A先生の第一印象はなんといっても、笑顔と、バイタリティあふれる雰囲気だ。
A先生は、タイ・イサーンのウボンラーチャタニー県のウボンラーチャパット大学で教鞭をとり、村の社会問題や開発に関する問題を専門とする。まだ30代半ばの若手の先生だ。
初めてA先生に会ったのは、ウボンラーチャパット大学での社会問題に関するセミナーの場。
A先生の主催によるこのセミナーは大盛況のうちに終わったが、その後、A先生とは何度となく面会させてもらい、相談にのってもらった。
歴史学を専門とする僕と、A先生の専門はまったく異なるわけだが、それでもA先生は、僕の研究テーマを熱心に聴いてくれて、その上で、僕の興味関心にあいそうな先生や古老が誰かを考え、セッティングしてくれた。
外国に住んでいると、つとに実感するのは、人の言葉を聞こうとしてくれる姿勢をみせる人のありがたみだ。
言葉を異にする者同士の会話には、母国語を同じくする人同士での会話以上に、”必死に話して、必死に聴く姿勢”がやはり必要となる。お互いに、理解しようという強い意識がないと、言葉を異にするもの同志のコミュニケーションはなかなかうまくいかないのだ。
そういう意味では、A先生は、つたない僕のタイ語を必死に聴いて、理解に努めてくれる。そういう人と出会えると、やはりうれしいものである。
A先生は、11歳のときから約20年間、僧侶だったという。僧侶でありながらバンコクにあるタマサート大学院修士課程で勉強し、卒業後に還俗。その数年後にウボンラーチャパット大学に赴任したのだ。
なぜ僧侶としての生活が長かったのかを尋ねたところ、A先生は
「家がすごい貧しくて、しかも下の兄弟が多かった。だけど僕は学問をしたかった。だから僧侶として生活してきたんだ。僧侶ならばお金がかからず、親に負担をかけることもないしね。でも、自分が30歳を超えて、兄弟も皆、自立できる歳になったこともあって、還俗することにしたんだよ」
との答え。
「20年も僧侶を続けたうえで還俗するというときの気持ちとは、どのようなものなのですか?」
「そうだなぁ。残念という気持ちかな。」
「残念?」
「そう。僧侶は、学問を進めるうえで非常にいい環境にあるんだ。僕は村の社会問題を専門にしているから、村に入り込んで調査することも多々ある。そんなとき、僧侶という立場は非常に便利だったんだよね。だから残念」
それを聴いて、本当に先生は学問が好きなんだと感じた。
「ただ、還俗するとき、親は泣いてたよ。やはり悲しいという思いが強かったみたいだな。息子が僧侶であることは、やはり最大の徳を得ることができるわけだからね。きっと一生、僕が僧侶だったほうが、親としてはうれしかったんだろうね」
「なるほど。それでも、先生はどうしても学問を生業とする今の職業に進みたかったんですね。ちなみに、先生はなぜ村の社会問題に関して興味を持っているのですか」
「やはり、家が貧しかったことが大きいかな。自分の家だけじゃなくて、その村全体の人びとの生活が貧しかった。いま、タイの地方は矛盾だらけ。タイに資本主義が入ってきてから、村はやはり大きく変貌して、さまざまな問題が噴出しているんだ。そんな環境下で僕は育ってきたから、それに対する解決策を探るという問題意識が高まったんだと思う。地域住民とともに社会問題の解決策を探り、実行していくことが大事なんだ」
強い問題意識を持って、タイの地方が抱える社会問題に取り組むA先生。以前行われたセミナーで印象的だったのは、セミナー参加者が大学の先生などの知識人だけでなく沢山の村人もいて、それぞれがごちゃ混ぜになったグループにて討論を徹底的に行った、その方法だ。あくまでも地域住民が主体となって問題に取り組むことに重点が置かれていたのだ。
あのセミナーは、A先生の問題意識と、地域住民全員で解決に取り組もうという姿勢の表れだったんだなぁなどと思っていたら、車はトゥンシームアン寺へ到着した。
今日もA先生は、地方の抱える社会問題解決にむけて、奮闘しているはずだ。
応援のほど、よろしくお願いいたします
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