ビールを呑みながら映画鑑賞できるシネマ館。
それだけで、若干のテンションの上がりを覚え、昼からプシュリッ。
ちょっと贅沢にエビスの黒を呑む。
ちょっと贅沢にエビスの黒を呑む。
だが、どうも口に合わず、素直にサッポロにしておけばと後悔したりする。
「今日はハイソ的に」と意気って、いつものLEOビールやSINGHAビールではなく、ハイネケンを呑んで少し後悔する、そんな感に近いものがある。
まぁこんな余談はさておき、友人の間で高評判だった映画『エル・ブリの秘密』の感想を少しだけ書いておこうと思う。
映画は、料理を芸術的に追及してきて、昨年7月に閉店した料理店エル・ブリを追いかけたドキュメンタリーものである。
なんとエル・ブリは年間のうち半年は休業して、残りの半年分のメニューを研究していたというから驚きだ。
いかにして、印象深い感動的な料理を客に提供するかに力を注ぐオーナーの姿勢。
料理の味がおいしいことはもちろん前提であり、オーナーが求めたのは、新しい発想をもってした客にあたえる”大衝撃”といえよう。
これは僕のたずさわる研究の分野(あるいはすべての物事にも通じるだろうが)のあり方に近い。
たとえ結論は一緒でもそこにいきつくまでの証明の道筋の斬新さや驚き。これが、一番の見せ所だ、とむかし指導教授にいわれたことがある。
たとえ結論は一緒でもそこにいきつくまでの証明の道筋の斬新さや驚き。これが、一番の見せ所だ、とむかし指導教授にいわれたことがある。
確かに、本や論文を読んでいて、その証明の仕方が思いもよらないとんでもない角度からされるのを目の当たりにすると、驚きと刺激が混ざりあって頭の中がむずがゆいような感覚になる。
なんだかいつも使う頭の中の部位とは違う場をくすぐられているような、そんな感覚である。
エルブリの作品に取り組む姿勢もそんなところを目指しているように見えたわけである。
ただ、僕として知りたいことは実は別の点である。
それは、半年ものあいだ料理研究に没頭できる経済的環境が整うまでに至る経緯、という点だ。
それは、半年ものあいだ料理研究に没頭できる経済的環境が整うまでに至る経緯、という点だ。
誰しもがこんな風に何かを追求し、極めたいという欲求は少なからずあるはず。しかし、時間や経済的理由でそんなことはできない現実もある。
たとえば究極のラーメンを求めて研究に没頭。毎年、半年間は休業するラーメン店というのは一般的なスタイルではないはずだ。
それは飲食店だけに限らず、どこの分野も一緒である。
時間と経済的環境の制限が重くのしかかるわけだ。
まぁ、きっとエル・ブリは、料理自体の売り上げで成り立っていたわけではなく、広告費用やらなんやらでやっていける段階に入っていたのだろう。
でもその環境に行き着くまでには、それ相当の過程があったに違いない。
そのあたりにまで踏み込んでもらえると、もっとリアリティをもって映画に接することができたように思う。
「僕にとってのリアリティの欠如」、それは映画鑑賞時、途中で少し眠りに落ちたことの言い訳では決してない。
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