バンコクのサイアム弓道会(SKK)による年末28日と29日のセミナー。


丸二日にわたる充実したセミナーの終わりにあたって、SKKとチェンマイ大学弓道部のメンバーがホフ先生を囲んで円座になった。そこで一人一人が、この2日間の感想を述べていった。


全員が一通り思いを述べ、ホフ先生が話を始めた。そして、最後に思いがけない申し出をいただいた。


「……実はチェンマイに行くんです。そして、1月2日と3日はフリーなので、どちらかの日にチェンマイ大学に行って稽古をつけてあげましょうか」


我々はもちろんお願いした。



3日朝、学部の車に乗って先生のホテルまでお迎えにあがった。この前の弓道着姿とはうってかわり、ジーンズにポロシャツときわめてラフ。しかし、やはり弓道や柔道、剣道、合気道などを全て習得した師範。姿勢がとても正しく、どこかただものではない雰囲気を感じさせる。


先生と車の中で色々と話をしつつ、大学のアーチェリー場も案内、日本研究センターに着いた。弓道部の顧問はセンター所長が、副顧問はセンター副所長、会計事務はセンターの専門職員がやっているからだ。


センター前で記念写真😆



センターの中を簡単にご案内。センター図書室には13,000冊以上の日本関係の本が所蔵されていてOPACで検索ができること、センター内の教室では大学院生や学生の授業が行われること、また毎週水曜日には書道や生花、茶道、折り紙、百人一首かるたの文化活動が行われていることなどを説明した。


先生は日本文化に興味を持っておられるので、とても真剣に聞いてくださった。


そのあと、センターの前にある50周年記念ホールへと向かった。ここが今日のホフ先生による特別稽古の会場だった。15名ほどの学生がすでに集まって、先生を待っていた。


先生はスタスタと学生たちの方に向かうと、すぐに3列に並ばせた。


「礼!」


何も話すことなく、唐突に稽古を開始された。




年末にセミナーに参加した学生は「これ、これー」といった嬉しい気持ちだったろうが、初めての学生は驚いたようだ。


副学部長らもまず簡単に挨拶をする予定だったが、それも行われることなく稽古に入った。副学部長は「日本の伝統って感じでいいですね」と言った。


学生は、真剣に先生の英語に耳を傾け、ご指導にしたがった。足踏みや、フォームの方法から弓の扱い方まで、先生から幅広く教えていただいた。



喉から左手の先端までの長さを、矢で測った。この長さが、矢を放つときの構えの歩幅になる。これが一番安定するのだ。学生たちは皆でチェックし合いながら、真面目に応えた。


午前で3時間近く、ランチを挟んで午後にも1時間以上にわたり親身に教えてくださった。学生も頑張って英語で質問を繰り返し、先生はその全てに答えてくださった。




世界各国で稽古をつけている先生。とても丁寧でわかりやすいご指導をいただいた。




贅沢な時間。発足して1ヶ月ほどの学生にとって、なかなかできない貴重な経験になったと思う。




先生をホテルにお送りする車に乗り込むとき、

「先生、本当にありがとうございました」


キャプテンと副キャプテンが日本語で言った。先生も少し日本語がわかり、日本語で返した。

「弓道、がんばってください」

「はいー。先生も、またきてねー」

なぜか、学生はタメ語だったが、先生は喜んでいた。



「学生は素直でいい子が多かったから、今後が楽しみですね」

そうおっしゃってくれた。嬉しかった。


「では先生、またお会いする日を楽しみにしてます。本当にありがとうございました」

そう言って、ホテルでお別れした。まだできたばかりの弓道部。しかし色々なイベントがあって、幸先のいいスタートを切った。



これから毎週、1−2回ペースで練習が行われる。どれほどの学生が地道な練習に耐えられるかわからない。それでも、いつか環境の整ったチェンマイ大学弓道部から、矢の放たれる音が聞こえる日がくること、待ち遠しいものである。


ただその前に顧問として、さらなる道具購入の予算探しに奔走しなければならない。キャプテン・副キャプテンを連れて、援助してくれるスポンサーを探そうかと画策している。

まあ、これからも乗り越える壁はあり大変そうだが、それ以上にワクワクもしている。



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チェンマイ大学弓道部が、タイ国内の大学のなかで初めて創設された。できるまでの過程は前回の記事の通りだ。


