」という言葉の重み



僕がお世話になっているチェンマイ大学日本研究センターには、日本の国立民族学博物館の名誉教授の先生がいらっしゃる。

チェンマイ大にきて2年半になるが、謙虚で優しく、それでいて時に鋭い目をみせる先生と共に仕事ができることは大変光栄なことだと思っている。

先生の研究に対する姿勢に大きな刺激を受けるとともに、その巨大な知を前にたじろぐばかりである。


今日、その先生と元センター長とのやりとりが、僕の人生に刻まれることになると確信している。



先生を尊敬し、先生の事情を思慮しながらも、決死のお願いごとをする元センター長。

言葉を選びながら、心からの気持ちを語った。


それに先生も静かに、答えた。

毎日を共に、懸命に仕事に励んできたお互いであるからこその信頼関係にもとづく、生々しいばかりの二人のやりとりを前に、僕はただただ立ちすくんだ。


思いやり、信念をもってぶつかること。

心と信頼こそが、人を動かすことができるんだということを目の当たりにした。



途中、先生が紡ぎ出す言葉に、元センター長は涙した。

僕も涙がこみ上げた。


「教えることは、私の使命だと思ってやってきたんです・・・」

先生の「使命」の言葉は、重い。


僕も教えることに使命を覚えているが、まだまだ甘っちょろい。

これから先、数十年。

日々勉強し、教員であることの幸せと責任を忘れずに仕事に励もう。

研究を続け、教え伝えること、これこそが人生の「使命」であったと自分自身、心から納得のいくようにしたい。





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