3年生は僕がロッブリーで働き始めたときに、入学してきた学生なので、まあ、いわばロッブリー・インという意味では同期だ。

人数が妙に少なくなってしまい、今や5人しかいない。

当初はまとまりがなく、反応も薄い、なんともやりにくい学年だった


しかし、今はみな仲良く、明るくなった。


その学年も僕がロッブリーを去るということで、送別の企画をしてくれた。

隣県、サラブリーへの旅行である。

最初は海へ行きたい!と、みな言ってたのだが、経済的に無理な学生が多く、隣県へと変更された。


朝、学校に集合し、そのままスーパーへ買い出し。



買い込みは、まさに大量。

肉3㎏、ビール1ダース、ウイスキー大瓶1本・・・など、6人で消費できるのか、いささか不安な量である。


1台の車に、積みきれないほどの食料とともに、ぎゅうぎゅうづめで6人が乗り込み、サラブリーへと向かった。

車内はワイワイ、騒がしい。

みなでの旅行はやはり楽しいものである。


2時間弱ほどで、目的地に到着。

そこは、緑に囲まれたリゾート。

なかなかいい宿である。



一軒のコテージを貸し切り、一軒ごとにプールもついていた。

さっそく、学生がプカプカと浮く。



僕もパンツとタンクトップ姿になり、一緒になって泳ぐ。

その横で、フレンチフライやら、焼肉やら・・・とありとあらゆる酒に合うものが作られ、みなで食す。



夜、暗くなってきても、プールに入り続け、みなで語り合った。



学生たちはかなり酔っ払って、夜中の3時すぎまで飲んでいたという。

まあ、僕は大人。

お酒もセーブしつつ、夜12時には寝床についた。


昔なら、一緒に浴びるように飲んでいただろうが、最近はそうもいかなくなった。

ま、40近いし、立場も違うし、学生と同じように飲んでいたらちょっとおかしいだろう。


次の日はみな、眠気まなこ。

みな、どうやらぐったりと疲れていたが、朝食後にはまたプールに入って、チェックアウトぎりぎりまで遊んだ。

とても楽しかった。


「来年、私たちの卒業が決まったら、もう一度みんなで旅行いこうね!先生、私たちを忘れないでね」

そういった学生が、本当に可愛く思えた。




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5月末日をもって、ロッブリーの大学での勤務を終えた。

今、7月なので、この報告もおかしい話ではある。


ロッブリー勤務最終日は、2年生たちが食事会を開いてくれた。

場所はムーガタ(タイ風焼肉)だったのだが、場所が大学の裏ということで、酒が売られていなく、極めて健康的な夕食となった。


当日。

夕方6時からだというのに、

「先生、6時半からにしてください」

と、学生から連絡が入った。

「ふふっ」

タイ社会では慣れっこのことである。

想定内。


で、7時を過ぎた。

半分くらいの学生が来ていない。

「相変わらずのタイ人らしさ」

そう思いながら、先に来ていた学生とともに、先に肉を食べ始める。

この肉にはビールがほしい、と少し思う。


しばらくすると、ぞろぞろと遅れ組7、8人が到着した。

「先生〜。遅れてごめんなさい」

ワイワイしながら、さっそく、彼女達も肉を焼き始めた。


そして、

「先生〜。泣かないでね」

そういって、渡された。


『おもいで』と題された、2年生の生徒達のメッセージ集。




これを作っていたがために、遅れたらしい。

それだったら仕方ないと感じる、単純な僕である。


「はじめに」には、「寂しくなったときに見て、笑ってください」とある。

中には、一人一人の写真やメッセージが書かれていた。



2年生はみな明るく、団結と協力をモットーにしたようなクラスだった。

礼儀正しくて、人懐っこく、可愛かった。



毎年3年生の授業はほとんど僕がもってきたので、彼ら彼女たちとは、これからもっと接するはずだった。

楽しみだったもんである。


しかし、僕はロッブリーを去ったので、本当に申し訳なく思う。


でも、学生からの温かいメッセージを見たら、身を引き締めなければならない。




一生の宝物である。


大爆笑している理由は、ちょっと思い出せない。







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今、ビザ取得のために、ビエンチャンにいる。



かれこれ、5年ぶりくらいだろうか。


町の雰囲気。

変わったといえば変わった気もするけど、あまりそうでないと言われれば、そんな気もする。

相変わらず、のんびりした町だ。


パンがうまくて、でかい。



でも、どれもこれも、異常に高い。

とくに飯は、タイの倍以上である。


さて、ビザを取るためにここへ来たのは、初めてだ。

ビエンチャンまでの道のりは長かった。


車で10時間。恐ろしいスピードで山道を走るバンに揺られた。

ラオスとの国境、ノーンカーイに着いたのは、朝5時過ぎ。


それから、朝6時にタイの出国ゲートが開くのだが、そこには数百人の異国人が待っていた。(数百人は言いすぎたかもしれない)

