・恩師の突然の別れに放心。
・恩師の突然の別れに放心。
・学生の卒論発表。昔、先生に大激怒されたゼミ時代を思い出す。
・タイ教員セミナーでの講演を終えて、恩師を思う。
・一周忌、いつもと同じ帰り道。
・ロッブリーの川散歩。
・夕方5時からの、ロッブリー風情。

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年が明けた。
クリスマスと年末はパーティーをしたが、それ以外は静かなものだ。
この状況下、旅行に行くこともできず、外出といえば『鬼滅の刃』上映を見たくらい。(2度目。ツマゴマは3度目)
のんびりと正月を過ごしたのである。
さて、さて。
最近突如として、タイではコロナ新規感染者数が増え始めてきた。
ということで、年明け一発目からオンライン授業に切り替わった。
また数ヶ月前の状況に逆戻りである。
朝8時からの江戸の文化の授業。
ZOOMに学生を招待して待っていると、「シャワー中」と名前を変更して入ってきた学生。
入ってきても、ずっと無言。
そりゃ、新年一発目、8時からの授業は確かにハードだが、あまりに正直だな。笑
「サワッディー・みなさん。先生もサワッディークラップ」
彼は、頭を拭きながら、いなせに画面に現れた。
さっぱりしている。
そして授業中は、誰よりも発言し、質問をした。
うーん、メリハリ。
というわけで、今月いっぱいはまたオンライン授業が続く。
今年もよろしくお願いします、みなさん。
くれぐれも健康第一で。
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・いい教え子に恵まれたもんだ
・ずっと心に…

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「知り合ってもう1年だな。カンパイ」
友人は笑いながらドイツビールがなみなみと入ったグラスを持ち上げた。
早いもので友人と出会ってから1年も経った。
彼とはこの1年、カフェで『サピエンス全史』について話をした。(最近はなかなかできていないが…)
彼には時間を割いて英会話に付き合ってもらっているので、僕は授業料を渡そうとする。
しかし、彼は決して受け取らない。
「レッスンじゃないんだ。これは議論だから、お金をもらうことはない」
…男気がすごい。
彼はもともとチェンマイ市内の高校で英語を教えていた。
もう10年になるという。
しかし、その高校を3月に辞めた。
なぜなら、今年の4月から日本の大学で教えるはずだったからである。
しかし、新型コロナ。
それによって、日本にいくことができなくなってしまった。
彼は、日本に行く資金を貯めるために、チェンマイ市内の小さなゲストハウスに2年も住んでいた。
ただベッドがおいてあるだけの、窓もトイレもない部屋。
それも、日本へ行くためだった。
しかし、日本行きは延期となり、小さなゲストハウスの部屋で自粛生活が始まった。
「日本のビザがでたんだ」
そう笑顔で言っていた後におとずれた不意のコロナ。
この落差は大きいはず。
僕は心配だった。
「まるで独房で過ごした4月からの数ヶ月は、精神がおかしくなりそうだった。まあ、今となれば貴重な経験だったけどね」
彼は笑って、そう話す。
すごい精神力と前向きな姿勢の友人に、僕は感心しっぱなしだ。
きっと本当にキツいはずなのに、愚痴一つ言うことなく…本当に人格者である。
日本の大学の後期から仕事に行けることを希望していたが、結局それもダメだった。
今はチェンマイ市内で新たな職場を見つけた。
学校で英語を教えながら、日本に行ける4月を待っている。
そんな友人と先週、ドイツ料理を食した。
あーでもない、こーでもないと話をする。
ユーモアのある彼は、何かと冗談を言う。
これがアメリカンジョークっというやつか、と実感する。
「もう少し飲むか?」
二次会は彼が2年住んでいたゲストハウスに行った。
そう、彼は新しい仕事を始めたと同時に、引っ越したのである。
彼のかつてのカナダ人ルームメイト、ゲストハウスのオーナーも交えて飲んだ。
屋外の店は、お世辞にも綺麗とは言えないが、ムードがある。そう言って、友人は笑った。
タイのほとんどのことが日常となり、当たり前になってしまった感がある。
でも、こうして皆と駄弁っていると、忘れかけてしまった異国にいることで生じる熱い気持ちみたいなものが、ふっと湧いてくる。
いろいろな背景を持った人たちが交錯する場の空気感が、そうさせるのだろう。
「いやー、やっぱいいなータイ!」って声を出したくなる。
そんな瞬間が、時々ある。
それが、たまらなく心地いい。
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日本研究センターの人類学の先生と時々、ご飯やコーヒーをご一緒させていただく。
先生は世界的に著名な方で、尋常じゃない博学さ。
先生からの話は面白いのなんの。
ラオスのある場所について僕が話せば、
「ああ、その辺を何十年か前にブラブラ歩いていたらチャールズ・カイズとバッタリ出会ってね…」
公文書館の話をすれば、
「僕が若い頃、アヌマン・ラーチャトンと数回、公文書館で一緒になってね。日本人が珍しかったから、向こうはよく話しかけてくれたなぁ…」
ダムロン親王(ラーマ5世の異母弟)の話をすれば、
「そういえば、アユタヤ歴史研究センターを建てたときに、ダムロン親王(ラーマ5世の異母弟)の子供だか孫だかがいたなぁ…」
歴史資料の保存のことを話をすれば、
「昔、石井米雄さんとやったプロジェクトでね…」
なんというか、話題の中に、書物でしか目にしないような人の名がさらりと出てくる。
それに、先生のフィールドワークの話も印象深いものばかり。
僕が最近研究している山地民の話を持ち出すと、
「昔、うーん。30年前くらいのことかな。僕も山地の部族にお世話になったことがあったなあ。山奥深いところにいた部族で、人々と話をしていたら夕方になってしまって。そしたら、夕食を食べていけと勧められてね。偉く歓迎してくれたんだ。で、食べ終わったらあたりは真っ暗で。そしたら彼らは町まで送ると言って、松明を持って10キロ以上の道のりを一緒に歩いて下山してくれたんだ。偉く歓迎してくれて、ありがたかったなあ」
先生は微笑んでいた。
松明で2時間以上の道のりを行列…
なんだか、すごい話だ。
先生は北タイをフィールドとして50年以上。
もともとはラオスを研究対象地にしたかったそうだが、当時の情勢不安で断念。
流れ着いた地がたまたまチェンマイだったという。
日本では民博で仕事をし、名誉教授になってからはチェンマイに戻って、チェンマイ大で教鞭をとられている。
先生に時々お会いしてご飯をご一緒し、いろいろなお話を聞かせてもらえる時間は至極である。
改めて、ありがたい環境下に住んでいるなと実感する。
・学生の卒論発表。昔、先生に大激怒されたゼミ時代を思い出す。
・タイ教員セミナーでの講演を終えて、恩師を思う。
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・もしや”呪い”じゃないか? と怯えてみる。
・100年前のタイ語史料の文章が示していたのは「逆柱」だった。タイ語で端的になんと呼ぶのか気になる。
・タイ王国 国立公文書館への出張。
・くずし字を翻刻するOCR「KuroNet」ワクワク。手書きのタイ語史料翻刻AIも開発して欲しい…
・バンコク公文書館への出張と調査。楽しくて仕方ない。

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