祭りの行列ともなれば、山車が出る。 まぁ、どこの国も共通しているだろう。 インドではその昔、山車にひかれて死ぬことが天国への道につながると考える民衆も多くいたらしい。(13〜14世紀にアジアを旅したオドリコ・ダ・ポルデノーネ見聞) タイでそこまでの救済思想に基づいた山車に関わる行為は聞いたことないが、それでも祭りになると色鮮やかな山車がでることに変わりはない。 ピーターコン祭りも同様である。 祭りでは異様な出で立ちの精霊たちが大騒ぎする。 で、そんな仮面を模した山車もでるのだ。 「どうだ!」と言わんばかりの態。 たださえ狭い道にひどい人ごみ。 そこをバカでかい山車が通るのだ。 決して迷惑とか言ってはいけない。 しばし、山車を眺める。 感じるのは祇園祭の山車などとはまた違った雰囲気である。 そう、そこにあるのはご陽気と迫力。 お祭り騒ぎの人々の間を我が物顔でくぐり抜ける山車はあくまでもご陽気でかつ迫力あるのだ。 「オイ、オイ!ちょっと落ち着け!落ち着け!」 「右をもうちょっと力いれろ!右だよ、右!そっちじゃない!ワッハッハ…」 何やらこんな声が聞こえてくる。 ?と思い、下を見て合点がいった。 山車は複数人によって原始的に運ばれていたのである。 息が合わねばウマく進まない。 行列は炎天下、3時間以上続いたはずだ。 ご陽気な中で実は繰り広げられていた壮絶な戦い。 足たちを眺めていると、彼らの苦労と哀愁を感じずにはいられないのである。 こうして皆の協力のもと、パレードを終えた山車は国道へと消えて行った。 「また来年」 僕は、そんな風にちょっと寂しく山車を見送ったのであった。 まぁ翌日、近くのガソリンスタンドをまるで馬鹿にするかのように居座る山車を見かけたことは触れないでおきたい。 (function(d, ...
日本人撮影の100年前(?)のバンコク映像。
ちょっと面白い映像があったのでのせておきたい。 คลิปวีดีโอ หาดูยาก กรุงเทพของเราเมื่อ 100 ปีก่อน 「貴重なビデオクリップ 100年前の我が街バンコク」と題された映像だ。 出典がどこにあるのか記載がないので詳しいことは不明なのだが、100年前のバンコクの風景らしい。 まあ、100年前は言いすぎな気がする。 第二次世界大戦中の頃くらいだろうか。 実は、日本人が撮影したこの映像。 最初はサイレント映像かと思わせるが、途中から突然音声が入り驚かされる。 ナレーターはタイが左側通行が非常に面白いと感じているらしい。 愉快というほどかどうかはよくわからないが。 「日本」なんて書かれた看板も見られ、当時の町並みをよく映している。 なんとも続きが気になるところだ。 ちなみに映像に出てくる店名を何件か検索かけたみたが、どうも現状不明。 まぁ、王宮周辺は間違いないように思うのだが… (function(d, ...
首輪がちょっと切ないけど、癒しのイヌたち。
タイの大学の図書館前。 ベンチに腰をおろしコーヒーを飲んでいると、何やら気配を感じた。 下を見れば、いつの間にやってきたのか、イヌがゴロンと寝転がっている。 頭がちょいとはみ出していて、なかなか愛嬌がある。 気づけば僕は、明らかに同じ犬種のイヌたち(むしろ兄弟?)に囲まれている。 それにしても、首輪が貧相で可哀想というか、 あるいは派手派手というか… なんともいえない態だ。 そんな首輪をあざ笑う僕に対し、まるで抗議するかのようなイヌの瞳。 「好きでやってるんじゃねえ」 妙な首輪のイヌ達は、図書館の前にたむろして和やかなムードを演出している。 この場所のこの光景。 僕が知る限り少なくとも4年ほど、一向に変わっていない。 (function(d, ...
僕を呼び止めた、小さな精霊。
ポンポンポン。 ピーターコン祭りを観察していると、後ろからモモを小突かれた。 振り返ると小さなピーターコン精霊が立っている。 そして小精霊は、カタッと首を横にかしげた。 「写真撮って欲しいの?」 僕はそう言って、カメラを向けた。 小精霊はコクリッと頷いて静止した。 黄色の面に、ちゃんちゃんこみたいな赤い服。 ちと、お面が大きいのか、しっかりと両手で押さえている。 写真におさめられると、小精霊はヒョコヒョコとどこかへ行ってしまった。 なんともかわいらしい精霊に呼び止められたもんである。 (function(d, s, id) { var js, fjs = d.getElementsByTagName(s)[0]; if (d.getElementById(id)) ...
イヌ伸びの構図が可愛い件。
市場でイヌ。 伸びが何とも可愛かったので載せてみる。 (function(d, s, id) { var js, fjs = d.getElementsByTagName(s)[0]; if (d.getElementById(id)) return; js = d.createElement(s); js.id = id; js.src = "//connect.facebook.net/ja_JP/all.js#xfbml=1"; fjs.parentNode.insertBefore(js, fjs); }(document, 'script', 'facebook-jssdk')); <関連記事> ・犬とともに、夕焼けを。 ・コレこそ、まさに・・・(タイの愛しき野良犬たち) ・洪水を突き進むトゥクトゥクなど・・・タイ人の変なアイディア集。 ・洪水を忘れさせる睡魔。 ・バンコクで虹を。 ...
