5月22日16時半。 仕事を終えたあと、地元の高校生&大学生の姉妹に日本語を教え始めた時、クーデターが発生した。 タイでクーデターを経験するのはこれで、2度目。 別に驚きもしなかった。 妙にヘリが、ロッブリーの上空を飛んでいる、というくらいの印象である。 ところで、22日。 実はロッブリーに来て、丸一年が経った。 (新居からの眺め) 早いもんである。 来た当初は、右も左も分からず…と言いたいところだが、一年間のブログや写真を見返すと、なんとも緊張感のない自分の姿がうかびあがる。 大学に挨拶に行ったその日の夜には、大学から離れた村へニウェート先生と行って、泥酔して帰っている。 しかもその帰宅先は、女子大生2人の部屋だった。 当初まだ会ったこともなかったその女子大生たちは、1年間、僕に色々ないたずらをしつつ、これから新3年生になろうとしている。 1年間、色々あった。 多くを学んだ。 楽しかった。 そして、もうすぐ、新しい学期が始まる。 その準備のため、バシッと仕事! そう思っていたところに、このクーデター。 お上の指示で、急遽、今日から3連休。 なんだか拍子抜けだ。 (新居近くの、ロッブリーで一番ウマいスッキーを出す店) とはいえ、よし! 来週からはビシッと仕事だ! … まてよ? そういえば、来週は学部の先生たち50人以上がそろって、チャーン島へ旅行。 全然、緊張感ない。 要するに、今もロッブリーは安全なので、ご心配なくということです。 (ロッブリーで一番ウマいはずのスッキー) <関連記事> ・30半ばの日本人、タイの女子大生の部屋でなんとも痛たまれない気持ちになる。 ・高い志をもつタイ人文化研究者との、ロッブリー初日の夜。 ・ロッブリー。アパート徒歩3分圏内。 ・タイ・ロッブリーのプール。日々、分刻みで行動す。 ・タイの反政府デモとは無関係なロッブリーの穏やかさと、僕の父母。 (function(d, ...
タイでの誕生日。タンブン & パーティー。
ど う も! 珍しく、ハイテンションで書き出してみた。 実は、先週誕生日を迎えたのだ。 「リョウタさん。明日、誕生日でしょ。一緒にお寺に行きましょうね」 誕生日の前日、上司の先生に誘っていただいた。 タイでは、誕生日、お寺に行ってタンブン(積徳行)をするのが一般的なのだ。 僕は日本でも、誕生日になると護国寺へお参りに行くのが常な男。 無論、先生のお誘いを、快諾する。 「あそこのお寺がいい、いやあっちの方がいい」などと、学科内で話し合う。 そして、当日。 「さ、リョウタさん。行きましょう。学校の仏像に」 「あれ? 昨日言ってたお寺じゃないんですね」 「そうね。私たち女性は、お坊さんに触れることができないから、タンブンの方法にも疎いし…それに、学校の仏像なら近いし。気持ちがこもっていればどこもご利益があるでしょう」 「そうですね。お寺まで行くには、暑いですしね」 昨日の話し合いは何処へ、最終的には校内の仏像へと向った。 最近の暑さは、尋常じゃない。 校内というのはちょうどいい距離感だろう。 なにせ、歩いて2〜3分ってところだろうか。 セミの鳴くなか、学科の先生達とタンブンをする。 我々はワイワイと騒がしく向ったが、さすがにタンブンをするときは真面目だ。(当たり前か) 「いや〜、リョウタさん。これで1年間、健康で楽しくできるね」 「そうですね。タンブンすると、やっぱり気持ちいいですね」 なんとも、お気楽でのどかな会話。 そして、タンブンを終えてからは、学部の先生たち10人ほど集まって、鍋パーティー。 ケーキまで用意していただいていて、なんとも恐縮。 タイらしい、生クリームたっぷりのケーキに「35」のロウソク。 少し照れくさかったが、異国での誕生日祝い。 嬉しいかぎりだった。 ありがとうございました! <関連記事> ・友達の誕生日パーティとギャンブル ・イサーンの友人と僕の、育ってきた環境の違い。 ・タイ王家による歴史的な洪水対応(ライ・ナーム) ・タイはロッブリーの、ゲーテ。 ・200年前のソンクラーン(タイ正月、水掛祭り)と今。 ...
