いやはや。なんともブログ更新が滞ってしまった。こんなに放置してしまったのは、ブログを開始して初。 今年こそはほぼ毎日書くぞ!と意気込んだのに、全く実行される気配もなく、早くも12月も中旬。 いやはや、困ったもんです。 さて、12月ということでバンコクの街はすっかりクリスマスムードの高揚。 たくさんの人たちが、大きな買い物袋をぶら下げて、ツリーを眺める。 「お父さん、綺麗だね」 「ああ。綺麗だなぁ」 女の子と父親がボーとツリーを眺めている。 「ツリーと一緒に写真撮ってよ」 「ああ、いいぞ」 小さな女の子は繋いでいた父親の手を離して、ツリーの下に駆けていった。 クリスマスツリーを前にしては、まぁ普通の光景。 なんとも幸せそう。 でも、最近少し過ごしやすくなっているとはいえども、一応は夏の気温。 僕は汗をぬぐった。 真夏のクリスマスツリー。 教会で賛美歌…なんてムードではない。 でも、それはそれで、悪くはない。 (function(d, ...
タイの泣けるCM。”ずっと君のそばで守り続ける”編
久しぶりにタイ生命保険の新しいCMをアップしておきたい。 いつもホロリと泣かせるCM。 今回は「ずっと君のそばで守り続けるดูแลคุณตลอดไป」編だ。 アルツハイマーに侵された妻。 妻は夫の存在を覚えてはいない。 でも、そんな妻を日々面倒見続ける夫は、妻の好みすべてを知っている。 「あなたは花を愛し、青を好む。 靴のサイズは6。 寒がりで、そのくせ冷たい水を好む。 辛いカレーが好きだけど、マメは取り除く。 そして、食事時は必ずこの歌を聞くんだ・・・ 自然を愛し、笑い上戸。 きちんとしていて、掃除も行き届く。 あなたはおもしろい人。 小言ばかり言っていて、ちょっとしたジョークでもカッとなる。 …そして、アルツハイマーにあなたは侵された」 「あなたは7月6日に僕と結婚したんだよ。 僕は今でも覚えている。 あの日、あなたに伝えたあの言葉、約束したあの言葉を。 ”ずっと君のそばで守り続ける”・・・」 「誰だい? ・・・・ 散歩? 疲れないの?」 そんな妻の言葉に、夫は笑って言う。 「うん。ちっとも」 いつもタイ生命保険のCMを紹介しようと文章に起こすたび、涙がこぼれてしまう。 くやしいが、いつもだ。 (function(d, ...
タイ北部山間メーサローンの学校。
タイ北部の山間部、メーサローン。 朝7時、ブラブラと街を歩いてみる。 行き交う人々は畑仕事に向うようだ。 そんななか、子供達がワイワイと同じ方向に歩いていく。 これは学校に向っているに違いないな、そう思い彼らについていく。 子供達が向った先は何の変哲もない建物。 ここでスクールバス的なものでも待つのか。 いや、よく見ると上の方に教会があるので、そこに来たのか。 そんな風に思いながら建物を通り過ぎる。 …完全な思い違いだった。 これが、学校だった。 到着した生徒は自分で椅子を机からおろして着席しているようだ。 それにしても、これだけのオープン性だと、なかなか授業に集中できないかもなぁ。 いやむしろ逆で、常に道行く人々から丸見えということで、授業参観的緊張感を保てるか? そんなどうでもいいことをあれこれ思っていると、横からワンワンと吠えられた。 あまりに突然のことでビクッとなった僕は、道行く子供達にキャッキャと笑われてしまった。 雌ライオンみたいな犬だな、しかし。 (function(d, ...
