舞台の中央に用意された椅子に腰を下ろしたおっちゃんは、静かにケーンの用意を始めた。
なかなかの緊張感を感じさせる熟年の表情。
これより、天空神ピーファーに病気治癒を祈る儀礼=ラムピーファーが夜を徹して行われるのだ。それは、この道のベテランといえども顔は強ばって当然といえよう。
ところで、さらっと当たり前のように「ケーン」と書いたが、それは何?って話だろう。
今回はラム・ピーファーの儀礼ではなく、おっちゃんの手に持たれたケーンについて記しておきたい。
ケーンとは、ラオの人々に伝わる竹管楽器である。日本でいう笙に近い。
僕は土産用のおもちゃのケーンしか吹いたことがないが、息をすったり吐いたりすることで、音が出る。
ケーンの音色は、力強く、そしてどこか儚い。
ね?
ラオの社会にかかわれば、かならずケーンの音色を耳にするはずだ。
渋きおっちゃんが臨むラム・ピーファーのような精霊儀礼だけでなく、民謡などでも必ず用いられる。
(ロックとラオの歌謡モーラムの融合で大ヒットした人気バンドボディスラムのคิดฮอด(恋しい)でも、むろんケーン奏者は活躍し、その腰が遺憾なく振られていたことは記憶に新しいはずだ。(その映像と歌詞の日本語訳はコチラを参照願いたい))
ところで、ケーンの歴史は深い。
起源としては南中国が有力。そこから東南アジアに紀元前500年頃から広まった銅鼓や青銅器にはケーンを吹く人が描かれているという。
踊る人びとに混じってケーンの奏者。
今の様子と全く同じであり、それは100年ほど前の壁画を見ても同様だ。
. (マハーサラカーム県パーレーライ寺壁画)
そもそも、儀礼や祭りに音楽は必要不可欠である。
音楽は人間の認知能力よりも、感情に強く訴えかけてくる。言語とは違う。だから極端にいえば、儀礼において言語は必要ない。音楽さえあれば。
その意味で、言語は宗教の諸行為の中で最終的に加わったとか。
ニコラス・ウェイドによると、人類の進化論的にみれば宗教的なものに関わる行為そのものは、①舞踏、②音楽、③儀礼を中心とした原宗教、④言語、⑤超自然的存在への共通の信仰にもとづく宗教、といったプロセスを経たと想定されるという。(『宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰』)
そう考えると、おっちゃんの吹く儀礼の場にいること。それは最も古代の空間に遭遇していることに他ならない。
しかも、おっちゃんが吹くケーンは竹製。竹のもつ本質的な霊性にこだわるならば、そこに神が宿っていると考えてもおかしくはなさそうだ。
一晩中踊り続ける、トランス状態に入ったおばちゃんたち。
その中心で、おっちゃんも一晩中ケーンを吹き続ける。
儀礼の場に立ち現れる妙な雰囲気や高揚感は、神が立ち現れた古代ロマンとの遭遇に他ならない。
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『ケーン』初めて見ました。独特の音がしますね。
返信削除笙などもそうですが音を聞いただけで想像力を掻き立てられる
感じがします。言葉がなくても伝わってくるものがありますね。
そういう意味では・・話は少しそれますが今日パタヤで開催
される(た?)ロックフェスにドラマーの神保彰氏が出演され
ていると思いますが、彼もまさしく音を聞いただけでいろんな
ことを感じさせてくれます。(それ過ぎか・・笑)
ケーンは、確かにタイを感じさせてくれます。
返信削除phimai さん
返信削除”言葉がなくても伝わってくるもの” そうですね。
すごいものに出会うと、むしろ言葉が邪魔になるみたいな感じもします。
神保氏のワンマンオーケストラなんかみても確かにそうですよね。笑
しかし、神保氏がパタヤーでやったとは知りませんでした。
匿名Iさん。
返信削除ケーンを聴くと、「ああ、タイだなぁ。ラオスだなぁ」って。
ほんとそう思います。
(もちろんベトナムやカンボジアなど広くあるんですけどね)