いま、ヤンゴンの歴史的建築物30選本がタイで紹介されるというコト。




ネット版のBangkok Post を読んでいると、「過去のスナップショット」と題したページが気になった。



タイーミャンマーの今後の関係を考える上で、なかなか興味深いので触れておきたい。



このページは、ミャンマー・ヤンゴンの歴史的建築30選を扱った本を紹介している。



ミャンマー・ヤンゴンにおける歴史的建築物に関して、どういった特徴があるか、保存状態はどうか、オススメの建築物は…など多岐にわたって書かれている。

ヤンゴンの歴史的建築を前にすれば、その静寂な空間において、植民地時代にその身をタイムスリップさせられるとのこと。

そんなすばらしい建築物群の写真集なのである。

つまり、歴史的建築物を素材としてミャンマーの良さが十二分に伝えられる本、てなわけだ。




で、ページの最後には本の中から切り取られたいくつかの美しい写真。






「ああ、行ってみたいなぁ」と素直に思う。

実際に本を手にしたら、もっとその気持ちは高まるだろう。



タイ人にとっても同じだろうか?

きっと見に行ってみたいと思うんじゃなかろうか。

歴史に支えられた建築物はそれほどまでに魅力的だ。



しかし、そもそもミャンマーとタイの関係史はあまり明るくはない。

「近くて遠い国」なんて言葉もある。



ラーマ五世の異母兄弟で歴史家のダムロン親王が記した、20世紀初頭の書物『タイ・ビルマ戦役』によると、両国はアユタヤー期以降なんと40回以上も交戦している。

中でも1569年と1767年の2度の敗戦は、タイにとっては大きい。

1569年の敗戦によってアユタヤは、ナレースワン大王によって独立を取り戻すまでの15年間、ビルマ王朝の属国になった。

それに、二度目の敗戦によってアユタヤ朝は終焉を迎える。

タイの「国史」ではミャンマーとの歴史は屈辱の敗戦史としての色合いが濃いのだ。



その反面、タイのナショナリズムを呼び覚ますケースも、ミャンマーとの交戦の中から導きだされる。

ナレースワン大王、シースリヨータイ王妃が典型的だ。

ビルマによる侵略からの救国の英雄として彼らは映画化され、タイのナショナリズムを支えている。



タイにおいてミャンマーとの歴史を語ること。

それは、敗戦の屈辱という側面がありながらも、国家的英雄創出には欠かせない要素である。

歴史的な意味では、タイにとってミャンマーは複雑な存在なのだ。



だが現在、経済的にはミャンマーは有効なパートナーである。

タイは、一般消費財をミャンマーに輸出し、木材などの一次品をミャンマーから輸入している。

それに安い労働力確保としてミャンマーの人を採用している部分もある。

ミャンマーとの経済面での結びつきはタイにとって有益なのだ。

ただ、国境線の少数民族やミャンマーからの難民の問題など双方で解決が迫られる問題もまだ山積み、でもある。





つまり、タイからみたミャンマー。

歴史的関係は明るくはない。

でも経済的には重要なパートナー。

両国で解決すべき問題もまだまだある。

ミャンマーはいま、変わろうとしている。

ミャンマーとの新しい結びつき方、協力関係の深化が必要となる。



こうした文脈で考えれば、「ああ、ミャンマーって奇麗な建物があるんだなぁ。歴史的背景はこんな感じなんだぁ。行ってみたいなぁ」とダイレクトに一般の人びとの心に迫るような本がタイで刊行されることは意義があろう。

両国のこれからの関係性は、互いの魅力や歴史的背景を知り、尊重しあうことが基礎になると思うからだ。



「近くて遠い国」

そんな言葉を過去のものにするために、ミャンマーの魅力がタイの人びとにジワジワと伝わっていくこと。

もちろん逆にタイの魅力がミャンマーに伝わっていくこと。

そんな文化面の相互交流が新しい協力関係には必要とされるのだ。



歴史的建築物という過去から受け継がれた立派な遺産が、そうした”使われ方”をされるのはまぁアリかな!と思うのです。

      Crumbling Colonial Secretariat building By mckaysavage(source:Frickr.com)


あぁ…それにしても、行ってみたい。




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