新入社員のタイ人のおっちゃん。
「リョウタさん。どういうやり方かよくわらからないから、教えてください。 できるだけ早く覚えたいんです。 今後タイ人のスタッフが増えたときに備えて、教えられるようにしないと…」 41歳のタイ人のおっちゃんが僕に熱く語った。 僕はこのごろ、バンコクで日本人が立ち上げたベンチャー企業のお手伝いをさせてもらっている。 そこに新しい社員として入ってきたおっちゃん。 はやく自分なりに仕事を覚えようと必死なのだ。 おっちゃんは仕事場から歩いて数分のところで奥さんと二人暮らしをしている。 子供はまだいない。 おっちゃんは、10年ほど前に地方からバンコクに出てきたという。 「田舎より、バンコクのほうが仕事があるから… 兄弟もバンコクに出てきています。時々会ってご飯を食べるかなぁ… でも、最近はお互い忙しいからね。仕方ないよ…」 おっちゃんはこれまでバンコクで配送関連の仕事をしてきた。 でも給料があまりよくなかったようで、今回親戚のツテを使って、このベンチャー企業に入ってきたという。 先日おっちゃんの歓迎会が行われた。 「乾杯~。ようこそ○○さん」 照れくさそうにおっちゃんは乾杯した。 クイっと水を飲む。 「あれ?お酒飲むって言ってませんでしたっけ?」 「はい。お酒は飲めます。でも、今は安居中だから。オークパンサー(出安居)までは呑まないんです」 仏教を深く信仰し、実践している。 おっちゃんはニコニコしながら、元気一杯のタイ人スタッフの女の子達の会話を聞いていた。 僕は相変わらず泥酔した。 ある日、僕が会社でのお手伝いを終えて帰ろうとするとき、遠くから自転車をゆっくりとこぐおっちゃんとすれ違った。 「ご飯を買ってきたんです」 「ああ、これから奥さんとご飯ですね」 「はい。それにしても今日は暑かったし疲れました。明日に備えてメシ食べたら早く寝ないと…それではまた明日」 ニッコリしながらそう言って、おっちゃんは家へと向かった。 最近のバンコクをみてると消費社会が進み、街はめまぐるしい勢いで変化していることを感じる。 そんな中で、日本人の立ち上げたベンチャー企業で新しい仕事にたずさわることになったおっちゃん。 その後姿は心なしか、これから始まる生活にワクワクしているように見えた。 おっちゃんは今日も汗だくで、元気に仕事に励んでいる。 (function(d, ...
「できればもう一度、一緒に酒を呑みたいもんだなぁ」って。
今日は父方の祖父の一周忌。 昨日、岐阜にて法要を終えたところである。 で、お気楽な我が家は、どうもそこで供養を終えたような気になってしまったのだろう。 本命日だというのに、今日の夕食後までそのことをすっかり忘れ、線香どころか、遺影前に供える水の取り替えすらしていなかった。 まったく、ひどい話である。 (こう書くと毎朝水を替えているようだが、どうも父母の話を総括すると、実際は週3〜4日しか取り替えていないらしい。これまたひどい話だ。笑) 「ま、そんなもんだわな…笑」 祖父に言われそう。 そろそろ夢枕にでてきそうだ。 「いかんいかん」と、今日は水の代わりに酒をつぐ。 祖父と父、僕の分の酒が机にならんだ。 クイっと酒を飲み干しつつ、線香から立ち上る煙を眺める。 僕が小さな頃から祖父に言われたこと、祖父の電話越しの声、歌う様子(80を過ぎても、祖父は現役の歌の先生だった)、別れ際の笑顔… いろんなことが思い出される。 病室で祖父の手を握りながらうたた寝したあの日が、つい先日のようだ。 あの日から数日後、祖父は他界し、あれよあれよと言う間に一年が過ぎてしまった。 祖父が亡くなったことへの実感は未だにない。 今でも祖父の家に行けば、「おう」と言って、微笑む祖父が居間にいそうな気がする。 でも実際今は、写真越しでしか、思い出の中でしか酒をともにすることはできない。 「ああ、一緒に呑んで話がしたいなぁ」って思う。 柄にもなく、涙がこぼれちゃいそうだ。(ま、実際涙もろいんだが) 祖父が生前、僕に言ったことの意味を、これから様々な場面でふっと気づかされることだろう。 「あのとき言っていたことは、こういうことか」って。 そういう意味では、今も祖父と対話中なわけだ。 ああ… でもねぇ。 やっぱ一緒にこたつにでも入りながら、また一杯呑みたいねぇ、じいちゃん。 そんな風にしみじみと思う僕の横で、実家の2頭の愛犬のうち1頭がクワっ〜と寝ていた。 その寝顔を見ていたらなんだか少し穏やかにな気持ちになって、救われた気がした。 (function(d, ...
