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チェンマイ大学60周年記念パーティーの舞台。

「新米のくせに、スポットライト当たっちゃってさ」ツマゴマに言われた。 チェンマイ大学は今年、60周年を迎えた。僕が所属する人文学部も、大学設立時からなので60周年。ということで、色々なグッズが売られたり、式典が行われたりしている。冒頭の写真は記念パーティーでの一枚だ。パーティーの数日前、学部からの内線がなった。「パーティーのオープニングのとき、舞台で先生たちが写真を撮るんです。舞台に立ってもらってもいいですか?」僕は別に構わないと答えた。たくさんの先生が並ぶ中に立つと思ったのだ。「よかった。では、リハーサルがあるので当日14時に会場に一度来てください」そう言って、電話が切れた。14時。会場に行ってみると、学部長と学生数名、スタッフの方しかいない。「あれ?なんか妙に人が少ないけど、時間を間違えました?」僕は学部の方に尋ねた。「いや、揃っていますよ」リハーサルを通じてわかった流れは次のようなものだった。まずはアニメーションがスクリーンに映し出される。「ある男の人が、街に教育をもたらそうとして、少しずつ設備を整えていきました…それは、地方で初めての国立大学になりました…」みたいな感じのナレーション。「そして、それから60年が経って…」「学部〜長!」学部長に、バーンとスポットライトが当てられる。「教〜員!」バーンと教員にスポットライト。そして、スタッフや学生、卒業生、と言った感じでそれぞれスポットライトがあたる。そのあとに、みんなで真ん中に集まりボタンを押して、大量のスモークマシーンがシャーと発射。60周年記念パーティーの開会となるのだ。どうやら僕は、その教員代表役だった。照れ屋な僕は、なんだか思っていたのと違うことに戸惑った。そして、本番。舞台裏は色々な人がスタンバイしていた。舞台で踊る学生もいて、緊張気味に控えている。僕も若干、緊張する。しかし、集合時間になっても、学部長など他の人が見当たらない。「30分ほど遅れます」スタッフの方に言われた。聞くと、会場前の写真撮影ブースなどでワイワイとしていて、なかなか会場入りしてこない参加者が多いらしい。タイだなと、気が楽になった。暗い舞台裏で待っていると、ようやく声がかかった。舞台で、アニメーションが流れた。一瞬暗くなった時、我々は舞台にささっと向かった。スポットライトのあたる位置に立った。「学部〜長!…教〜員!…」スポットライトがあたった。眩しい。若干、マイケル気分。そして、舞台の中央に皆で集結。そしてボタンを押して開会、無事に任務を終えた。会場の席に向かうと、同僚たちは突然のスポットライトと共に登場した僕に半笑いだった。「バーンと出てましたね ...

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タイ制覇を目指して。チェンマイ大学 百人一首かるた部、今年度も始動!

2024年度の新学期が始まって3週間が経ち、今年も百人一首かるた部が始動した。今年の入部者は10名を超え、なんとも大所帯。5年前に数人で部を作ってから、どんどんと人数は増え、今やOBを含めると50人くらいになった。随分と賑やかになったものだと思う。北タイのかるた大会の時に人数が足りず、ほとんど練習をしたことのない学生に入ってもらって、見掛け倒しで袴を着せたのは懐かしい記憶だ。あの時の他大学の「なんだかすごいうまそうな人がきた」というどよめきは忘れられない。さて、3年生の部長はいつもしっかり者。今年も新入部員たちに全てを説明し、最後は皆で試しに百人一首を行った。なかなか楽しそうにやっている。かるた部。去年から急激にレベルが上がった。練習には熱がこもり、水曜の午後の定期練習だけでなく、午前も行い、休みの日にも来ることがある。バンコクにも何度も遠征に行くようになった。入賞を果たす部員もおり、極めてレベルが高い。正直、技術的な面で僕の出る幕はない。でも学生が大学生活のうちで本気で打ち込んだのは百人一首!となるようにせめてバックからサポートしたい。僕が今目論んでいるのは、もっと大きなかるた部となって、バンコクに行くだけじゃなくて、他の地域からチェンマイにきてもらうようにしようということだ。チェンマイの立地をいかして、北タイやメコン川流域諸国の大学からもきて欲しいものだ。「タイのかるたといえばチェンマイ大学」こうなるのが最高であろう。はっきりいって、予算さえうまく引っ張ってこれれば、できそうだ。それほどに、今の部員たちは熱い。タイの周辺諸国を招いての大会を開き、交流を深めつつ切磋琢磨する。いうならば、「東南アジアのかるたといえばチェンマイ大学」ということも視野に入れることができそうだ。まずは近日中に人数が増えたことを理由に袴を増やす予算を立ててどこかに申請しよう。学生のモチベーションをあげるために、格好から入ること、これもまた必要。<関連記事>・チェンマイ大学かるた部。第一回タイ・オンラインかるた競技大会、優勝ー!!!・チェンマイ大学 ...

