合理的だなぁ。

きっと、クルクルと新聞紙を丸めて、中にサッと入れる。

そんな感じだろう。


シンプルでかっこいい、っていつも道を歩いていて思う。


まっ、こっちのほうがもっとシンプルか。



でも、雨に弱いにもほどがあるか・・・


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ディンデーン交差点近くの教会へ散歩。



そこで、神父が信者との別れ際に、ワーイ(タイ式挨拶:合掌)をしているのを目の当たりにした。

「神父もタイ式挨拶なんだぁ」と、それはそれで、驚きだった。


まぁ、余談はさておき、僕が「タイ」「キリスト」のキーワードで頭に浮かぶは、安井てつ氏のことだ。(以下敬称略)

自由主義的キリスト教徒の安井てつは、1904年から3年間、バンコクのラーチニー(皇后)女学校の教育主任として働いた。(学校はパーククローン市場やワットポーの近く)



彼女がバンコクにいる間、日本の親友に宛てて書いた手紙は、当時の安井やバンコクの状況を伝えていて面白い。


”日々あつくて実に閉口、夜も寝室をとぢて(盗賊の恐れあれば)蚊帳の中に入ると汗がぐつしより、ハンケチでふきゝ、団扇であふぎゝ、苦しみつゝ終に疲れてねむる様、時には我ながらかはいそうに候、懐剣はあまり短くて却りて危険、私は長き鉄の棒を寝室に置きて毎夜やすみ申候”


赴任したての頃の手紙だが、暑さにまいり、盗賊におびえる安井の心情を察する。

今のバンコクなんて、ましなほうだろう。


だが、最初に赴任した場より新校舎へ移ってから、状況は良くなっている。

”此度移つた学校ハメナン河の岸にある官様の御家、庭もひろく、家も立派で実に御大名になつた心持がしますよ、・・・・各室皆電気燈の設があり、又客間と食堂ニハ(エレキトリック、ファン電扇)がありますよ、併倹約して平生ハつかひません、私の室のまえニハ・・・「メナン」河を見はらすのですよ・・・”

扇風機を倹約か。僕がエアコンをあまり使わない、みたいなもんか。

そして、メナン河(チャオプラヤー河)の景色を楽しむ、安井てつ。

チャオプラヤーに惹かれるのは、時代を越えて、誰もが一緒だな。



そして、チャオプラヤーを眺めていた時代から17年後、彼女は新渡戸稲造の後を継いで、東京女子大学の学長になる。

人に歴史あり、だなぁ。


ちなみに、僕の中学・高校は、東京女子大のすぐ近くで、冬の体育の授業は、女子大の周りをマラソンした。

マラソンは通称、「女子大」。


中学・高校時代、そして現在のバンコク。

安井てつとは、何かと接点がある気がする。


まぁ、単に気のせいだろうけど。



参考:友杉孝『図説―バンコク歴史散歩 (都市散歩シリーズ)


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陰暦11月の満月の夜、メコンに棲む竜神が”火の玉”を吐く。

今日が、実は”その日”だ。





”バンファイ・パヤナーク(竜の火の玉)”と呼ばれる火の玉が打ちあがるのは、タイーラオスの国境を流れるメコン川で、特にノーンカイ県付近が有名である。

陰暦11月の満月の日は、安居を終えるオークパンサー(出安居)の日にあたり、なぜかその日の夜にだけ、メコンの水面から謎の火の玉が、飛び出すのだ。





ポンポンポン!

火の玉は上空100~150mまで打ちあがり、観客を興奮させる。


して、この火の玉。

打ちあがる理由はいまだ不明だ。


単に花火が火の玉に見える、ラオス側の兵隊が鉄砲を撃っている、などといった人為的な理由を挙げる者もあれば、メコンの川底で発生したガスが、満月の引力との関係で水面に浮かんで、地上に打ちあがるという自然現象を理由としてあげる者もいる。

