「私の役目は、地域の人びとが徳を積んで幸せになることの手伝いなんです」
ピーターコン祭りの中心人物であり、地域の人びとの精神的な柱になっているジャオポーグアンはそう語った。
父親の跡いで由緒あるジャオポーグアンの地位につき、若い頃から修行に励んできた人徳者。
力強い目とオーラをもっており、それでいて皆を包み込むような優しい雰囲気も兼ね備えている。
数年前に初めてお会いしたとき、そんな印象をもった。
地域住民のジャオポーグアンに対する信仰心は深く、参拝者はあとをたたない。
ジャオポーグアンが語るように、地域の人びとは氏の人徳によって幸福へと近づくかのようである。
そんなジャオポーグアン。
ピーターコン祭りという大祭を前に、とある儀礼を通じて大いなる力を得る。
今回は、その大いなる力の源泉について考えてみたい。
とある儀礼とは「バイシースークワン」と呼ばれるバラモン教由来の招福儀礼のこと。
バナナの葉で作られた須弥山をかたどるバイシーบายศรีを皆で囲み、招魂や招福を行う、ラオの社会では一般的な儀礼である。(詳しくはコチラ)
これがジャオポーグアンの家で行われたのだが、そりゃあもう、たくさんの人。
皆白い服で身を包み、手を合わせている。
招魂儀礼師による司会のもと、儀礼は進む。
須弥山の力がジャオポーグアンの手を通じて入り、魂が強化される。
須弥山の力?
それはなんだろう。
そもそも須弥山とは、古代インドの世界観における”中心の山”のこと。
聖山であり、世界の軸となる。
バラモン教や仏教、ヒンドゥー教などに共有された考え方である。
タイでいうと須弥の思想は、寺院の建築構造でもみられる。
たとえば寺院の回廊や階段で、龍神ナーガの姿をよく見かけないだろうか。
これは寺院が須弥山として中心に位置し、その象徴的中心の山から流れ落ちた水に龍神ナーガが住まう。
そんな世界観が示されているのだ。
つまりは、龍神ナーガと須弥山は不可分といえる。(ヒンドゥー教では元来神々の住むスメール(須弥)山の西方守護神がナーガ、とかね)
しかも、ピーターコン祭りの行われるここダンサーイは極めてナーガの信仰が深い。
だから、ジャオポーグアンの受ける須弥山からの力とは、龍神ナーガの力とも大きく関わっているようである。
そういうわけで、こんなシーンも。
龍神から力を受けたジャオポーグアンが、お返しに食べ物を与えたり、
あるいは招魂儀礼師が龍が喜ぶであろう水を葉っぱを使って与えたり、
といったシーンである。
これはまさに龍神ナーガへのお返しともとれそうなのである。
こうして龍神の力がジャオポーグアンに備わっていく。
と、そうこうしている内に、玄関の外が騒がしくなってきた。
精霊ピーターコンたちがジャオポーグアンの家の前にやってきたようだ。
祭り前の儀礼は、ここから終盤へと向って行く。
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