先週木曜から金曜日、学部の先生たち全員でのセミナーがあった。

なぜか学校から車で30分ほどの、リゾートホテルでそれは行われた。





学部の先生陣は50人以上いるので、普段余り接することのない先生たちと、泊まりがけで活動することで親睦を深めよう!という意味あいが強いセミナー。

だから例年なら、ちょっと遠くの海に行ったりもするらしい。


なのに、今年は新しい学部長の決定で、学校のすぐ近く。

なんとも中途半端な場所で行うものだと文句をいう先生も多かった。

僕もどうせなら海に行きたかったと、思ったしだいである。



さて、まず木曜日には教員全員で、書類作り。




政府に提出する書類で、書き方もちょいと複雑。

なので、みなで方法を共有しようというわけだ。


で、金曜日も引き続きそれが行われたのだが、午前中はアジアに関する研究発表が行われた。

今回は、台湾に関する研究発表、および日本に関する研究発表の2つ。

で、日本に関するものは僕が担当させてもらった。


「リョウタはタイ語喋れる研究者だろ。日本に関してなんのテーマでもいいから、発表をやらせろ」

そう、学部長から学科に連絡が入ったのは、セミナー1週間前。


なんでもいいというのは意味が分からなかったが、でも機会としては嬉しい限りなので、もちろん即決でOKである。


今回の発表では、江戸時代の祭りを素材として、地域社会の政治と文化の構造を考えるというものを行った。

基本的にみな、日本に興味があって、しかも色々な分野の先生方なので、様々な視点からのご意見をいただいた。

実りある発表をさせてもらえた。

ありがたい限りである。



それにしても、今回、最も驚いたのは台湾の発表をした先生に対する、中国語の先生の怒りっぷりである。

中国語の先生とはときどき話をする友達だが、正直いって、ひいた。


「台湾は古来から中国の領土だ。そのことをメインにしてないこの発表はどうしようもない。あなたは、ワールドヒストリーを知らない…」

と、英語で、本気でおこっていた中国語の先生。

若い女の子なのだが、かなり感情的になっていた。


正直、僕はひいた。

たとえば、

「琉球王国は…」

という文脈の研究発表を、異国の人が日本人の前で発表したとして、それに対してひどく激昂する日本人などいるだろうか。

激昂まではしないだろう。


やはり中国人の領土に対する思いいれは尋常じゃない。

教育というのは、なんとも恐ろしい。


まあ、僕からすれば、彼女の主張なんかはっきりいってどうでもよかったが、それにしても、ひっかかるところが一つあった。

それは、彼女の使った、「ワールドヒストリー」という言葉である。

彼女がどれだけ「ワールドヒストリー」を勉強しているのか、僕には疑問だ。

たとえば、歴史の基本的文献を、どれだけ読んだことがあるのだろうか。


おそらく僕が思うに、彼女のいう「ワールドヒストリー」は、学校で習った程度の「チャイニーズヒストリー」でしかないだろう。

でも「ワールドヒストリー」という言葉を使うことで、なんとなく、それらしく聞こえてしまう。

それらしい批判のように聞こえてしまう。


でも、本当は具体性にかけた、何の根拠もない、単なる怒りである。

はっきりいえば批判なんかじゃない。

単なる中華思想を声高に叫んでいる姿にしかすぎないのだ。

生産性ゼロの、悲しいことである。


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長いようであっという間に終わってしまった一学期。

とはいえ今、なんだかんだで、どえらい忙しい。

仕事中も、帰宅後も、常に机に向っている。


そんななか今日、マレーシアに出張に行ってたニウェート氏が、お土産をくれた。

なんだか、マレーシアに似合わず(失礼?)、ちょいと美味しそうなお菓子。




とりあえず、mail。

「先ほどちゃんとお礼が言えませんでしたが、お土産ありがとうございました。食後のデザートとして、美味しくいただきます!」

ニウェート氏に伝えた。



で、先ほど、ちょいとビールで一服しつつ、さあ食べようと思ったら、

 ??




布かい!