みな、まだかまだかと待つ。

そして、ゲートが開いた途端、彼らは走りだした。

僕は、ドラマ「スイートホーム」の最終回の、布施博の心境になった。

例えがわかりにくければ、出走馬のごとく、と思ってもらって構わない。


だが、僕の方は、布施にはならず、それなりの早歩きにとどめておいた。


で、まあ、なんだかんだで、無事にタイを出国し、ラオスに入国。

今度はラオス国内タイ領事館へ行き、ビザ申請をする。

これもまた、たくさんの人。


何をやっているか不明な人、どう見ても怪しい人など、たくさんいた。

まあ、学生からは強面で通っていた僕も、同じように意味不明な人間に見えていたことであろう。

今は、ひげも長めだ。


まあ、それでもビザ申請を無事に終えて、次の日、ビザを取得した。

しかし、新しい大学の指示で、7月4日までタイに入国することができない。

ビザを取得した今日は7月1日。

つまり、あと3日、ビエンチャンでゆっくりしなくてはならない。


今カフェでこれを書いているが、雷雨になってしまって、出るに出られない。



やはり、ゆっくりしなければならないようだ。


そして、今日は父の誕生日なので、おめでとう。




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友人2人が、タイに遊びに来た。

しかも、遠い地、ロッブリーにも来てくれた。

まぁ、実は、以前にも来たことがあるので、2度目。

とても、ありがたい話だ。


ロッブリーではお酒を飲んだり、遺跡を見たりした。



そこから電車でアユタヤやら、バンコクやらへ行って。

とにかく、一週間、楽しんだ。

何についてかは不明だが、終始、笑っていた。



ロッブリーやアユタヤで、3人が揃うことは、最初で最後感がある。



乾杯でしめて、1人は先に帰っていった。


その後も、遊びは続いた。

明らかに「ゲイカップルの休日だな」と他者から思われそうな、素晴らしいホテルに2人で宿泊したり、





夜景のすごいバーで、ワインをかたむけてみたりした。



彼とは30年以上の仲の、幼馴染。



最初は屋上のきわの絶景部に座ったのだが、あまりに夜景がすごすぎて、というか近すぎて、怖さのあまり、内腿のあたりがムズムズ。

二人揃って、気持ちが悪くなってきて、席を移動した。

高さに弱い二人である。


そうこうしてたら、彼も帰国。

空港でラオウのごとく手を上げて、去っていった。



あっという間の一週間。

本当に素晴らしい時間だった。


いつの日にか、また。





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タイで数年前に公開された「キットゥン・ウィッタヤー(คิดถึงวิทยา 直訳すれば「懐かしき学校」)」。

当時も評判はかなりよかった。

僕の教え子のなかでも、見たという者が多く、口々に「いい映画だ」と言っていた。

それが、「すれ違いのダイアリーズ」という邦題で、日本で放映されているということで、一時帰国中だった先日、見に行った。




辺境の地の水上にある学校で教師をすることになった男性が、前任の女性教員の残した日記を見つける。

田舎暮らしの孤独や、教師としての未熟さや苦悩、葛藤などが、その日記を読むことで癒され、励まされる。

教師としても、人間としても成長していく。

そして、いつしか、日記を書いたまだ見ぬ女性教師に恋をする、という話である。



男女の恋愛模様はもとより、教師と子供達のふれあいが美しい映像で表現されていて、なんとも心温まった。

タイのドラマといえば、基本、ドロドロして、いつも女性たちが激しく口論や喧嘩をしているものが多い。(あるいは妙にコミカルか、グロいかの幽霊の話)

しかし、この映画は清々しくて、よかった。

タイは、映画とCMがすばらしいと、いつも思う。


ところで、この映画にタイ人も感銘を受けたというのは、田舎に暮らして人と人とがふれあうこととか、お金にはない価値を見直すこととか、そんな感覚が彼らの間にも広がってきているからではなかろうか。


タイ、いや特にバンコクは近年、すごい勢いで発展している。

経済的価値が重視され、バンコクはもはや東京と変わらないムードとなってきている。


ロッブリーのような田舎に住んでいると、バンコクに行くだけでものすごく疲れる。

それほどまでに、バンコクのスピードは早い。


そして、今では、タイ人の間でもそう思う人は少なくないらしい。

経済発展や情報化を重視した街や生き方に、疲れが見え始めているのだ。


だからこそ、映画で描かれるような、自然のなかで人と人とが触れ合うこと、感情を手で綴った日記が映画の軸となっていること(SNSではないということ)、といったいわば昔ながらのあり方が、キラキラとした魅力をはなって見えたりする。

で、タイ人の間でウケたのかもしれない。

いわば、疲弊して綻びが出ているタイ社会が、今徐々に求めはじめている新しい価値。

それが、うまく映像で表現されているのだ。


と、まあ、こうして講釈たれてみた。

でも、実際のところ、映画を見ている間は、結構のペースで泣いていたので、そんなこと考える暇はなかったことを告白しておく。


あ、ちなみに邦題「すれ違いのダイアリーズ」。

多分、英題の「The Teacher's Diary」から持ってきているんだろう。

「懐かしき学校」(タイ語)→「先生の日記」(英題)→「すれ違いのダイアリーズ」(邦題)。


英題や邦題は、恋愛に重点がおかれているから、こうなったのだと思う。

でも、僕からすれば、上記のように、手書きの日記とか、人と人とのリアルなふれあいとか、いわば懐古的なことが、この映画では印象的にうつったので、タイ語題の「懐かしい」という言葉をいかしてもいいんじゃないかと思う。