とはいえ我々は素人の集まり。まずは、きちんと稽古している様子や弓道環境を実際に見てみたかった。


そこで目に止まったのが、タイ・バンコクで10年以上の歴史を有す弓道会、「サイアム弓道会(SKK)」による特別セミナーだった。12月28日・29日の2日間にわたって、ドイツ弓道連盟名誉会長フェリックス・F・ホフ先生が特別稽古してくれるものだった。


早速SKKに連絡をとり、チェンマイ大学に弓道部が新設されたこと、そして年末のセミナーを数名が見学させてもらうことができるかどうかを尋ねた。SKKは弓道部新設を喜び、セミナー見学も快諾してくれた。


部長・副部長に話をした。

「これはいい機会。僕はセミナーに行ってみようかと思う。行ける学生も、参加してみたほうがいいと思うよ」


「えー、行きたいです。でもバンコクで2日間だと、色々とお金が…」


「ふっふっふ。実は、学部は学生ひとりひとりに対して、こうした校外活動に対する予算をとっているんよ。セミナーとか何かの大会とかに参加する場合、学生は申請できるよ。それでもし学部の審査を通れば、上限5000バーツもらえる。その方法に詳しい先輩がいるから聞いてみな」


「えー、そんな方法があるんですか。それなら行ける人も多いかもしれません。聞いてみます!」

こうして、10人ほどの学生がバンコクに行くことになった。


SKKに特別セミナー参加を正式に申し込んだ。SKKの方はとても親切で、年末のセミナー前にSKK会長らを交えて、zoomでミーティングをしようという提案もしてくださった。チェンマイ大学弓道部からは部長と副部長、そして顧問の僕が参加した。


なぜ弓道部を作ることになったのか。今後、チェンマイ大学弓道部はどのようなことを目指しているのか。セミナーにどのようなことを期待しているのかなどが話された。それに、弓道部に役立つ本や動画、道具などの情報を共有してくれた。


SKKには西洋の方もいたので、タイ語だけでなく、英語も使われた。その中で部長と副部長は頑張って受け答えをした。これはバンコクでも心配ないな、と思った。


そして事実、ふたりはしっかりと準備からセミナー当日まで仕事をした。ホテルや夜行バスの予約、SKKとの連絡もこまめにとった。事前に勉強会やゴム弓を使った練習を行い、その熱量に引っ張られるように、他の学生も真面目に取り組んだ。こうして彼らは学部からの5000バーツもとって、バンコクに向かった。



僕はセミナー当日にバンコクで合流した。心配していた学生の遅刻もなく、彼らは真面目だった。SKKの方達による射的を目の前でみて、感動していた。ホフ先生の英語による指導にも皆積極的に参加した。目を輝かせていたのが印象的だ。


SKKの方達もゴム弓を頑張る学生たちに優しく指導してくれた。弓道はただかっこいいというものではなく、型の反復と精神が重要であることを叩き込んでくれた。弓道に終わりはないことを教えてくれた。





朝から夕方までびっちりと練習した2日間のセミナーの終わりには、SKKの方達とすっかり部員は仲良くなっていた。


「またいつでもSKKにきてね」


「チェンマイに行ったら、弓道を一緒に稽古しようかな」


などと、SKKの方達は言っていた。





僕は2日間を通じて、学生が自主的に、積極的にやっている姿を目の当たりにした。学内だけでは見えない姿だった。学生たちはとても楽しそうだったので、弓道部を設立してよかったと思った。とにかく前進することで、少しずつ得ていくという刺激をもらった。




セミナーを後にする時、部長が言った。


「先生、ホフ先生は稽古の始めと終わりに神前に向かって『礼!』と言ってたじゃないですか。だから、私たちもあれを取り入れたいと思います」


「えー、ちょっと恥ずかしいな」

他の学生が言った。


「いいから、いいから。みんな、ちゃんと円になって」

10人で円陣になった。


「礼!」


部長は大きな声で言った。皆で頭を下げた。SKKの方達は半笑いでその様子を見ていた。ちょっと僕も照れくさかったけど、「学生は元気でいいな、これが初めの一歩だな」と思った。



2日間のセミナーでの学生のひたむきな姿。ホフ先生はどうやらそれをちゃんと見ていてくれたらしい。それから数日後にチェンマイ大学に来ることになるのだ。それはまた続き。