マレーシアで好まれる、男性の履物ロンジー(ルンギー)だ。

お菓子といったん思ったら、そう信じ込んでしまう。

思い込みは恐ろしい。


というわけで、食べる気満々の思いを削がれたわけだが、それよりも、「食後にデザートとして、美味しくいただく…」なんてメールを送ったことを思い出す。

中身も見ずに送ってしまった失礼さはもとより、なによりも先方は「布を食う?しかもデザートとして?」なんて思っているかもしれない。

すぐに訂正する。


しばらくして、返信がきた。

「この布はな………笑」

なんて、ながーい説明。

ご丁寧にも、こんな写真とともに…




着方と、着こなし術。

決して食いもんじゃないぞ(笑)、といわんばかり。

分かってますよ。


さ、というわけで、もうひと頑張りするか。


それにしても、ジャケットに合わせるなんて、なんともお洒落だ。


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「ロッブリーまで、1人」

「はいよ」

そう言って、チケットが渡された。


「日本人です。ただじゃないんじゃないですか?」

「ああ。そうか。じゃ、28バーツ」

僕の顔をちらりと見て、チケット売り場のおっちゃんは言った。


買ったのは、バンコク発16時30分、ロッブリー着20時予定の電車のチケット。

先週の土曜日のことである。



バンコクの電車の窓口、ファランポーン駅。

ここは、何度来ても心が騒ぐ。

旅路の途中の旅行者はもちろん、故郷へと帰る者、商売に行く者、様々がごったがえしていて、独特なムードがそこにはある。

もちろん、駅の建物自体も赴き深い。


そしてなにより、駅をとりまく自分の思い出がいろいろと蘇る。

大学生だった頃に、ここからカンボジアへ行き来したことなんか、遠い昔のような気もするが、最近のような気もする。

友人と疲れきってファランポーンに戻り、そして駅で食べたカツカレーは忘れられない。

うん?いや、うどんだったか?

あれ?どうやら忘れかけているようだ。

今度、友人に聞いてみよう。


まあ、いずれにしても、あれからも、何度もこの駅に来た。

そのたびに、なんだか感慨深い気分になるものだ。


さて、16時30分。電車はロッブリーに向けて出発した。

夕暮れの町並みをみて帰るために、北上する電車の進行方向左側の席に座る。

で、思惑通り、18時前くらいから、夕日の町を電車は駆け抜ける。

ちょうどアユタヤー付近である。




夕焼けに染まる町並みは美しい。



「なんだか、空だけでなくすべてがオレンジ色に輝いているな」

なんて、ちょっと呟いてみたら、実際全てがそうだった。



洪水である。

アユタヤー付近は、洪水が始まっているのだ。

水面の鏡に町が、空が映りこんでいるのだ。

こちらの映像をご覧頂いても、その様子はうかがえるであろう。





それにしても…

皮肉にも美しい。

この付近の田んぼは全滅してるだろうし、生活もさぞ大変だろう。


でも、人間の生活を飲み込む自然の脅威も、時に美しくみえることがあり、なんとも切ない。


そんなことを思っていたら、日が沈んで真っ暗になった。

それからである。

僕も洪水の大変さの一端を知る。


おそらく洪水のためだろう。

蚊が大量発生していたのだ。

暗闇を電気をつけて疾走する窓全開の電車に、どっさりと入ってくる蚊の大群。

周期をおいてどさっとくるその数、一回につき10〜20匹。


そこからは、乗客全員、蚊との戦いである。

テケテッテンテッテケッテッテン…というドリフ的な音楽が聞こえてきそうなほどに、てんやわんやの車中。

あちこちで、パチっという音が聞こえる。


日が暮れてからロッブリーに着くまでの1時間強。

嫌というほど、洪水の大変さを知った。


もちろん、洪水被害をもろに受けている人の苦労は、こんなもんじゃないだろうと思う。

本当に気の毒だ。

お気に入りの白いズボンが蚊で汚れたくらいで、しょげてちゃいけない。

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「ちょっと行きたいところがあるんだが…。リョウタ、ワットナムプ(ナムプ寺)は行ったことあるか?」

