40を超えてからできた友達。

僕とほぼ同い年の彼は、かつてチェンマイに10年以上住み、高校で英語を教えていた。

僕も英語が少しでも話せるようになりたかったから、彼に連絡をとった。

「個人授業はしてないけど、ディスカッションをするということであればいいよ」とOKしてくれた。

あれは2019年のことだったと思う。初対面から、妙に馬があった。


毎週スターバックスで、ユヴァル・ノア・ハラリのSapiens: A Brief History of Humankindについて、章ごとにディスカッションした。

英語が拙い僕の声にもしっかりと耳を傾けて、わかりやすい英語で話してくれた。


ディスカッション以外にもお酒を飲んだり、どこかに行ったりと、まあよく遊んだ。


2020年に彼は日本で働くことが決まったが、コロナで足止め。

どう動くこともできない大変な時期を経て、2022年にようやく日本に行くことができた。


ということで、僕は日本に一時帰国する時は、彼に会っている。


先月は一緒に東京都写真美術館にいった。




作品を眺め、お互いの視点で話す。




美術館を出てから、ぶらぶらと歩いた。

かつてチェンマイで一緒にいた彼と、こうして恵比寿を歩くのは不思議な気分だ。


その後、彼の同僚のお勧めという店で、一杯やった。




確かに妙にアメリカン。同僚が勧めるのもわかる。

そして、アメリカンな彼はやはり似合う。いい夜だった。


チェンマイに戻った今、彼とzoomを使ってのディスカッションを再開した。

ーThe Dawn of Everything: A New History of Humanityー

デヴィッド・グレーバー とデヴィッド・ウェングロウによる興味深い著作だ。

700ページ近い、かなり分厚めの本で大変ではあるが、まあ、気長に楽しくやることにしている。


先週日曜に話していて、「次回のディスカッションは土曜にしよう」ということになった。

「その方が酒も少し飲める」と。

そっちがメインにならない気がしないでもない。

それでも定期的に話し、刺激しあうことは嬉しいことだ。


やはり、40を超えてからできた友達は、とても貴重だ。



     
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今年、チェンマイ大学は60周年記念年。

「12の倍数を大切にするタイ人にとって、60周年は大きな意味をもつんですよ」と同僚のタイ人の先生が言っていた。


ということで、大学の式典準備が始まっている。

僕は60周年記念の学部内委員に入っているので、どんなことを行うか、どんなグッズを作るかなどの会議に参加している。

大学の企画がこのように回るのかぁ、と勉強になる。


最近はありがたいことに、様々な委員や担当に携わらせてもらっている。

学部諸イベントの委員、かるた部の顧問、論文査読委員、日本研究センター所長、カリキュラム運営委員、卒業式委員など…。

年齢的に完全に中堅で、外交業務や、組織の意思決定を求めらる場面が多くなってきた。


本人はいたって高校男子校生の精神状態のままのつもりでも、これらに携わっている僕は、周囲の方々からみれば割と気を遣う対象になりつつあるのかもしれない。

僕自身はフランクに話していても、相手は立場という背景がちらついている可能性がある。

少し寂しいことだが、だからこそ、僕はきちんとした振る舞いや配慮が求められるだろう。


先日、研究室に学生数名が尋ねてきた。

そして部屋に座り込み、1時間以上、ダベっていた。

僕が仕事をしている横で、お構いなしにワイワイ騒いでいる。


「・・・ははは。ですよねー、先生?」

突然、振られる。

「何が?聞いてなかったよ」

「ははは。先生、仕事してるんだね」

なぜか、笑ってる。


「先生、見て見て。外でなんかやってるよ」

窓から覗くと、職員の方達がボッチャという競技をやっていた。

日本研究センターの職員の子も混じっていた。


学生は窓を開けて、

「おーい、⚪︎⚪︎さーん」

と、その職員に手を振った。

毎日会っているのに、なんか違う形で見かけあうと、手を振りたくなる。

僕も「おーい」と手を振った。


職員の子も、それ以外の方たちも、下から手を振ってくれた。

微笑ましい光景だ。


「あーダメだ、先生。暑い。早く窓を閉めて」

学生が言った。

周囲が気を遣い始めているというのは勘違いだったか、と思わなくもない。


特に意味はないけど部屋に居座ってくれる学生たち。

僕としては、嬉しい。



そんな研究室の窓からは、ハナモツヤクノキの赤い花が満開が見ごろです。


     
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「バンコクのスピーチ大会に応募しようと思います。原稿をみてもらっていいですか?」