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「私は、弓道をしてみたいんだ」

「えー、そうなのー。私もそう思ってたー」

2023年8月か9月頃だったか。新入生ふたりの女の子がそう言って、握手をしていた。


「いいね、弓道。じゃあ、弓道部を作っちゃおうか」

と話に加わった。


ー 弓道 ー

その響きになんとなくピンときたのだ。


さっそく、クラブ設立に向けて動くことにした。


とはいえ、完全にその場のノリ。弓道の知識があるわけではない。とりあえずインターネットで翠山弓具店を見つけ、クラブ設立における必要道具や予算を問い合わせてみた。


また、学生にはタイで唯一の一般者向け弓道会「サイアム弓道会(SKK)」というところに連絡してもらい、糸口を探った。


翠山弓具店からご丁寧に予算のことなどを教えてもらった。翠山弓具店はかつて、他国のクラブ設立のお手伝いをしたことがあるとのことで、非常に心強かった。


周囲は好意的に色々なことを教えてくれた。しかし残念なことに、その時はすでに大学内での新部活の申請期限がすでに過ぎていることが後になって判明した。


こうして、この話はいったん眠った。



2024年6月、新学期が始まった。あれから、いつも心のどこかで弓道のことが引っかかっていた僕は、2年生になったふたりに、まだクラブに興味を持っているかどうかを聞いてみた。

「もちろんです」

積極的な返事を受けた。それから、本格的に弓道部設立にむけて動き出した。


僕とふたりの学生、それと日本研究センターの事務の方4人で「弓道部設立に向けて」というLINEグループを作った。すると、すぐに学生や教員全部で20人以上が加わった。弓道に関心をもつ人の多さに驚いた(まあ一部は、「かっこいい」とか、「袴を履いてみたい」とかの動機で、なんとなくメンバーに入ってみた感は否めないが)。


大学への部活設立申請手続きは、学生と事務の方にお任せした。僕は、道具購入の予算と弓道の先生、および練習場探しに奔走した。


翠山弓具店に改めて連絡し、大体の予算を出した。そして、8月、チェンマイ大学の学生や地域住民に向けた日本文化普及を目的とした弓道部設立プロジェクトとして、国際交流基金に道具購入の助成を申請した。なかなかにいい感触を得た。


場所については、チェンマイ大学内にアーチェリー場があるとともに、体育館やホールなども充実していて、教育機関の強みがあった。




難航したのは、先生探しだった。弓道は危険が伴うので、きちんとした有段者の先生に教わることは絶対条件だった。知り合いに当たってみるも、なかなか見つからなかった。


そこで、在チェンマイ日本国総領事館の方に、弓道部設立構想とともにご相談。ありがたいことに、領事の方も関心を持ち、一緒に探してくださった。


そして、ウボンラーチャターニー県で国際交流基金の日本語パートナーズとして教鞭を執られている先生を見つけてくださった。弓道五段の腕前をお持ちの方だった。


8月、僕はさっそくメールで連絡、zoomでお会いした。

「タイの大学の弓道部設立に関われること、大変嬉しく思います」

とても、ありがたいお言葉をいただいた。


そして10月、先生に実際にチェンマイ大学のアーチェリー場や体育館、記念ホールなどを見ていただいた。




型の反復やゴム弓、巻藁での練習は記念ホールで、実際に射的をする時だけはアーチェリー場を使えばいいのではないかとアドバイスくださった。


そして、今後もチェンマイ大学弓道部の先生として、弓道部に関わってくれることを快諾いただいた。



「弓道は道具も高くて、輸入も簡単ではありません。それに、弓道ができる環境も限られます。やりたい!と思っても、実際のところなかなか難しいものです。それでもここまで漕ぎ着けたのは大したものですよ。学生さんたちも元気でいいですね」


夜に、焼き鳥を食べながら先生はおっしゃった。その日は酒が進んだことは言うまでもない(先生は一口も飲んでいない)。



その頃には、国際交流基金からの道具購入支援が正式に決定された。とてもありがたいことだった。


道具輸入の関税の問題もあって、手続きはなかなかに苦労したが、12月13日、ついに日本研究センターに弓や矢、ゴム弓など一式が届いた。





こうしてチェンマイ大学弓道部(Chiang Mai University Kyudo Club)ができた。冒頭のふたりが弓道部の部長・副部長、ウボンラーチャターニー県の方が先生、僕は部活顧問となった。またチェンマイ在住で弓道経験のある卒業生が、先生の補佐役となってくれた。




