タイ・イサーンの村で行われるお祭りやら儀礼を見ると、基本的に男性が主体となって運営されていることが多い。村の選ばれし男性陣は、祭りの日取りを取り決め、その執行にむけて綿密に相談しあい、そして当日、主な任務にあたる。
では、いっぽうの女性陣はといえばどうだろう。
女性陣は、当日使われる道具を作ったり、食事の用意をしたりといった、いわば祭りの裏方にまわることが多い。あくまでも補佐役という性格が強いのだ。
とはいえイサーンには、女性だけで行われる儀礼・祭礼もある。
そしてそれらは、なんともいえない不思議な空間であることが多い。まるで、人間の核にあるリアルな何かがモロに僕の目の前に現れて、渦巻いている。そんな不思議な感覚を覚えるような儀礼である。
では、そうした奇妙な感覚へと導く源泉はなんであろうか。
そして、そうした儀礼をどのような視点で見つめ、どういった意義を感じ取ればいいのだろうか。
そのへんに対する僕の思いを今日はメモしておきたい。(超!久しぶりの更新だが…笑)
イサーンにおける女性だけの儀礼というと、たとえばモーラムピーファーがある。
村で病気になった人を平癒させるべく行われるこの儀礼では、世襲によって儀礼を担う女性達が、一晩かけて舞い踊る。
ケーンという笙の楽器の音色にあわせて踊る女性たち。
体を激しくゆさぶり、腕をグルグルまわす女性のなかには、時間が経つにつれて、トランス状態に陥る者が現れる。
彼女の意識はしだいに遠のき、いつしか別人格が体に入り込む。
霊に憑依されるのだ。
別人格は、村人の病気の原因を語ったり、あるいは家庭問題、村の問題なんかを口にしてみたりする。
彼女が発する言葉は、人々にとって”事実”として受け入れられる。
このように霊との交流に長け、自身の箱の中にその霊を一時的に取り入れてしまうような憑依は、女性に起こることが多い。
これはどうやら世界でひろく見られることで、日本でもイタコや沖縄のノロなんかがあろう。
では、なぜ憑依現象は女性に多いのだろうか。
かつて中沢新一氏が、女性の峰入り修行を受け入れるお寺に修行に入った際、憑依した女性同士の霊能合戦に遭遇している。
そのとき修験者は、「女性の修行者を寺で受け入れるとこうなるから困る」的なことを述べたという。
中沢氏によると、男性を主体とした祭りや儀礼は、一見不合理なようにみえるものでも、実はその内部は合理的であったり、理性的であったりするらしい。
ところが、それに比べて女性たちは、自身のもつ霊能の力をストレートに、自然のままに表現する宗教へと進むことが多いのだという。(中沢新一『哲学の東北
修験者は長年の経験でそれを知っていたのである。
つまり、女性には憑依を受け入れやすい、いわば聖的な部分が特性として備わっているのだ。
僕が女性だけの儀礼を見つめるとき、一種異様な雰囲気を感じとるのは、こうした女性の聖性が霊との交流の場面においてモロに出現しているからであろう。
儀礼を眺めているとき僕は、女性だけが潜り込める、男性にはとうてい到達しえないような深海の、その入り口がやっと遠く先に見えるような場所に遭遇しているのかもしれない。
ところで、女性の聖性というのは、実は歴史的に考えると次第に衰弱していくものらしい。(網野善彦『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 』)
いや、正確には衰弱させられていくというべきか。
たとえば日本もかつては女性の聖性が際立っていた。
巫の多くは女性であったり、市や橋の祭神が女性神であったり、幽霊は女性が多かったり、民間の新興宗教の教祖は女性が多かったり…といった具合である。
しかし、そうした女性の聖的特質は、時代を経るにつれて衰弱していく。
それは、権力の介入による。女性のもつ聖性を閉じ込め、男性を主体とした権力構造が優位になっていくのだ。
この女性の聖性の衰弱は、日本だけでなく世界ひろく見られる事象であり、男性主流の儀礼・祭礼が主になってきている事情を鑑みても、タイもまた例外ではないだろう。
だが幸いにして、タイのイサーンにはまだモーラム・ピーファーをはじめとした、女性が主役を演じる儀礼がまだ残っている。
そこには、政治権力とは次元の違う、得体の知れないようなパワーが渦巻いている。
女性的聖性によって、現在の世俗の力関係と全くの別次元な論理で成り立つ場になっている。
じゃあ、これに目を向ける意義ってなんであろうか。
僕は世界を多面的に見る眼差しを豊かにするためにあると思う。
世界はこれまで、いわゆる近代化を最良として、自然を犠牲にしつつ、突き進んできた。
そこで生みだされた種々の恩恵を僕は多いに受けてはいるが、しかし、今後はこれまで犠牲になってきた自然にも大いなる敬意を払わねばならない段階に入っていると、切に思う。
ー自然に敬意を払うー
そのためには新しい価値観と姿勢が必要になる。
これまでとは全く別次元の角度から世界を構築する感覚が必要になる。
それを学ぶに、イサーンの女性だけの儀礼は意義深い。
目に見えない世界のものや、存在の次元を自由に行き来してしまうような女性の聖性を基礎とした、世俗とは全く別次元の価値に重きをおく儀礼。
世界、宇宙は重層的な構造で、いわば立体的になりたっているという認識のうえで、この「イサーン、女の世界」をみつめれば、今後の新しい世界観構築のために大きな意義をもつと、そう思うのである。
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