「いいよー。もう書いたの?」

「なんとなく…うーん、いや実はあんまり。スピーチ原稿を書いたことがないので、どうまとめていいか、よくわからなくて」

「そっか。期限は?」

「3日後なんです」

「おいおい、間近だな」

「そうなんです」

学生は笑顔で言った。


その日の夜、送られてきた原稿に目を通した。

学生の色々な思いが詰めこまれていた。

”なんとなく…うーん、いや実はあんまり” という学生の言葉は嘘ではなかった。

これをどのように筋を通してまとめるか、となった。


3日で仕上げるために、話し合いが始まった。夜中までzoomを繋いだ。


学生の言葉を組み合わせていく中で、僕自身は「博愛社会をめざす」という今年のスピーチ大会のテーマの出し方それ自体を批判しちゃうみたいな方向性がいいかと思った。


でも学生は僕とは違って、もっとずっと素直でまっすぐだった。学生の中にあるぐちゃぐちゃとした思いが、吐き出された。


そして別の方向で、言葉たちが組み合わされた。

「気づかない差別」

長い話し合いで漕ぎ着けたキーワードだった。

このワードが出て、あとはひっぱられるように原稿が仕上がっていった。


人は自分では意識しない「気づかない差別」をしていることが多々あって、様々な人や地域との良好な関係性を築くにはそのことにもっと自覚的にならなくてはならないというものだった。シンプルだけど、学生の色々な思いの背骨となるような言葉だった。


締め切りの数十分前。日本に向かうためにスワンナプーム空港からのzoomがラストの話し合いとなり、ぎりぎり応募に間に合った。2人とも、妙な達成感があった。



70人以上の応募者数の中で、10名の選抜者に入り、昨日バンコクでスピーチ大会に出場した。

無論僕も、バンコクへ応援に向かった。


学生は一番手で緊張し、少し原稿を飛ばしてしまった。でも、よく最後まで言い切った。

そして自分が終わったあとも、他の出場者のスピーチに対して前のめりで聞き、温かい拍手を送っていた。終わった子たちに、声をかけていた。

遠くの席からみていて、その人柄の良さが印象的だった。


学生は、残念ながら入賞は逃した。

入賞者を発表しているとき、横に座っていた学生から悔しさが滲み出ていたと思う。


「そういう時もあるね。来年、また来ような」

「はい。そうですね」

学生は悔しさを隠すように、笑顔で言った。



大会会場を後にして、2人で日本語の古本屋巡りをした。

「先生、プロンポーンの駅近くの古本屋の中でこの店が一番安いんです。だから、先にこっちを見ましょう。ここにあればラッキーです」

学生は東野圭吾が大好きで、お目当ての本を探していた。


「先生ー、ありましたよ!ほらほら見てください。40バーツ!」

ちょっと前には舞台に堂々と立って大人びていた学生が、子供のような笑顔でそう言った。

入賞できず、なんとなく重くなっていた空気を自分でなんとか変えようとしているようにも見えた。


バンコクの友達のところで一泊するという学生と、チェンマイに戻る僕とは、古本屋の前で別れた。

「先生、今日は本当にありがとうございました。来週、チェンマイで会いましょう」

学生は笑顔で手を振った。



帰りの飛行場で僕は、「今日はお疲れさま。また、来年リベンジしようねー。そして、次回も古本屋巡りをして、その後はお祝いの乾杯だね!」とメッセージを送った。学生は「もちろん、よろしくお願いします!」と返信した。


今回のこの経験で、きっと学生はもっともっと大きくなるだろう。そして僕はいつもそんな学生たちの姿をみて、言葉を聞いて、大きな刺激や感動をもらっている。ありがたいことだ。


     
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年末、高校の同級生と会った。


母校のすぐ近くにあった善福寺公園(学校は移転し、かつての校舎はマンションに変わってしまった)。

そこで、自転車で待ち合わせ、合流した。

「おう」

3年ぶりとは思えないほど素中の素で挨拶を交わし、そのまま自転車をこいて、西荻のパン屋へ向かった。


いくつかのパンとコーヒーを買って公園に戻り、池のほとりで食べた。

あーだこーだとしゃべって、寒くなってきたら歩く。

疲れたら一休みして、また体が冷えたら歩く…


気がつけば5時間近くたち、日は暮れかかろうとしていた。

日が落ちる前にと、自転車を走らせた。

「不思議なもんだ」

友人は別れ際、そうつぶやいた。


「じゃ、また」

学生時代みたいに別れた。


かつての通学路。

中学・高校時代は、毎日、片道40分このあたりをこいでいた。

12月夕暮れの道の景色は、なんだかあまり変わっていないようにも感じた。

でも、どうやら僕も友達も、あの頃から20年以上も年を取り、生活も変わったようだ。

「不思議なもんだ」

確かにそんな気がしてきた。


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12月いっぱい、正月明けまで、日本で過ごした。


世界は偏見や分断が進んで、世知辛いように思えてならない。

でも家族や友達、お世話になっている先生方、皆さんにあたたかく迎えてもらった。

とても、ありがたい。


「自分の周りの人たちと、生活を大切にしていかないと!」

これまで何度も日本に一時帰国したが、今回ほどそう思ったことはなかった。

みなさん、ありがとう。そして、今年も飛躍の年に!