現時点では、自然現象の説が有力だが、詳しいメカニズムは不明。また、距離の長いメコン川のなかで何故イサーン沿いのメコン川でしか見られないのか、といった疑問も残る。


とまぁ、こうして科学的な根拠は不明なままなのだが、しかし地元のタイやラオスの人々は信じている。

         ”メコン川に棲む竜が、火の玉を吐いている” と。



映像の老人たちは、子供の頃から火の玉が飛んでいたことを証言し、その神秘性を強調している。

多くの人々が、メコンの神秘を一目見ようと現地に訪れ、竜神を祀る。


映像を見ていると、火の玉が水面から飛び出す”本当の理由”なんて不明なままのほうがいいような気がする。

竜神が火の玉を吐いていると信じているほうが、よほどロマンにあふれ、魅力的ではないか。



これを記している17時45分現在、おそらく多くの人々がメコン川沿いに座って、竜神が火の玉を吐くのを待っているはずである。去年は50発ほど確認できたらしいが、今年はいかほどであろう。

現地に行けない僕は、「そろそろ、テレビ中継も入るはずだ」などと思っているところである。


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Bodyslam。タイで人気のグループだ。





そのBodyslamの”ความรักクワームラック(愛)””คิดฮอดキットホート(恋しい)”を歌うラオスの歌い手の映像である。

キットホートはこのブログにて歌詞を日本語訳したことがあるが、ラオの伝統音楽モーラムとのコラボ曲ということで、ラオスでもやはり人気が高かった。

それ以外も、演奏される曲はほぼタイのものであり、それにあわせてラオスの若者たちが歌い、踊る。

タイ音楽のラオスへの影響力に驚かされた。


よく、「音楽に国境はない」という言葉を聴く。

たしかに、ラオスへの浸透ぶりを見れば、納得いく言葉だ。


ただ、音楽は、越境するとはいっても、それはあくまでも一方通行的な性格のものである。

たとえば、ラオス人がタイや西洋の音楽を好意的に受け入れ、ラオスにそれらがますます浸透したとしても、その逆は圧倒的に少ないものだ。



それは、音楽自体の良し悪しの問題ではない。

音楽の背後にひかえる”文化”の問題である。文化の影響力の問題である。

その国の文化の影響力が強ければ、文化の一部としての音楽も受容されるわけだ。

その意味で言えば、タイはラオスにとって大きな影響力を持つ文化を担っている。タイの発信する文化はラオス側に好意的に受け入れられている。



タイとラオスの関係史は、決して明るいものとは言い難い。ラオスにとっては、”下に扱われてきた”歴史であろう。

それでも、タイの音楽を好意的に受け入れ、皆で歌い踊る。

あらためて、民族的、歴史的なへだたりやわだかまりを少しずつ溶かしていく文化のパワーを感じる。



国という枠組みに視点を置いた場合、経済的、あるいは武力的な優位性だけで議論することは今後難しい。いかに国の魅力を自ら発見し、表現・発信するか。それが問われていくだろう。

なぁんてことを、名も知れぬラオス歌手によるBodyslamを聞きながら感じたのだった。

ってまぁ、2ヶ月ほど前のことだけど...


ちなみに、映像はラオス・ビエンチャンにある”タワンデーン”という店。タワンデーンはバンコクにおいてはドイツ・ビアホールの店として有名だが、どうやらビエンチャンのそれは無関係のようだった。


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最近、雨が降り続いている。

タイの各地、特に東北部イサーンでは洪水が発生し、大変なことになっている。

道路は川と化し、水深1m以上になってしまった、なんて土地もざらだ。


ニュースは連日、各地の被害状況を伝え、道を舟で行きかう人びとや、水田が水に浸かっている様子を映し出している。

各地で義捐金が集められ、王室は1千万バーツの援助を決定したらしい。


そんな厳しい状況下。あるタイ人は言った。

”バンコクも近いうちに大洪水に見舞われる。そして、海抜の低いこの地域は一気に沈んでしまう”と。


まぁ、未来予想の実際は別として、確かにバンコクは洪水が多い。ちょっと雨が降り続けば、すぐに道は水浸しになる。

そしてそれは、今も昔も変わらない。

そんな様子を伝えてくれるのが、冒頭であげた映像だ。

今から70年ほど前、1942年のバンコクにおける洪水被害を伝えるものである。


映像は、今もバンコクの観光名所として名高い場所を映している。

旧国­会議事堂 → ラーマ5世騎馬像 → 王宮周辺 → 民主記念塔 → ファランポーン駅 → ヤワラート(­中華街) → ラーマ6世像前 → アヌサワリーチャイ(戦勝記念塔) → 旧国会議事堂 、と。