「ワットナムプって、エイズホスピスの?」

「そう。ここからすごく近いんだぞ」


ニウェート先生は言った。

中国語の先生の送別会に向う途中、すでに車中でドリンクを呑みつつあった僕ら。

なんでも思い立ったらとりあえず行く、というニウェート氏のいつもの行動がはじまった。


世界的に有名なワットナムプ。

エイズ患者たちの心と体のケアを行っている寺だ。


市内から数キロでのどかな田園地帯へと入り、そして意外にもあっさり寺に到着した。




ニウェート氏の言う通り、本当に近い。

僕の住むロッブリーは、本当にいろいろある。

なかなか懐が深いのだ。


さて、寺に着いたころには、あたりはすでに暗くなりつつあった。

見学できるか不安である。

寺をみれば明らかにゲートは閉まっている。



でも、そこはやたらと顔の広いニウェート氏。

寺の警備員と気さくに挨拶をかわす。

顔パスムード、満載だ。

しかし、あっさりと「終了した」と断られる。


ということで、その日は見学を断念。

僕らはとりあえず、寺の前に雄大にひろがる田園風景を前にして、一服することにした。


「いやぁ、なんとも気持ちがいい景色だ。ある意味、青春だな」

「じゃあ、ちょいと白黒でムードを…」



ちょっと格好つけてみる30代半ばの男2人。

目の前の景色を堪能しつつ、夕方の心地いい風にふかれる。

もうすぐ、日が沈む。




たしかに、気持ちがいい。

とはいえ、こうしてノスタルジックなムードに浸ってはみたものの、元来そんなガラじゃない2人。


「さあ、行こう。みんなが待っている」






5分とゆっくりしていられず、すぐに車に乗り込む。


で、結局はこんなパーティーの色彩にいちばん馴染んでしまうのである。



白黒ムードのクールな大人には、まだ遠い。


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明日までに生徒に、チェックして返すと約束してしまったレポート。



おい、おい。

タバコより分厚いし。



「今回は、期限を細かく規定する!」

「1分でも過ぎたら見ない!」

「2回のチェックを経て、きれいに製本して学科に残す!」

・・・


などと、先日、やけに大きく言ってしまったことを、少し悔いる。

生徒は期限をきちんと守ってきた。(内容の善し悪しは置いておいて)

1人の生徒は、期限日が終わる20分前、23:40にmailで送ってきた。

そんな生徒たちに対して、「無理でした〜エヘヘ」とは言えない。


全9人。

1人1時間でも、9時間。

しかも実際、1時間では終わらない子も多い。

2時間かけたら、18時間…

ああ、そしたら、間に合わない。


かなり過酷。

でも、とりあえず日が沈む前に、少しだけ駅まで散歩に出かけよう。




現実から少しだけ逃げるのだ!


