あれよ、あれよと、もう5月。
僕のロッブリーでの教員生活も、もうすぐ1年経つわけだ。
というわけで、この前、初めて、4年生の学生を卒業で送り出した。
4年生の授業をしたことはなかったが、しかし3人の小論文の指導を受け持った。
「ワケの分からないタイ人がネットで書いた文章のコピーは認めない」
「勿論、日本人の書いたものをそのままコピーしても、認めない」
「自分の言いたいことをはっきりと、データを並べ順序立てて書かなきゃ、意味がない」
「言いたいテーマにそった研究史を調べてきなさい」
・・・・
とにかく、僕は生徒への注文が多かった。
卒業論文は学生生活最後の総まとめ。
妥協はしてほしくなかった。
そして、結論としては、タイの地方の大学の日本語学科の学生としては珍しいであろう。
全員が江戸時代の史料を使った、なんとも面白い小論文を完成させた。
1人目。
この子は、当初から日本人のお辞儀や礼儀に興味をもっていた。
「お辞儀について書きます」
「うん。でも、お辞儀について、というけど、それはなぜ?」
・・・
とにかく僕は、なぜ、なぜを追求。
そして、学生から出た疑問の最終形は、「なぜ、日本人は、頻繁にお辞儀をするのだろう?」
日本人以外からみれば、そう思われるらしい。
そういえば、昔、本で読んだ、江戸期における西洋人の日本人観にも、そんなことが書いてあったことを思い出した。
すぐに、この生徒とともに、西洋人の史料にあたる。
僕は次から次へと史料をわたし、生徒はへろへろ。
でも、そこで分かったのは江戸時代のお辞儀は、今とは様子が違うということ。
で、明治の小学校教育を確認したところ、今に至るお辞儀の方法が確立されたことがわかったのだ。
つまり、今日本で見られるお辞儀の形式は近代国家形成時に「創られた伝統」。
その指摘をタイ人がしたことは、大きな意義があるだろう。
2人目。
この子は、民俗学に興味がある子。
「日本人の結婚式に興味があります。特に信仰です」
「そう言われても、結婚式の民俗はテーマが広いね。もう少ししぼれないかな…」
そして出た疑問は、
「どうして、日本人は結婚式のときに白無垢を着るんだろう?で、どうして色直しするんだろう?」
室町時代から着物の歴史を振り返る。
また、色や形にもこだわる。
江戸時代の着物の絵にもあたる。
この子もまた、へろへろ。
うーん、うーん悩む毎日。
「タイの人は出家するよね。頭を丸めたあと、すぐに黄色い服を着て、お坊さんになるわけじゃないよね?まずは白い服を着ない?で、儀礼を一通り済ませたあとに、黄色い服に着替えて晴れてお坊さんになるんじゃない?とりあえず、ヘネップという人の『通過儀礼』という本を読んでみな」
このアドバイスによって、彼女はパーと開けたのだろう。
小論文を書き終えた。
新しい人生を迎えるための結婚式。
白無垢を着ることで、花嫁はこれまでの自分の象徴的な「死」を迎える。
独り身でも、妻でもない、まったく何者でもない過渡期の状態になる。
そして、白無垢を着たまま儀礼を終えたあとで、色直しをして、新しく花嫁として「再生」した自己を示す。
歴史と民俗を上手にとらえた小論文となった。
そして、3人目。この子は、4年生唯一の男。
「温泉がやりたいです」
そういって、最初にもってきたのは、温泉のパンフレットのようなものだった。
どう指導を進めるか、と一番頭を痛めた子だった。
2人で温泉の歴史を眺める。
そこで目にとまったのは、江戸時代の「温泉番付」。
広告の発生は人々の温泉旅行への高まりを示している。
そして、毎年横綱に輝く草津温泉。
理由は…
ハンセン病に効くとある。ぴーんとくる。
「これだね。これは重要なテーマだよ」
僕は彼にそう告げた。
で、結論としては、明治に入ると草津温泉はハンセン病治療に対する評判は増し、患者のための村、そして現在には病院までもできた。
つまり、「温泉は個人のためだけのものではない。地域社会にも大きな影響を与える」
こんな視点で日本の温泉を語るタイ人はそういないはずだ。
3人の小論文はもちろん荒削りで、穴も多く、結論の是非もなんともいえないだろう。
ただ、データを使って、言いたいことを、証明する。
このプロセスは踏まえさせたことは、僕は自信を持っていえる。
それは、3人が本当に頑張って、僕の注文に応えてくれたからだ。
学生は、毎日毎日、僕のところにきた。
「眠い、眠い。先生、頭痛いよ〜」
そう言いながらも、毎日学び、論文は少しずつ、少しずつ、完成へと近づいた。
「先生、バンコクに行って調べ物をしたいんですが、一緒に行ってくれませんか?」
そう言ってくれただけで、本当に嬉しかった。
学生と一緒に、僕もたくさんのことを学んだ。
そんな4年生が卒業した。
皆、泣いていた。
僕は、彼ら、彼女達の授業をもったことはない。
でも、1年間、一緒に話をしたり、遊びに行ったり、論文指導で数ヶ月間ともに学んだ。
だから、僕は本来は彼らの卒業を喜ぶべきなのに、とても寂しく思ったし、涙がこぼれた。
各自の小論文についてOKを出した日、着物の論文を書いた子が言った。
「先生、調べれば調べるほど、言いたいことが出てきます。この続きを書いたら、チェックしてくれますか?」
お辞儀の子は、
「先生、自分で調べて、勉強するって大変…
でも勉強ってこんなにも面白いということを知りました。ありがとうございました」
と言った。
彼女達の言葉は、教員1年生の僕としては、なんともいえない喜びだった。
きっと、一生、忘れることはないだろう。
こちらこそ、お礼を言いたい。
「みんな、よく頑張った!ありがと〜」
あ、そういえば、温泉の男の子はなんと言ったか、思い返す…
「リョウタ先生。このあともう一軒行きましょう。ロッブリーにもディスコあるんですよ」
3時近くまで飲み、次の日はなかなかの二日酔いになったことも、忘れることはないだろう。
<関連記事>
・大学生から授業をボイコットされる???
・日本ー中国の文化実習。「はいはい」を連続させる、タイ大学生の圧巻パワー。
・タイ式のおかゆとタフネスな教員。
・泥まみれ、踊る。壮絶な新入生受け入れ儀式、ラップノーン。
・女子大生宅の、タイ式焼き肉パーティー。
鼓舞のクリック、よろしくお願いいたします。
学生さん達も頑張ったし、Ryotaさんも食あたりや、犬に噛まれーのしましたが
返信削除ロッブリーでの教師生活良く頑張りましたね!
この1年を通してRyotaさんが生徒さん達に好かれているのがすごくわかりましたよ!
食あたり、ありましたね〜。笑
返信削除あれは悲惨でした。
でも、この1年、本当に楽しかったし、勉強になりました。
これからも精進します!楽しく、ですね。