正直、その場のノリと思いつきで始めた弓道部。半年ほど、手続きに奔走した。


でも、動き出したことで、なんとか形になった。一つ一つを乗り越えて、仲間ができていくことは楽しかった。「弓道部設立に向けて」というLINEグループ名が、「CMU弓道部」に切り替わった時、なんだか感慨深いものを感じた。


そして年末年始。弓道部は大きな一歩となる活動に加わった。これは、続きとしたい。



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2025年1月3日、人文学部では新年会が行われた。




ホテルの会場を貸し切ってのパーティー。

なんとも華やか。 


新年会のテーマは、タイ語のマヌット(Humanitiesの意味)の頭文字「M」だった。

それぞれがMにちなんだ仮装をしてくる。

ミッキーやマーマーという麺、まる子ちゃん、モン族など、本当にバラバラだ(ちなみに仮装賞もあった)。


僕は急遽、当日に借りた猫の耳を頭につけて参加。

タイ語で猫は「メーオ」だからということで、同僚が用意してくれたのである。

そんな僕をよそに、会場には意気込み高い「M」等がいて、驚かされた。

自分のあまりにも簡単な仮装に逆に照れた。




食事はビュッフェで、ビールも飲み放題だった。

なんとも太っ腹。ついつい新年に浮かれて、飲み過ぎた感は否めない。

正直、学部に上がっている写真を見返しても、覚えていないところが多い。



抽選会ではティファールの鍋セットがあたり、すっかりご満悦。




コンサートが始まると、ステージ前で踊り始める方たちも出てくる。




タイらしくて、いい。

こうして盛大な新年会は幕を閉じた。



すっかり気持ちよくなった僕は、妻ゴマに車でのお迎えを頼みつつ、途中までは歩くことにした。

鍋セットのでかい箱をもって、よくもまあ、そんなことを思ったものだ。酔っていたのだろう。


夜風にあたりながらぶらぶら。




ライトアップされた街を軽快に歩いていたが、突如猛烈な尿意をもよおす。

流石に道端というわけにもいかず、早歩きでホテルを探す。

ライトアップを楽しむ余裕はどこにも無くなっていた。


一軒のホテルに駆け込む。

「トイレをお借りしていいですか」

鍋セットのでかい箱を抱えた男の危機迫る顔つきをみて、ホテルの人はすぐに貸してくれた。


トイレを終えて、一安心。

鍋セットのでかい箱を抱えて、外に出ようとしたとき、僕はホテル内のわずかなステップに気づかなかった。

盛大に膝をはずした。

おそらく、とんでもない方向に膝は曲がっていただろう。


「久しぶりにやってしまった」

そう思いながら、うずくまった(僕は高校3年生の脱臼以来、膝をたびたびはずす)。


なんとか椅子まで這いつくばり座ったが、痛みでしばらく動けずにいた。

しばらくすると妻ゴマの電話がなった。

ホテル近くまで来てくれていることを知り、外に出ることにした。


「トイレ、ありがとうございました」

さっきまで尿意で危機迫る鍋セットのでかい箱抱えの男が、今度は突然に足を引き摺りながら出ていくので、なんともホテルの人は怪訝に思ったはずだ。


そこからの記憶は途切れ途切れ。

どうやって部屋まで来たか、あまり記憶にない。


翌朝、もちろん妻ゴマにきっちりと叱られた。

心配をかけたことを大謝罪するとともに、膝のアイシング。



うまく歩けないので杖(200B)も買いに行った。


いやはや、新年早々やってしまった。

当選したけど膝外し。

プラマイ0か、いや完全にマイナスだな。

やはり健康が1番である。


今年もよろしくお願いします。


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「新米のくせに、スポットライト当たっちゃってさ」



ツマゴマに言われた。

 