当時の舟やバス、路面電車、街並み、そして人びと。

王宮周辺や中華街付近は人も多く、活気がある。

しかし、かつて僕が住んでいたアヌサワリー(戦勝記念塔)周辺の、何も無い情景には驚かされる。当時はこのあたりは街外れ、だったのだろう。

当然のことながら、街は大きく拡大、変貌したのだ。

とはいえ、映像に映し出されるタイ人たちの、ほのぼのとした人懐っこい笑顔。それはあまり変わっていない印象である。




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裸の男が、踊りながら道を歩き、豪快に火を吹いた。


絶妙のタイミングでシャッターが切れたため、最初にアップしてみたものの、別に、この火吹き男が祭りのメインではない。



火吹き男を撮影したのは、バンコク・シーロム通りのワット・ケーク(ケーク寺)。インド寺として名高い寺院だ。

そのケーク寺にて先日、”ダサラー”、あるいは”ナヴァラートリー”と呼ばれるヒンドゥー教の祭りがあったのだ。

祭りは、ヒンドゥー教における女神達が、邪悪なアスラ達に勝利したことをお祝いするために祈りをささげるという、女神を祀るものである。

そのため、色とりどりの供え物に飾られた女神たちが沿道を埋めつくす。






通りは人であふれかえる。





祭壇の前では、信者たちがインド音楽に合わせて踊り、祈りをささげる。





トランス状態になって、踊りたくる呪術者も多い。






ときおり奇声を発することもあり、見ているこちらはドキリとさせられる。





一般の人々はこぞって呪術を施してもらう。幸福、健康など願いは様々であろう。





祭壇の前には様々な呪術師がいて、一般の人々は各々相談をしていたが、個人的に言わせてもらえば、この男性はどうも信用しがたい。


喫煙しながら相談を受けるって。笑  僕ならば、絶対に相談しないだろう。

(ただ、かばうつもりはないが、話しぶりはフランクで人がよさそうだった)




で、次の映像の女性は、ロウソクを口に含んだあとに、一般の人に息を吹きかけて呪術していた。



でも、それよりも、後ろで無我夢中で踊る女性が気になって仕方ない。

当初、「森三中か!」って内心思ったのだが、どうもしっくりこない。


で、ビデオを見直していて気づいた。

「そうか、板尾の嫁(「ガキの使い」より)風なんだ!」

板尾の嫁の迫力ある神がかり的なダンスは、ここに由来していたのだな。 

(まぁ、知らないけど)



というわけで、なかなか珍しいヒンドゥー祭り。

バンコクでヒンドゥー教の祭りが盛大に行われ、タイ人もこぞって訪れタンブン(積徳行)するのも、タイが他宗教に寛容な宗教=仏教国であり、そして徳につながればなんでもやるというタイ人の国民性あってかな?

って、仏教はヒンドゥー教の一分派か。



それにしても祭りの後はいつも寂しい。

バスから見る情景も、なんだか物悲しげにうつる。



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前回の続きである。ここで、共同体の闇の部分や人間の本質的な恐ろしさが明らかになる。


儀礼3日目。




まだ、どうやら6匹のピーポープ=胆喰いの霊がいるとのこと。

ということで、ヨーイどん!で棒をもった男が村の徘徊を始める。


相変わらず男たちはトランス状態で、道端でばたりなんて光景も見られる。

そして僧侶は相変わらずの脚力をみせつけている。


儀礼初日から続く光景がまた繰り広げられ、ちょっと中だるみ的な3日目が終わった。

胆喰いの霊は、全8匹のうち6匹、捕獲されたとのこと。残り2匹!だ。



儀礼4日目。(2:20)