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近所を流れる小川。

それに沿った道の、巨木のトンネルをくぐり抜ける。



煙の匂いがしたので、ふと小川と逆方向を眺める。




「僕が住む地域は密林地帯なのか?」

そう感じさせるにあまりある情景。

しばし、ファインダーから小ジャングルを覗く。

気分はすっかりレヴィ=ストロースだ。


僕が写真を撮っていたら、たき火をしていた兄ちゃんが手を振ってきた。

僕も笑顔でふりかえす。


でも…

もしかしたら「何撮ってやがるんだ。あっちいけ!」とやっていた、ともかぎらない。

だとしたら、それに笑顔で答える僕。

なんとも図太い神経の日本人と、先方には映ったことだろう。


密林(?)をぬけると、その先には粗末な掘建て小屋のクワイジャップ(麺料理)屋。



その価格、なんと10バーツ(30円ほど)。

麺料理、25〜30バーツが相場の昨今。

10バーツは破格だ。

もちろん、今も営業しているかは不明だし、まぁ、おそらく店じまいしていることだろう。

だが、今度昼間に訪れてみる価値はありそうだ。


いずれにしてもこのあたり、妙にタイムスリップし過ぎである。

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仕事を終えて、すこし近所を散歩する。


うちの近くには川が流れている。

そこでは、浮き輪に浮かびつつ、魚をとっている人がいたり、




あるいは、魚とりから泳びに転じてしまう子供がいたりする。



お世辞にも川の水は綺麗とはいえないが、大はしゃぎ。

今もタイの人びとは、水と不可分の生活スタイルを維持している。


だいぶ、日が落ちかかってきた。



少し、歩みを早める。


川を越えてしばらく歩くと、線路にぶつかる。




線路に出会えば、もうすぐそこには、ロッブリー駅。

駅は、夕方になると、犬達の遊び場になる。



だだっ広いホームを、みな縦横無尽に、じゃれあいながら遊び回る。

その横を僕が通ると、遊びが一時中断されて、僕の後をワイワイとついてくる。

なんとも、微笑ましい。


駅を抜けて旧市街に入ると、そこには遺跡が点在する。

朝と夕方の遺跡は最高だ。



その時間のすべての色が綺麗というのはもちろん。

もっといえば、昼はあまりに暑い。

悠久の歴史に対する感受性も、暑さには負けてしまう。

僕の情けないところだ。


旧市街では、美しい毛並みの飼い猫が、なにやら様子をうかがう。



可愛いな。

なんて思いつつ、ふらりと喧噪の旧市街から、足を踏み入れたことのない路地に入り込む。



ごちゃごちゃした家々の道はすぐにおわり、完全なる田舎道に入り込む。



空気ががらりと変わる。


子供達が、自転車で僕の横を抜けて行く。

こんなところで少年時代を過ごすのもなかなか楽しいだろうな、と思っていたら、子供達は前行くおばちゃんになにやら言われている。

「暗くなる前に帰りなさい」

かな?


たしかに、いよいよ日が暮れはじめてきた。



最近は日が落ちるのが早い。

明かりの灯された寺からは、鐘の音が聞こえてきそうだ。




夕方5時半からの、小一時間の散歩。



さあ、僕も真っ暗になる前に帰るとしよう。


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一仕事終え、そろそろ眠りにつこうかという深夜。 

たまには寝酒でも、ということでウイスキーをつくることにした。 



カラン、カラン。

氷どうしのぶつかりあう音が、耳になんとも心地いい。

そこにウイスキーをいれ、ソーダを注ぐ。

ソーダのはじける音が、美味しそう感をかき立てる。


つくりたてのウイスキーを、机の上におもむろにおく。


ソーダで割っているとはいえども、気分はすっかり裕次郎だ。


まずは一口、クイッと飲む。なんともうまい。

一日の疲れを吹っ飛ばしてくれるようだ。


さて、飲みはじめて思う。

このまま、寝たら幸せだ。

よし、そのまえにシャワーを浴びとこう。


今になって思えば、この決断がまずかった。

だが、このときはそんなこと考えもせず、鼻歌まじりで体を洗う。


シャワーを終え、そしてまた机に戻る。

ここでガウンでも着てようものなら、完全に裕次郎。

だが、むろん、そんなものは家においてはいない。


タンクトップに短パン姿で、どかりと椅子に腰掛け、ウイスキーをのむ。

Kindle Store で買いたての本を読む。

海外の、しかもロッブリーという田舎に住む身としては、電子書籍はなんともありがたい。


そんなことを噛みしめていたら、いい感じの眠気が襲ってきた。


「よし、じゃあそろそろ寝るか」

こうして一日の締めくくりをウイスキーを飲みきって終えようとしたとき、である。

下唇にむにゅっとした感覚。

うん???お茶っ葉???


コップを見て、驚愕した。

なんと、ヤモリのしっぽをくわえているではないか。

ペッと吐き出しながら「わあ!」と叫び、反射的にコップを机のいちばん遠いところにおいた。





しばらく、状況が飲み込めない。

深夜に一人で、ヤモリのしっぽをくわえる男。


ゆっくりと、コップを覗き込む。

彼は死んでいる。

彼はきっと、僕がシャワーを浴びているときに、誤ってコップの中に落ちてしまったのだろう。

かわいそうなことだ。




でも僕は、こんなヤモリを一瞬といえども口に含んでしまった。(しっぽ)

そして、おそらく最初の一杯以外は、ずっとヤモリのエキスとともにウイスキーを飲んでいた。

ヤモリ同様、僕もまたかわいそうである。


深夜、1時。

「しっぽの食感(?)が忘れられず、気持ち悪い」というのももちろんあるが、それ以上に、「毒的なこと、バクテリア的なことで体がおかしくならないか」とモーレツに心配になる。

とはいえ、誰かに聞こうにも、電話する時間でもない。

また、こんなときに限って、インターネットの調子も悪い。


仕方ないので、まずはウイスキーの残りを死んでいるヤモリごと外に捨て(外は木々である)、眠ることに。

朝、ちゃんと目覚めるように、結構真面目に祈っていた自分がいた。


で、おかげさまで、翌朝ちゃんと目が覚め、今もこうして元気でいる自分。

ヤモリ割りを飲んでも人間死ぬことがないということ、そしてヤモリはムニュっと柔らかいという、教訓を得た。



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