チェンマイ大学は今年、60周年を迎えた。

僕が所属する人文学部も、大学設立時からなので60周年。


ということで、色々なグッズが売られたり、




式典が行われたりしている。




冒頭の写真は記念パーティーでの一枚だ。



パーティーの数日前、学部からの内線がなった。

「パーティーのオープニングのとき、舞台で先生たちが写真を撮るんです。舞台に立ってもらってもいいですか?」

僕は別に構わないと答えた。たくさんの先生が並ぶ中に立つと思ったのだ。


「よかった。では、リハーサルがあるので当日14時に会場に一度来てください」

そう言って、電話が切れた。


14時。会場に行ってみると、学部長と学生数名、スタッフの方しかいない。

「あれ?なんか妙に人が少ないけど、時間を間違えました?」

僕は学部の方に尋ねた。

「いや、揃っていますよ」


リハーサルを通じてわかった流れは次のようなものだった。

まずはアニメーションがスクリーンに映し出される。

「ある男の人が、街に教育をもたらそうとして、少しずつ設備を整えていきました…それは、地方で初めての国立大学になりました…」

みたいな感じのナレーション。

「そして、それから60年が経って…」


「学部〜長!」

学部長に、バーンとスポットライトが当てられる。


「教〜員!」

バーンと教員にスポットライト。


そして、スタッフや学生、卒業生、と言った感じでそれぞれスポットライトがあたる。

そのあとに、みんなで真ん中に集まりボタンを押して、大量のスモークマシーンがシャーと発射。

60周年記念パーティーの開会となるのだ。


どうやら僕は、その教員代表役だった。

照れ屋な僕は、なんだか思っていたのと違うことに戸惑った。


そして、本番。

舞台裏は色々な人がスタンバイしていた。

舞台で踊る学生もいて、緊張気味に控えている。

僕も若干、緊張する。


しかし、集合時間になっても、学部長など他の人が見当たらない。

「30分ほど遅れます」

スタッフの方に言われた。

聞くと、会場前の写真撮影ブースなどでワイワイとしていて、なかなか会場入りしてこない参加者が多いらしい。

タイだなと、気が楽になった。


暗い舞台裏で待っていると、ようやく声がかかった。

舞台で、アニメーションが流れた。

一瞬暗くなった時、我々は舞台にささっと向かった。

スポットライトのあたる位置に立った。


「学部〜長!…教〜員!…」

スポットライトがあたった。眩しい。

若干、マイケル気分。


そして、舞台の中央に皆で集結。




そしてボタンを押して開会、無事に任務を終えた。




会場の席に向かうと、同僚たちは突然のスポットライトと共に登場した僕に半笑いだった。

「バーンと出てましたね 笑。ある意味、学部長のような貫禄を放ってましたよ」

褒めているんだかなんだかよくわからないが、まあ、どうやらそれなりに映ったようだ。


同僚が、映像に映し出されている状態を写真に納めてくれていた。



確かに、まんざらでもない顔をしている。

どうやら悦に入ってたようだ。


何度も言うが、僕は照れ屋だ。

でも、祭りとなれば話は別なのだ。


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2024年度の新学期が始まって3週間が経ち、今年も百人一首かるた部が始動した。