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「第一回タイ・オンラインかるた競技大会。優勝」 
チェンマイ大学かるた部は、それをやってのけた。 





チェンマイ大学にかるた部は新設されてから、早いもので3年目を迎えた。しかし、今年度前期は全てオンラインのため活動はできず、さらに後期も「年内いっぱいはオンライン」が決定。かるたは難しく、とりあえずZOOMで新入生を含めての顔合わせをしたくらいだった。 

そんなとき初代部長(卒業生)が、クルンテープかるた会の「第一回タイ・オンラインかるた競技大会」の案内を教えてくれた。僕たちはこれによって、アプリでオンライン競技かるたができることを知るとともに、さっそく大会にエントリーした。

2代目部長(4年生)、現部長(3年生)、2年生の3名で構成されるチーム。その名は「チェンマイ大学かるた部」である(僕がとりあえずでつけた、ひねりのないそのままのチーム名)。 

とはいえ、いざ大会にエントリーはしてみたものの、練習はなかなか進まなかった。正直、本格的に行ったのは4日ほど前から。「よし、明日はベストを尽くそう!」そう言って前日までの練習が締めくくられた。 

大会当日。 出場者3人と僕は、控室的にZOOMをつないでいた(4時間以上)。




4人で大会の開会式などのライブ映像をみる。チーム名は自由で、みなが思い思いのユニークな名前をつけていた。そのなかで唯一、面白みのない「チェンマイ大学かるた部」。 
「俺らだけ、真面目か!」 
4人で爆笑した。 

 そして、試合がまわってきた。 
「いってきます!」 
そう言って、出場学生たちはZOOMのビデオ画面を切った。 その間、顧問は待ちである。

そして、試合が終わるとZOOMビデオがオン。 
「勝ちましたー」 
学生が戻ってきた。
接戦のすえに勝ちをもぎとった学生が、ガッツポーズしながらZOOMに戻ってきたときには、しびれた。 

ということで、蓋を開けて見れば、連勝・連勝。 
「チェンマイ大学かるた部、強いですねー。優勝候補ですねー」 
司会の方々からも言われている。 

「チェンマイ大学」「チェンマイ大学」と連呼される(競技の様子はコチラ)。 
真面目で堅苦しいチーム名は、逆によかったようである。 

そして最終的には、優勝をさらった。みなで、ZOOM内で大喜びした。

大会後に学生たちは「初めての大会。とてもいい経験になった」とか、「やってみれば、頑張ってみれば、勝つことができるということを知った」などと語った。 

 「チェンマイ大学かるた部は来年からも連勝を続けよう。かるた部の伝説は今日から始まる!」 
そう言って、みなで記念撮影。バイバイとZOOMをきった。 



学生の底力は圧巻、感動した。本当にありがとう。おつかれさま! 
僕は無論、大会に出てない。でも祝杯の酒の味、最高にうまかった。



警察からの手紙が突然届いた。

別にふだん悪いことをしているわけではないが、なんだか気分はよくない。


封を切ってみる。

我が家の車が、交差点を駆け抜けている写真。

あれー。


日付を見ると1ヶ月ほど前。

なんとなく思い出した。

大学近くの交差点で、赤に変わるか変わったかくらいのタイミングで走り抜けたことを。

「ま、これは行くでしょう。ただまあ警察がいたら、ギリOKか、下手すりゃピッピピーだな」

みたいなことを思ったような、あるいは口に出したような気がしないでもない。

で、警察こそいなかったが、眼を意味するオービスは光っていた。

ギリOKではなかったのだ。


書類によると、減点はないもよう。

ただ、500バーツの罰金。


「まあ、事故よりはずっとマシだ。次からは気をつけようと思わせてくれる、いい勉強だ」

そう強がりつつ、スマホからすぐに振り込んだ。

(警察からの書類にはバーコードが入っていて、スマホをかざせばすぐに支払い完了。そのあたりの迅速さたるや、脱帽である)


さ、これからは気を引き締めて、安全運転を心がけよう。

そう思って、ハンドルを握る。

交差点、決して無理に渡りはしない。

いい教訓になっているのである。


ところで実は…

違反をした日から警察からの手紙がくるまでの1ヶ月ほどの間で、軽く違反気味なことをした記憶がうっすらとある。いや本当は、割とはっきりある。

しばらくはポストを見るのが怖くて仕方ない。



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