数日前に発表されたオーストラリアのCarlton Draught ビールのCMが、 なかなかのバカバカし面白さを出していたので載せておきたい。 逃げなきゃならぬ。 でも、大事なビールをこぼす訳にもいかぬ。 そんな姿を真面目に映像にしているところが、バカバカし面白い。 こんなCMを見ていると思い出すのが、以前紹介したCheers Beerのくだらな面白いCMだ。 "To Every Little Good Thing In Life"というコンセプトのもと、 全てのシーンが「CHEERS(乾杯)」と締めくくられるセンスに脱帽した。 タイのCMはえらく涙を誘うものから、くだらな面白いものまで幅広く、 クオリティーが高い。 他国のビールのCMもいくつかあげておこう。 まずはインド。 Cobra ...
(source: http://on.fb.me/PXqGfZ Wall photo Facebook) 「行き詰まった日本を捨てて、あなたは海外で生きられますか?」 今月のCOURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2012年 10月号は、なかなか挑発的(?)なコピーで特集が組まれている。 即買い。 で、本記事で、自分なりの答えをだしてみたい。 ”より大きな可能性を求めてアジアへー「越境の時代がやってきた」” そう題して特集が編まれる。 「日本はアジアではないのか!」とつっこみを入れたくなるところだが、まぁ、そこはおいておこう。 言わんとすることは分かるし。 でも一応ここからは、日本をのぞくアジア地域を括弧付きの「アジア」として書く。 さて、本書は「アジア」を舞台として、働く人々(日系企業の駐在員、現地起業家、現地採用者)の話、学ぶ人々(中国語を習得するために「アジア」に住む欧米の子供)の話、逃げる人々(資産フライト)の話を紹介している。 で、これら各人を、「アジア」を舞台とするにあたって自発的にそこに立ったのか否かで分類すると、次のようにまとめられそうだ。 ① 自発的に「アジア」を舞台とする人々。 ・起業家や現地採用者 ・資産フライトを目指す人 ② なんらかの指令に従って「アジア」を舞台とする人々。 ・会社の駐在員 ・親の教育方針に従う子供 ①の方向性 個人的には②に関していうと、欧米人が中国を強く意識してその言語を学ばせようという動きを活発化させているというエピソード自体は面白かったものの、それ以外にはあまり興味がない。 それよりも僕は①の方向性に興味をもつ。 「行き詰まった日本を捨てて、あなたは海外で生きられますか?」の「捨てて」という挑発的な(?)言葉も①を連想させるしね。 僕が思うに、高城剛『モノを捨てよ世界へ出よう』のような、①の方向性は今後もっと高まる。 きっと書店に多くの関連本が並ぶ日は間近なはずだ。 「今後は日本から『アジア』あるいは世界へと展開しなくては」という問題意識や「海外に展開すれば面白い」という考えをもつ人々の思いや行動は加速していくだろう。 「アジア」をはじめとした海外のことなどに全く無関心の人々と、言動の差をどんどん拡げながら。 また、「アジア」や世界を視野にいれる人々の間でも差が出るだろう。 それは、実際に「よっしゃ!ここはいっちょ」と各国へ飛び立つ人々がでてくる反面、「分かっちゃいるけど…」と何かと理由をつけて結局飛び立たない人も出てくる流れである。 つまり、越境の時代、日本から「アジア」・世界へという考えと行動の視点から人々を分類すれば、 ①「よっしゃ、ここはいっちょ」と行っちゃう層 ②「分かっちゃいるけど…」と行かない層 ③ ...
