どうやら、タイは乾季に入ったらしい。

チェンマイの朝晩はだいぶ涼しい。

一年のうちで一番過ごしやすい季節の到来だ。


イサーン料理を屋台で食べる。

暑けりゃ暑いで一つの風情があるともいえるが、涼しい方がやはり食べやすい。

もっと寒くなったら、イサーン鍋チムチュムもいいだろう。

日本酒でもあれば、最高だ。


イサーン料理を食した帰り道のスワンドーク寺院。




あまりに綺麗なライトアップ。


来月にはロイクラトーンもあり、街はより華やかに彩られていくことであろう。

やはり一番いい季節の到来である。



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10年ぶりくらいになるだろうか。

チェンマイの街を山の上から見守ってくれるドイステープに行った。

チェンマイ大は完全に山の麓にあるのにも関わらず、それでも登る機会がなかったのである。


久々のドイステープ。

昔と変わっていなくて、懐かしさがこみ上げた。

人が多いのはちょっと辛いところだが、黄金の仏塔も美しい限りである。





ただ、仏塔周りは靴を脱がなくてはならない。

かつて、アユタヤーの大学が実施している観光の授業の審査員として寺を回ったとき、靴を盗まれるという苦い経験がある。

その記憶が少しよぎったが、取り越し苦労に終わったようでホッとする。

チェンマイの寺院、治安よし!

(それにしても、履きやすくて、まだまだ買ったばかりだったあの靴。今思い出しても、苦い気持ちになる)


仏塔を出て、ビューポイントへいく。



ここの眺めのよさに、驚いた。

10年前はそんなに眺めた記憶がないが、今回はガン見である。

眼下に広がる街の地理ももうだいぶ知っているし、何より我が家がある。

だから、興味深く眺めることのなるのである。

「あれがMayaだから…あった!マンション、見つけた!」となり、喜んで下山したのであった。


もし仮に、また10年後に再訪したとしたら、50歳か。

ひく。



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「タイでは布施のお金を投げるのはありえない。でも、どうして日本の神社の参拝者は賽銭を投げるの?」

信仰の授業で話題になった。


確かに、タイでお布施をするとき、僧侶にお金を投げて渡すなどありえない。

失礼だからだ。

でも、日本の神社では、賽銭は投げ入れられている。

なぜ、日本では失礼ではないのか。

素朴な疑問である。


そこで家で、参拝者が賽銭を投げる理由を考えてきてもらった。

その答えの一部がこれだ。


 ・お金を投げることで音が鳴る。それで、神を呼ぶ。

 ・お金は欲の象徴。だから、それを投げることで、自分自身が清浄になる。

 ・お金は穢れを吸収してくれる存在で、それを投げることで穢れを祓うことに繋がる。

 ・お金自体が、まさに穢れであり、それを祓うために、投げる。

 ・我々の世界と、神の世界に横たわる境界を飛び越える方法として、投げる。


学生の幅広い答えに、どれも「なるほど〜」と感じた。

お金を穢れや欲の象徴と見る、というのはタイらしさを感じる。

また、境界を飛び越える方法として投げるというのは、とても興味深いものがある。


何れにせよ、タイの文化との比較による何気ない疑問から、そこまで考えついて。

学生の柔軟さは面白いものだ。



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チェンマイの我が家からも、熱く応援した。

初めて、リアルタイムで見られたので、嬉しい限りである。




(こんなことなら、これまでの戦いも「どうせ見られないだろう」と諦めずに、挑戦しておけばよかったと後悔)