人形はある家へと男を導いた。

そこは、村の祠での儀礼を司るヂャムと言われる者の家だ。(ヂャムは村の草分けの人間が世襲しているケースが多い。毎年祠での儀礼だけでなく、かつては村の決まりごと、たとえば村長を決めるなどにおいてもこのヂャムが祠に伺いをたてていた:赤木攻『復刻版 タイの政治文化―剛と柔』)

変なおやじが、妙に胡散臭い表情をして、家の中を徘徊する。(3:07)

そこで発見されるシープンといわれる呪術の道具。(3:35)これを唇に塗ると、希望することが成就するといわれている。

そしてついに、胡散臭い表情のおやじは2人の前で止まった。

胡散臭げに棒を振り回す。(3:43)

この2人が肝喰いの霊に憑かれている、としたのだ。(4:00)


指摘されたほうは、悲惨である。村人から胆喰いの霊として扱われてしまうのだ。

そこで女性の主人は、必死に弁解する。

女性は精神の病を患っていて、3年以上通院している。胆喰いの霊がとり憑いているわけではない。我々の家が商売繁盛していることに対しての嫉妬心から、胆喰いの霊に憑かれているとでっち上げられている、と。

しかし、村人そんな言葉を信じようとはしない。

胡散臭い表情の男は、家の前で胡散臭げに棒をぐるぐる振り回し、最後は胡散臭げに道端に倒れこんだ。(5:15)

ということで、2人は儀礼を受けることで、2人の中に巣食う胆喰いの霊が祓われることになったのである。(5:50)



広場に、捕獲された霊を入れた壷、つまり卵が詰まった壷が置かれた。

そして、肝喰いの霊にとり憑かれた女性に糸が巻きつけらて、卵を焼く場とつなげられる。

おびえる女性。


僧侶は呪文を唱え、その後に糸を切り、女性と卵焼きの場を離した。

これにより、女性の中にいた肝喰いの霊は、卵を焼く場に閉じ込められたのだ。


点火される卵を焼く場。(0:45)大きく燃える炎は、村に巣食う霊のすべてを焼き祓ったのだった。



村人は語る。

”もうサバーイ(心地いい)だ。眠りも快適で、うれしい。”(1:02)


僧侶は語る。

”肝喰いの霊は、誰にでもとり憑く。人々の弱き心に入りこむのだ。”


このように、皆が霊の存在を信じているわけだが、当の憑かれたと確定された女性は語る。

”別に霊にとり憑かれていたわけではない。でも儀礼に応じたのは、それで村人が安心するならば、という思いだけ”と。

彼女は村人からのでっち上げに屈するしかなかったわけだ。そしてこの先ずっと、肝喰いの霊に憑かれた女性として村人から見られ、ひっそりと生きていくことが強いられるのである。



このように肝喰いの霊を払う儀礼はイサーンの各地で見られるが(3:50)、その度に、肝喰いの霊に憑かれている人間が取り上げられて、儀礼の”犠牲”になっている。

たとえば、4:30に出てくる女性。この女性は、肝喰いの霊としてでっち上げられ村から追い出された人の孫にあたる。彼女は語る。

”村で不審な死が発生したときに、肝喰いの霊のせいで死人がでたと評判が立った。しかも、その霊とは祖母ではないかと誰かが言い出した。そして皆がそれを信じてしまった。そのため、祖母は村にいることができず、遠い地へ越した。一度言われてしまったら、皆がそれを信じるので、言われたほうがそれを覆すことはできない”



村の平穏のために、村から排除されて犠牲になった人間は数知れない。こんなケースは太古の昔からあったことだろう。共同体のもつ闇の部分である。

タイでは、近代化がすすむ現状を憂い、過去の共同体を美化する議論がある。しかし、一見、平和で美しく穏やかな共同体の裏には、それを守るための犠牲者や暗い歴史があることも事実である。村から排除された犠牲者があってこそ、共同体の秩序は保たれてきたのだ。


ピーポープ=胆喰いの霊。村人はその霊の恐ろしさを語る。

でも、結局のところ、霊なんかより、人間の心そのもののほうがよっぽど怖え、って話である。


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