散歩、薔薇、(お金)。

一日1万歩。
去年の自粛が明けた5月くらいから、ほぼ欠かすことなく歩いてる。
健康のためにと始めたが、これがすこぶる気持ち良いし、楽しい。

朝と夜に分けて歩き、特に朝は最高だ。
誰もいない静かな道、まぶしい朝日、活動し始める犬や動物たち、道端のお金。
うん?お金?

そうなのだ。
ニマンヘミン通りを歩いていることもあって、よくお金が落ちているのである。
さすが、チェンマイの青山の異名を取る(?)ニマンヘミン。バー多き土地柄である。
みな、酔っ払って落としてしまうのであろう。

通常で1-2バーツくらい。
多いときで50バーツ札を拾った。
風になびく50バーツを見たときは、思わず声が出た。

断っておくが、散歩はお金目当てではない。
あくまでも健康のためである。
このことははっきりしておかなくてはならないだろう。

ただ、偶然にお金を見つけてしまうのである。
キョロキョロと当たりを見回す仕草は、きっとそんなにはしていないはずだ。

お金以外を拾うこともある。

先日は一輪の薔薇が落ちていた。
花の部分にカバーが付けられたまま、道端に落ちていた。
葉っぱはもうシナシナだった。

誰かが女の子にでも買ったのか。
でも、恋は成就することなく、道端に落とされたのか。
もうこの薔薇は、カバーから開放されて元気に咲くことなく、このまま捨てられてしまうのか。
しおれた葉っぱが痛々しく、答えのない想像をする。

不憫に思い、持ち帰ることにした。
一輪の花を持ったまま、散歩。
ちょっと小粋で、いなせだ。

マンションの警備員の人が、戻ってきた僕の手に握られたしおれた花を見た目を僕は見逃さなかった。
まあ、行きは手ぶらででかけたのに、帰りに一輪の花を持って帰ってきたら、確かに不自然かもしれない。
でも、小粋に「おつかれさまです」と挨拶を交わした。

部屋について、すぐさま手頃な入れ物を探した。
花のカバーを外し、茎に斜めにハサミをいれて、水にさした。

「これで咲くもんかね?」
「きっと咲くんじゃないかな」
ツマゴマは言った。




夕方、仕事から帰宅してみると、見事に一輪の花が生き返っていた。

それから数日間、枯れることなく、咲いていた。
花は、部屋をポッとしてくれる。
豊かな気持ちにさせてくれる。
あのまま捨てられなくて、本当によかった。

というわけで、朝の散歩は、日々に彩りを与えてくれて、本当に最高。
今日も元気にテクテクである。

ところで余談だが、1月は自粛期間で、バーはやっていなかった。
だから11月下旬から始めた「拾ったお金瓶入れ(寄付用だ!)」も、今月は音が鳴らなかった。

※寄付用だ。


こう書くと、まるでお金集めのために歩いているようだが、もう一度言っておきたい。
健康とリフレッシュのために歩いている。
これは、声を大にして言っておきたい。



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