CNN のお気に入りタイ料理 7選とは。
My favorite Thai dish(私のお気に入りのタイ料理)と題したレポートが、CNN internationalに掲載されていた。 読んでいるとあまりに食べたくなってきたので、熱が冷めぬうちに、その7選とともに僕の思いを記しておきたい。(意味不明だが) CNNのレポーター陣のお気に入りタイ料理は次の7つだ。 1 ガイ・トート(フライドチキン) 仕事帰りにチキンと500グラムのカオニアオ(餅米)を一緒に食らう!とレポーター。 なかなかな喰いっぷりだ。 ガイトートは当然のことながら、それぞれの店によって味が異なる。 歩んできた歴史も然りだ。 写真の店ガイトート・OKUBOはその昔、大久保に住んでいたというおっちゃんが営業している。 写真は2年以上前のものだが、先日通りかかったら少し場所をずらして営業していた。 おっちゃんはトレードマークの眼鏡をとり、サングラスをかけていたが何も変わっちゃいなかった。 おっちゃんの顔が見たい!、あるいはおっちゃんと僕とのやり取りをそれなりに知ってみたい!という方はコチラで確認いただきたい。 2 スア・ローンハイ(トラが泣く/牛肉のタレ焼き) (Crying ...
いま、ヤンゴンの歴史的建築物30選本がタイで紹介されるというコト。
ネット版のBangkok Post を読んでいると、「過去のスナップショット」と題したページが気になった。 タイーミャンマーの今後の関係を考える上で、なかなか興味深いので触れておきたい。 このページは、ミャンマー・ヤンゴンの歴史的建築30選を扱った本を紹介している。 ミャンマー・ヤンゴンにおける歴史的建築物に関して、どういった特徴があるか、保存状態はどうか、オススメの建築物は…など多岐にわたって書かれている。 ヤンゴンの歴史的建築を前にすれば、その静寂な空間において、植民地時代にその身をタイムスリップさせられるとのこと。 そんなすばらしい建築物群の写真集なのである。 つまり、歴史的建築物を素材としてミャンマーの良さが十二分に伝えられる本、てなわけだ。 で、ページの最後には本の中から切り取られたいくつかの美しい写真。 「ああ、行ってみたいなぁ」と素直に思う。 実際に本を手にしたら、もっとその気持ちは高まるだろう。 タイ人にとっても同じだろうか? きっと見に行ってみたいと思うんじゃなかろうか。 歴史に支えられた建築物はそれほどまでに魅力的だ。 しかし、そもそもミャンマーとタイの関係史はあまり明るくはない。 「近くて遠い国」なんて言葉もある。 ラーマ五世の異母兄弟で歴史家のダムロン親王が記した、20世紀初頭の書物『タイ・ビルマ戦役』によると、両国はアユタヤー期以降なんと40回以上も交戦している。 中でも1569年と1767年の2度の敗戦は、タイにとっては大きい。 1569年の敗戦によってアユタヤは、ナレースワン大王によって独立を取り戻すまでの15年間、ビルマ王朝の属国になった。 それに、二度目の敗戦によってアユタヤ朝は終焉を迎える。 タイの「国史」ではミャンマーとの歴史は屈辱の敗戦史としての色合いが濃いのだ。 その反面、タイのナショナリズムを呼び覚ますケースも、ミャンマーとの交戦の中から導きだされる。 ナレースワン大王、シースリヨータイ王妃が典型的だ。 ビルマによる侵略からの救国の英雄として彼らは映画化され、タイのナショナリズムを支えている。 タイにおいてミャンマーとの歴史を語ること。 それは、敗戦の屈辱という側面がありながらも、国家的英雄創出には欠かせない要素である。 歴史的な意味では、タイにとってミャンマーは複雑な存在なのだ。 だが現在、経済的にはミャンマーは有効なパートナーである。 タイは、一般消費財をミャンマーに輸出し、木材などの一次品をミャンマーから輸入している。 それに安い労働力確保としてミャンマーの人を採用している部分もある。 ミャンマーとの経済面での結びつきはタイにとって有益なのだ。 ただ、国境線の少数民族やミャンマーからの難民の問題など双方で解決が迫られる問題もまだ山積み、でもある。 つまり、タイからみたミャンマー。 歴史的関係は明るくはない。 でも経済的には重要なパートナー。 両国で解決すべき問題もまだまだある。 ミャンマーはいま、変わろうとしている。 ミャンマーとの新しい結びつき方、協力関係の深化が必要となる。 こうした文脈で考えれば、「ああ、ミャンマーって奇麗な建物があるんだなぁ。歴史的背景はこんな感じなんだぁ。行ってみたいなぁ」とダイレクトに一般の人びとの心に迫るような本がタイで刊行されることは意義があろう。 両国のこれからの関係性は、互いの魅力や歴史的背景を知り、尊重しあうことが基礎になると思うからだ。 「近くて遠い国」 そんな言葉を過去のものにするために、ミャンマーの魅力がタイの人びとにジワジワと伝わっていくこと。 もちろん逆にタイの魅力がミャンマーに伝わっていくこと。 そんな文化面の相互交流が新しい協力関係には必要とされるのだ。 歴史的建築物という過去から受け継がれた立派な遺産が、そうした”使われ方”をされるのはまぁアリかな!と思うのです。 ...