日・韓問題。 国レベルでは何かと大変だ。 でも映像のように、人と人が身体をつけあわせること。 これはいいなぁと思う。 抱き合うことで相手の体温をリアルに感じとる。 そこで生まれる自然な笑顔。 身体のふれあいを通じて喚起される感情は、頭で思っていることとはまったく違うもののはずだ。 最近は、実際に触れたり、嗅いだり、食べたり、聞いたり、見たりといったいわゆる五感を鋭くせねばなぁと思う。 なぜならば、それが4次元的な世界(あっちの世界ともいえようか)を含んだ世界観の基礎となると考えるからだ。 たとえば、タイをはじめとした各地の儀礼。 我々の住む世界と異界の結節点として儀礼が行われているとすると、観察者は己の五感すべてを駆使してそれに向き合わねば、儀礼を演じる者が達している(と考えられる)4次元的な異界の入り口にたつことができない。 儀礼の場にあるモノに触れる。 儀礼に登場する様々なものの匂いをかぎ、味わう。 儀礼の音に耳を傾ける。 演者をはじめとした全てのものを俯瞰する。 トータルに儀礼と向き合うことが必要なのである。 もちろん観察者として、演者の達する4次元的世界には入り込めない限界がある。 でもそれを知りながらも世界に近づこうとする。 多少なりとも感じようとする。 その姿勢は重要であろう。 そして、4次元的な世界への想像力が高まると、目の前に拡がる世界に対する認識が相対化され、世界が様々な層からなりたっていることを教えられる。 自分のコスモロジーが拡がる。 人生において自分のコスモロジーや世界観を常に意識し考えることは決定的に重要である。 このように、五感をフルに使って物事を眺め、頭だけでなく、身体全てで感じたり思考する。 そして4次元の世界への想像力をもっと鍛えていく。 今、身体論を基礎にすえた世界感の形成や社会的行動を問わねばならないと思うのである。 それにしても今回の記事。 「Free ...
カオサン通りのストリートファッション記事から。
CNNに8月6日付で「バンコク・カオサン通りのストリートファッション」という記事が掲載されていた。(コチラ) カオサンにいたオランダ人、タイ人、韓国人、ポーランド人、イングランド人、マレーシア人の各ファッションが紹介されている。 ファッションの善し悪しについてはよくわからないが、「カオサンもファッショナブルな人々が集う街と注目されるようになったんだなぁ」とは思う。 記事にもある。 ”10年前は、汚いゲストハウスや旅行代理店、パブが並ぶだけの通りだった… それが今ではスターバックスからistudioまで並ぶ街になった” そう。僕が初めてタイに訪れたのは15年ほど前のことだが、そのとき、最初に泊まったのがカオサン通りのゲストハウスで、今とはだいぶ様相が違った。 記事の通りである。 何か特別な物があるわけでも無かった。 でも当時、僕はカオサンが大好きだった。 かといって僕は、いわゆるバックパッカーではない。 何かしらの熱い思い(当時で言えば”自分探し”みたいな)なんかも、一切持ち合わせていなかった。 ただただタイの雰囲気が好きで、そこの象徴的存在がカオサンだったように思う。 2〜300円で一泊できちゃったり、メシが60円くらいで食べれたり。とにかく色々な物が安かった。(まぁ、実際、今も値段はそんなに変わってないっちゃあ変わってない部分もあるけど…) ゲストハウスの共同シャワーを浴びた後で、屋台を茶化しながらブラブラ。 異国の酷暑の中で、シンハビールやらチャーンビールを友人と呑むのがとにかく楽しかった。 街全体からマグマのように発せられる巨大なエネルギーは、当時の僕に大きな衝撃を与えた。 何もかもが新鮮で、なにより刺激的だった。 そんなカオサン通りも今や世界のファッショナブルな人々が集まると街として(言い過ぎ?)注目されている。 当時とはだいぶ変わった。 でも、今でもカオサンは好きだし、時折行きたくなる。 それはカオサンのエネルギーが健在で、まだ僕を惹き付けてあまりあるからだろう。 2年半前にカオサン通りの端から端まで映像におさめたのだが、今どれほど変わったのだろうか。 「そろそろ映像におさめて比べてみなければ」という妙な決意を固めずにはいられない。 (function(d, ...