「遠い日の水上学校」


・・・海軍の話かと、勘違いされそうな気がしないでもない。






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今朝、日本からタイ・ロッブリーに戻った。




日本からロッブリーへの移動は、なかなかの時間を有する。


何を隠そう、僕は東京・江古田の人間だ。(意味わからないが)

江古田といえば、日芸・武蔵野音大・武蔵の3つの大学があって、それなりに面白い店もある。

下北風 なんて言う人もいる。

なにより、駅前には富士塚がある。

江戸時代には、富士講がはやったことだろう。

なかなかの町だ。


ただ、そこから、ロッブリーとなると、半日はみなくてはならない。

乗り継ぎ便ともなれば、20時間近くかかることもある。


昨日は、幸い直行便ではあったが、ただ、夜中にタイに着いたので、朝イチ 5:40のロットゥーまでの時間を、空港で寝て過ごした。

ベンチで寝るのは抵抗あるなあ、なんて思ったら、スワナプーム空港は極めて安全だった。

寝て過ごす人も、多い。


僕は、地下1Fのエアポートリンク入口前の椅子で寝た。

職員がうろうろしているので、安全。

なにより、微妙に暗かったので寝やすかった。


そして、朝、5:40。

アヌサワリーからロットゥーに乗って、8時前にロッブリーのアパートについた。


ロッブリー。

ほんの数週間の日本滞在だから、当然何も変わってはいない。

優しく、のんびりしている。


しかし、実は、ここで仕事をするのも、あとわずか。

そう。もうすぐ新しい土地へ移ることになったのだ。

(その場所は、後日お伝えする)


ということで、日本からロッブリーへ仕事のために帰る、というのはもう今回が最後の可能性が高い。

いろいろあったなあ。

本当にいい町だなあ。

とりあえず今はまだ、

「ただいま、ロッブリー」

である。


ちなみに冒頭の、ロッブリーで迎えてくれた犬の写真。

実は、おっちゃんの前にはもう一頭の同じ犬種の犬が座ってハンドルを抑えている、というかなりの曲芸的バイクだったことだけ、付言しておきたい。







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「オーバーブッキングのため、ビジネスクラスにアップグレードいたしますね」

航空会社の、タイ美人に言われた。

これほどの美人が、無料でビジネスクラスにまで格上げしてくれる。

数ある乗客の中で、唯一僕だけを選んで、だ。(唯一かどうかは不明)


まさに天使。

これは、もしかしたらどこか僕に気持ちがあって…

そして、もしかしたら、スッと、電話番号とかをパスポートに挟んでいたりして…

と、芸人どぶろっくのハーモニーを思う。


ま、無論そんなものはなかった。

やはり「もしかして」はない。


さて、ビジネスクラスに乗ったことのない僕は、優先ゲートを知る由もなく、普通にエコノミーとして並ぶ。


唯一、僕ができたことといえば、搭乗の時に

「まずはファーストクラス、ビジネスクラスのお客様…」

と放送が流れた時に、スッと立ち上がり、ビジネスクラスなのに短パンで乗り込む、逆に粋な男、をアピールする程度である。(実際は誰もみてない)


席についてみると、それは広くて、前の座席に足が届かなかった。



背もたれをたおすと(ボタン一つで!)、カプセルのように包まれるので、隣のお客さんとも隔離される。

これは素晴らしい。



となりの人がまだ来ていない間に、はしゃいで写真に収める。



「何かお飲物お持ちいたしますか?」

乗り慣れないクラスの席で、イヤホンの穴を必死に探している時、言われた。


「あ、じゃあ、赤ワインください」

「かしこまりました。本日ですと、○○○と△△△をご用意しております」

ろくに銘柄もわからないし、CAの言葉を覚えることもできなかったので、

「うーん。では、前者で」

うーんというところで、かろうじてワイン通を演出したつもりだったが、ワインを「前者で」と頼んだ時点で、僕の本質はCAに見破られたであろう。

そんな僕でも、ワインが空になれば、すぐにCAがソムリエばりの注ぎ方でいれてくれた。

朝方の飯もうまかった。



ということで、全体的にはしゃぎすぎた。

それで、リズムをくずしたのだろうか。

日本に帰国早々、体調を崩した。

なかなかの高熱をだした。


あれから、今、2週間たつ。

季節の変わり目ということもあり、どうも風邪が抜けきらず、今は持病の喘息を発症させている。

ビジネスクラスは最高だったが、体調を崩しては元も子もないような気がする。


でも、やっぱり、またビジネス乗りたい〜。

あの美人のお姉さんなら、またきっとビジネスにアップしてくれるはずだ。

なぜなら、あのお姉さん、もしかしてだけど、僕に気が…


とまあ、こんな馬鹿なことを書いてますが僕、実は、昨日37歳になったんです。

なんだかな。


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