試合を見て、プレイ一つ一つに興奮した。

チーム一丸となって、ぶつかり、走る。

感動だ。


法政一中・一高とラグビー部キャプテンを勤めた、リーダーシップの塊みたいな友人が、試合前にFBに投稿していた。

昔までなら、日本代表にぜひ「勝ってほしい」とか「勝てるかも」と思っていたらしい。

しかし、今ならば「勝つ」という気持ちにさせてくれるという。

結果は残念だったけど、試合を見ていて、確かに友人が言っていたこと、わかったような気がした。





屈強な男たちの涙、笑顔。かっこよかった。





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最近、朝5時すぎに起きている。

6時すぎまで明るくならないので、まだ夜の余韻を楽しんでいるような、妙に得した気分だ。


7時過ぎ。

もう完全に日が昇ってから、散歩に出かける。

すっかり日課になっている。


朝の光を浴びるのは、気分がいい。

それに、最近は妙に涼しい。

足どりも、軽い。


朝の街の雰囲気はいい。

仕事に行く人や、食べ物を買っている人、家の前を掃除する人などで街が起きはじめる。

小さな子供達も、ひょこっとバイクに座って親御さんの体にしがみついている。

保育園へ届けられているのだ。

可愛らしいものである。


今日は、ずっと犬がついてきた。



トコトコと前に回り込んで、ちらっとこっちを見たり、


やんちゃに、敷居の上を歩いてみたり、




色々な建物に入りながらも、ひょこっと出てきて、またこっちを見たり。

それで、また先を歩いていく。



とにかく、ずーとついてくるというか、先導してくれるのだ。



10分くらいは、一緒にいただろう。


でも、飼い主なのか。ある兄ちゃんがバイクで我々を抜いたら、それにダッシュでついていってしまった。

なんだか、犬に振られたようで少し寂しい。


起き始める街。

いい雰囲気である。

この犬はまだ眠たそう。





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今日は、4年生の学生による、森鴎外『雁』に関するプレゼンテーションが行われた。

学生は3年生の頃から、文学作品に関しての発表の場を踏んできたので、慣れている。

発表が非常にうまいのだ。


ただ、問題は、発表者に対する質問や議論をする聴衆の学生のほうである。

つまり、発表する文学作品について、あらかじめ読んでこない学生がいて、その子たちが話についていけないということだ。


4年生の文学の授業は、講義だけでなく、学生の自主的な活動を重視するカリキュラムとなっている。

よって、学生による発表とそれについて議論する時間を多く取っている。

そして、学生による発表の日はあらかじめ、その文学作品を全員が読んでくることが条件となるのだ。


発表じたいタイ語でも可としているし、発表される日本近代文学作品もタイ語訳されているものを選んだ。

つまり、学生にとってかなり優しい内容にしているのだが、それでもなかなか読んでこない学生もいる現状があった。

それによって、次第に、読んでくる子とこない子の授業理解や姿勢に大きな差が生じてきたのである。


そこで、今回からはあらかじめ作品を読み、内容に関する質問をいくつか考えて、googleフォームで提出することを義務にした。

提出期限は、発表開始10分前まで。

そして発表が終わると、発表内容についての質問が色々と出るが、それとともにあらかじめ提出してもらった質問もぶつけるのである。




これは、なかなかよかったのではなかろうか。

質問を考えるためには、本をザーとであっても、読まざるを得ないからである。


今回、未提出者が3名ほどいたが、おそらく、出していないことに気まずさを覚えたであろう。

次回の芥川龍之介『羅生門』では、全員が提出することを期待している。



「いやー、色々と質問を提出してくれたね」

「そりゃ、先生が強制したからですよ」

半笑いで言う、冷静な学生の声。

もしかしたら、学生は面倒くさいなあと思っているのかもしれない。




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笙の音は、天の神のもとへと響く。

タイではケーンと言われ、同様の意味をもつ。

竹で作られた管楽器 笙の音色はアジアで広くみられ、意味も似ているのだ。


昨日、「和楽奏伝」という日本の伝統音楽のライブを見にいった。

和太鼓、篠笛、津軽三味線、琴、そして笙などが豪快に美しく、見事に調和、演奏されていた。

まさに「和」の音楽である。


また、タイの木琴ラナートの奏者トッサポーン氏も特別ゲストとしてセッションしていた。

ラナートと日本和楽器の融合。

まさにアート。

タイの人たちも、皆一様に感動したようで、奏者への惜しみない拍手が送られていた。

やはり、音楽の力はすごい。



ライブは、直衣を着た奏者の笙の音ではじまった。

そして、笙の音が最後少しだけ余韻のように残って、終わった。

これは、「笙で神を来訪させ、笙で帰っていただく」という世界観を示していると思う。


そして舞台上にある、丸く巨大な、存在感を大きく放つ和太鼓。

常に薄明るい光が当てられていて、神を象徴する太陽か月のように浮かび上がっていた。

その和太鼓の前にて最後、笙の奏者が立ち、余韻を残して終わるのである。

やはり、太鼓は神で、それと奏者、我々をもつなぐ笙の仲介性を象徴するのであろう。

演奏の素晴らしさはもちろん、音楽と舞台の造り方の双方によって、神と繋がりあう世界観が示されていることにも、非常に感動したのであった。


「いや、神やら舞台やらで感動している人はいないでしょ」

ツマゴマに茶化して、笑われた。

バッサリと。



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