今年の入部者は10名を超え、なんとも大所帯。

5年前に数人で部を作ってから、どんどんと人数は増え、今やOBを含めると50人くらいになった。随分と賑やかになったものだと思う。


北タイのかるた大会の時に人数が足りず、ほとんど練習をしたことのない学生に入ってもらって、見掛け倒しで袴を着せたのは懐かしい記憶だ。

あの時の他大学の「なんだかすごいうまそうな人がきた」というどよめきは忘れられない。


さて、3年生の部長はいつもしっかり者。

今年も新入部員たちに全てを説明し、最後は皆で試しに百人一首を行った。

なかなか楽しそうにやっている。


かるた部。去年から急激にレベルが上がった。

練習には熱がこもり、水曜の午後の定期練習だけでなく、午前も行い、休みの日にも来ることがある。

バンコクにも何度も遠征に行くようになった。

入賞を果たす部員もおり、極めてレベルが高い。


正直、技術的な面で僕の出る幕はない。

でも学生が大学生活のうちで本気で打ち込んだのは百人一首!となるようにせめてバックからサポートしたい。


僕が今目論んでいるのは、もっと大きなかるた部となって、バンコクに行くだけじゃなくて、他の地域からチェンマイにきてもらうようにしようということだ。

チェンマイの立地をいかして、北タイやメコン川流域諸国の大学からもきて欲しいものだ。


「タイのかるたといえばチェンマイ大学」


こうなるのが最高であろう。

はっきりいって、予算さえうまく引っ張ってこれれば、できそうだ。

それほどに、今の部員たちは熱い。


タイの周辺諸国を招いての大会を開き、交流を深めつつ切磋琢磨する。

いうならば、「東南アジアのかるたといえばチェンマイ大学」ということも視野に入れることができそうだ。


まずは近日中に人数が増えたことを理由に袴を増やす予算を立ててどこかに申請しよう。

学生のモチベーションをあげるために、格好から入ること、これもまた必要。



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新しい時代に突入した感が強い。


去年AIを触った時にはさほど実感がわかなかったが、今やその進歩は目まぐるしい。

この「相棒」は僕にとって、必要不可欠な存在になりつつある。


巨大な変化に対して、目を背けるのか、乗っかってみるのか。

この態度の差が人の生き方に大きな影響を与えることは、歴史的にも明らかだ。

そして今、僕はその歴史的場面に遭遇しているようである。


現在、僕は大学で日本文化を主に「教える」立場にある。

しかし、この役割は大きな変更を迫られるだろう。

AIの前では、日本語や日本文化の知識だけでは優位性を保つことが難しくなるからだ。


最近、事務作業をAIに手伝ってもらっているが、タイ語でも英語でもミスはない。

言語の壁は日々崩されつつある。

同時通訳や翻訳も、近い将来完璧に近くなるだろう。


もちろん、言葉は文化の一部であり、文化を包括的に理解しないと言葉の深い意味を捉えることは難しい。

その点で言えば、文化を教える役割にはまだ猶予があるかもしれないが、いずれAIがこれも包括する可能性は高い。


では、どうすればいいのか。

これまでのような一方的に教える役割は後退し、むしろAIの巨大な知識を前に、学習者との関係性の中で新たな役割を見出す必要がありそうだ。

場の雰囲気を作り、AIへの質問内容や答えに対する「つっこみ」的な役割が求められるかもしれない。


AIを迎えた新時代、次のような力が重要になるだろう。

 1、AIの答えを基礎として新たな発想を生み出す力

 2、急速に変化する技術や環境に対応し、常に学ぶ力

 3、AIとの協働に関する倫理的問題の認識と、対処する力

 4、人間同士、そしてAIとの効果的な対話をするコミュニケーションの力

 5、新しい可能性を追求し、未知の領域に挑戦する好奇心と突破する力


この力を高めていこうと周りを盛り上げていくことが、「学校」という場での「教師」と言われる人間の、ひとつの役割になるかもしれない。


そのためには、「学生」から「この人と一緒に考えたい」とか「一緒に何かをしたい」と思われるようにならないといけないだろう。

だって、質問とかを投げ掛けたかったらAIにした方が楽だし、答えも早いから。


それでもそのAIではなく、あくまでもこの「人」に聞きたい。

そう思われるような人間にならないといけない。


そう、要は人柄だ。


「教師」という存在は、単なる知識の伝達者ではなく、共に学び、成長し、挑戦、喜びあう存在として認められる人柄が求められる。

皆で、「やったー。お疲れ様ー」って、何かを達成して喜びあう場を作ることのできる人柄が求められる。


そして、その人柄はAIからも認められないといけないだろう。

だって、AIとの協働においても、人間ならではの創造性や洞察力、倫理観が重要だから。


AIの新時代においてこそ、より深いコミュニケーションを通じて、人間同士、そして人間とAIとの間の有意義な関係性が築かれる。


そして、今の段階で僕は、人類学が培ってきたような現場で生の声を聞いて、生の体験をするフィールドワークが今後の教育の場におけるひとつの有効な方法論になるのではないかと思っている。

フィールドワークを通じて得られるダイレクトな人間関係と理解しあう姿勢は、AIには真似できない洞察を生み出す可能性を大いに含んでいる。

そして、それがAIの分析と組み合わさることで、より深い文化理解や社会問題の解決につながるかもしれない。

AIの新時代、フィールドワークが切り開く未来の可能性を僕は思う。


とはいえ、こうした考えに基づく教育の場での実践も、一時的な対応に過ぎないかもしれない。

正直なところ、確固たる答えはまだ見えない。


それでも、AIと人間が協働して作り出す未来、AIの分析力と人間の創造力を掛け合わせる未来。


AI × 人間。そこから広がる新たな未来の地平。


もしかしたらこれまで解決できなかった社会問題・教育問題は改善されて、とんでもなく面白い世界、面白い「教育」の場が展開しているかもしれない。


時代の大きな変化に戸惑いながらも、新しい時代へのワクワク感が強い。

AI × 人間の新時代、楽しみだ!



     
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