今を生きる赤服。印象的”過去”づくりのタクシン。

昨日7日、バンコクを中心とした地域に非常事態宣言がタイ政府より発令された。

今日のところは、政府の赤服に対する強制排除等の強行手段は見られず、目立った衝突もなかったが、赤服は明日9日、バンコクにて歴史上まれにみるほどの大規模集会を展開すると宣言している。

具体的な計画はまだ明らかにされていないが、明日は気をつけねばならない。


それにしても、タクシン氏は、民衆(特に貧困層)の心をつかむのに成功していると実感する。それは、タクシン氏のかつての政策の数々によるものだけではなく、デモの最中におけるタクシン氏の行動も大きくともなっているであろう。

ツイッター上で自分の状況を伝え、皆を励ます。で、一日の終わりには海外からテレビ電話を使ってリアルタイムで民衆を鼓舞する。

こうした一連のパフォーマンスがなければ、ここまで長きにわたって、民衆のデモ運動が続くことはなかったであろう。

張本人が国内不在の状況で、デモがこんなにも長く続いているなんてねぇ、ってことかな。


そもそも、民衆運動の類は、いうまでもなく、民衆が対権力において、なんらかの目標を掲げて行うものである。”今”起こしている運動は、よりよい未来像に向けての運動だ。いわば希望に向かっての運動である。

では、その希望的な未来像を支えるもの、あるいはそれを描くために基礎となるものは何か。それは過去の中にある記憶だ。

過去に起こった断片的な記憶をつなぎ合わせることで見えてくる、そこにあったはずの色々な可能性を、未来像につなげていくのだ。それが今の思いとして表出する。

つまり、過去→未来→現在という流れって感じ、かな。

今を生きている現実というのは、歴史的記憶をベースとした未来像が立ち現れた状態なのだ。

そんな見方をすると、タクシン氏の過去は、貧困層にとって、固い。そして、過去の数々の政策の可能性を基礎に、タクシン氏復帰によるより良き社会の実現を希望として、赤服は”今”を生きている。

で、その今を生きる赤服をうまく鼓舞するタクシン氏。鼓舞の様子もまた、民衆のタクシン氏の過去像に接続される。うまいサイクルが作られる。

タクシン氏は、印象的な過去作りに長けている。

ただ歴史的に見て、過去の記憶によって支えられるカリスマ的指導者を中心とした民衆運動は、永続性に欠ける。印象的な過去は、人びとの中で美化されすぎる可能性があるし。いうならば、過去の記憶に基づいた、一種の過去の時間への回帰の民衆運動は、いつも未完成に終わるのだ。

今後、というか明日どうなるのか。気になるところである。


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2 件のコメント:

  1. ベンヤミンの議論に近いですね。

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  2. そうですね。ベンヤミンの、現時点がもつ意味を過去に求める考え方が、いいなぁと思ってます。ま、今村仁司先生の議論も大いに参考にしてますけど。

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