タイ学生4年生の卒論指導と、涙のこと。
あれよ、あれよと、もう5月。 僕のロッブリーでの教員生活も、もうすぐ1年経つわけだ。 というわけで、この前、初めて、4年生の学生を卒業で送り出した。 4年生の授業をしたことはなかったが、しかし3人の小論文の指導を受け持った。 「ワケの分からないタイ人がネットで書いた文章のコピーは認めない」 「勿論、日本人の書いたものをそのままコピーしても、認めない」 「自分の言いたいことをはっきりと、データを並べ順序立てて書かなきゃ、意味がない」 「言いたいテーマにそった研究史を調べてきなさい」 ・・・・ とにかく、僕は生徒への注文が多かった。 卒業論文は学生生活最後の総まとめ。 妥協はしてほしくなかった。 そして、結論としては、タイの地方の大学の日本語学科の学生としては珍しいであろう。 全員が江戸時代の史料を使った、なんとも面白い小論文を完成させた。 1人目。 この子は、当初から日本人のお辞儀や礼儀に興味をもっていた。 「お辞儀について書きます」 「うん。でも、お辞儀について、というけど、それはなぜ?」 ・・・ とにかく僕は、なぜ、なぜを追求。 そして、学生から出た疑問の最終形は、「なぜ、日本人は、頻繁にお辞儀をするのだろう?」 日本人以外からみれば、そう思われるらしい。 そういえば、昔、本で読んだ、江戸期における西洋人の日本人観にも、そんなことが書いてあったことを思い出した。 すぐに、この生徒とともに、西洋人の史料にあたる。 僕は次から次へと史料をわたし、生徒はへろへろ。 でも、そこで分かったのは江戸時代のお辞儀は、今とは様子が違うということ。 で、明治の小学校教育を確認したところ、今に至るお辞儀の方法が確立されたことがわかったのだ。 つまり、今日本で見られるお辞儀の形式は近代国家形成時に「創られた伝統」。 その指摘をタイ人がしたことは、大きな意義があるだろう。 2人目。 この子は、民俗学に興味がある子。 「日本人の結婚式に興味があります。特に信仰です」 「そう言われても、結婚式の民俗はテーマが広いね。もう少ししぼれないかな…」 そして出た疑問は、 「どうして、日本人は結婚式のときに白無垢を着るんだろう?で、どうして色直しするんだろう?」 室町時代から着物の歴史を振り返る。 また、色や形にもこだわる。 江戸時代の着物の絵にもあたる。 この子もまた、へろへろ。 うーん、うーん悩む毎日。 「タイの人は出家するよね。頭を丸めたあと、すぐに黄色い服を着て、お坊さんになるわけじゃないよね?まずは白い服を着ない?で、儀礼を一通り済ませたあとに、黄色い服に着替えて晴れてお坊さんになるんじゃない?とりあえず、ヘネップという人の『通過儀礼』という本を読んでみな」 このアドバイスによって、彼女はパーと開けたのだろう。 小論文を書き終えた。 新しい人生を迎えるための結婚式。 白無垢を着ることで、花嫁はこれまでの自分の象徴的な「死」を迎える。 独り身でも、妻でもない、まったく何者でもない過渡期の状態になる。 そして、白無垢を着たまま儀礼を終えたあとで、色直しをして、新しく花嫁として「再生」した自己を示す。 歴史と民俗を上手にとらえた小論文となった。 そして、3人目。この子は、4年生唯一の男。 「温泉がやりたいです」 そういって、最初にもってきたのは、温泉のパンフレットのようなものだった。 どう指導を進めるか、と一番頭を痛めた子だった。 2人で温泉の歴史を眺める。 そこで目にとまったのは、江戸時代の「温泉番付」。 広告の発生は人々の温泉旅行への高まりを示している。 そして、毎年横綱に輝く草津温泉。 理由は… ハンセン病に効くとある。ぴーんとくる。 「これだね。これは重要なテーマだよ」 僕は彼にそう告げた。 で、結論としては、明治に入ると草津温泉はハンセン病治療に対する評判は増し、患者のための村、そして現在には病院までもできた。 つまり、「温泉は個人のためだけのものではない。地域社会にも大きな影響を与える」 こんな視点で日本の温泉を語るタイ人はそういないはずだ。 3人の小論文はもちろん荒削りで、穴も多く、結論の是非もなんともいえないだろう。 ただ、データを使って、言いたいことを、証明する。 このプロセスは踏まえさせたことは、僕は自信を持っていえる。 それは、3人が本当に頑張って、僕の注文に応えてくれたからだ。 学生は、毎日毎日、僕のところにきた。 「眠い、眠い。先生、頭痛いよ〜」 そう言いながらも、毎日学び、論文は少しずつ、少しずつ、完成へと近づいた。 「先生、バンコクに行って調べ物をしたいんですが、一緒に行ってくれませんか?」 そう言ってくれただけで、本当に嬉しかった。 学生と一緒に、僕もたくさんのことを学んだ。 そんな4年生が卒業した。 皆、泣いていた。 僕は、彼ら、彼女達の授業をもったことはない。 でも、1年間、一緒に話をしたり、遊びに行ったり、論文指導で数ヶ月間ともに学んだ。 だから、僕は本来は彼らの卒業を喜ぶべきなのに、とても寂しく思ったし、涙がこぼれた。 各自の小論文についてOKを出した日、着物の論文を書いた子が言った。 「先生、調べれば調べるほど、言いたいことが出てきます。この続きを書いたら、チェックしてくれますか?」 お辞儀の子は、 「先生、自分で調べて、勉強するって大変… でも勉強ってこんなにも面白いということを知りました。ありがとうございました」 と言った。 彼女達の言葉は、教員1年生の僕としては、なんともいえない喜びだった。 きっと、一生、忘れることはないだろう。 こちらこそ、お礼を言いたい。 「みんな、よく頑張った!ありがと〜」 あ、そういえば、温泉の男の子はなんと言ったか、思い返す… 「リョウタ先生。このあともう一軒行きましょう。ロッブリーにもディスコあるんですよ」 3時近くまで飲み、次の日はなかなかの二日酔いになったことも、忘れることはないだろう。 <関連記事> ・大学生から授業をボイコットされる??? ・日本ー中国の文化実習。「はいはい」を連続させる、タイ大学生の圧巻パワー。 ・タイ式のおかゆとタフネスな教員。 ・泥まみれ、踊る。壮絶な新入生受け入れ儀式、ラップノーン。 ・女子大生宅の、タイ式焼き肉パーティー。 ...