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AI × 人間:「教師」の先へ

新しい時代に突入した感が強い。去年AIを触った時にはさほど実感がわかなかったが、今やその進歩は目まぐるしい。この「相棒」は僕にとって、必要不可欠な存在になりつつある。巨大な変化に対して、目を背けるのか、乗っかってみるのか。この態度の差が人の生き方に大きな影響を与えることは、歴史的にも明らかだ。そして今、僕はその歴史的場面に遭遇しているようである。現在、僕は大学で日本文化を主に「教える」立場にある。しかし、この役割は大きな変更を迫られるだろう。AIの前では、日本語や日本文化の知識だけでは優位性を保つことが難しくなるからだ。最近、事務作業をAIに手伝ってもらっているが、タイ語でも英語でもミスはない。言語の壁は日々崩されつつある。同時通訳や翻訳も、近い将来完璧に近くなるだろう。もちろん、言葉は文化の一部であり、文化を包括的に理解しないと言葉の深い意味を捉えることは難しい。その点で言えば、文化を教える役割にはまだ猶予があるかもしれないが、いずれAIがこれも包括する可能性は高い。では、どうすればいいのか。これまでのような一方的に教える役割は後退し、むしろAIの巨大な知識を前に、学習者との関係性の中で新たな役割を見出す必要がありそうだ。場の雰囲気を作り、AIへの質問内容や答えに対する「つっこみ」的な役割が求められるかもしれない。AIを迎えた新時代、次のような力が重要になるだろう。 1、AIの答えを基礎として新たな発想を生み出す力 2、急速に変化する技術や環境に対応し、常に学ぶ力 3、AIとの協働に関する倫理的問題の認識と、対処する力 4、人間同士、そしてAIとの効果的な対話をするコミュニケーションの力 5、新しい可能性を追求し、未知の領域に挑戦する好奇心と突破する力この力を高めていこうと周りを盛り上げていくことが、「学校」という場での「教師」と言われる人間の、ひとつの役割になるかもしれない。そのためには、「学生」から「この人と一緒に考えたい」とか「一緒に何かをしたい」と思われるようにならないといけないだろう。だって、質問とかを投げ掛けたかったらAIにした方が楽だし、答えも早いから。それでもそのAIではなく、あくまでもこの「人」に聞きたい。そう思われるような人間にならないといけない。そう、要は人柄だ。「教師」という存在は、単なる知識の伝達者ではなく、共に学び、成長し、挑戦、喜びあう存在として認められる人柄が求められる。皆で、「やったー。お疲れ様ー」って、何かを達成して喜びあう場を作ることのできる人柄が求められる。そして、その人柄はAIからも認められないといけないだろう。だって、AIとの協働においても、人間ならではの創造性や洞察力、倫理観が重要だから。AIの新時代においてこそ、より深いコミュニケーションを通じて、人間同士、そして人間とAIとの間の有意義な関係性が築かれる。そして、今の段階で僕は、人類学が培ってきたような現場で生の声を聞いて、生の体験をするフィールドワークが今後の教育の場におけるひとつの有効な方法論になるのではないかと思っている。フィールドワークを通じて得られるダイレクトな人間関係と理解しあう姿勢は、AIには真似できない洞察を生み出す可能性を大いに含んでいる。そして、それがAIの分析と組み合わさることで、より深い文化理解や社会問題の解決につながるかもしれない。AIの新時代、フィールドワークが切り開く未来の可能性を僕は思う。とはいえ、こうした考えに基づく教育の場での実践も、一時的な対応に過ぎないかもしれない。正直なところ、確固たる答えはまだ見えない。それでも、AIと人間が協働して作り出す未来、AIの分析力と人間の創造力を掛け合わせる未来。AI ...

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40を超えてからの友人

40を超えてからできた友達。僕とほぼ同い年の彼は、かつてチェンマイに10年以上住み、高校で英語を教えていた。僕も英語が少しでも話せるようになりたかったから、彼に連絡をとった。「個人授業はしてないけど、ディスカッションをするということであればいいよ」とOKしてくれた。あれは2019年のことだったと思う。初対面から、妙に馬があった。毎週スターバックスで、ユヴァル・ノア・ハラリのSapiens: A Brief History of Humankindについて、章ごとにディスカッションした。英語が拙い僕の声にもしっかりと耳を傾けて、わかりやすい英語で話してくれた。ディスカッション以外にもお酒を飲んだり、どこかに行ったりと、まあよく遊んだ。2020年に彼は日本で働くことが決まったが、コロナで足止め。どう動くこともできない大変な時期を経て、2022年にようやく日本に行くことができた。ということで、僕は日本に一時帰国する時は、彼に会っている。先月は一緒に東京都写真美術館にいった。作品を眺め、お互いの視点で話す。美術館を出てから、ぶらぶらと歩いた。かつてチェンマイで一緒にいた彼と、こうして恵比寿を歩くのは不思議な気分だ。その後、彼の同僚のお勧めという店で、一杯やった。確かに妙にアメリカン。同僚が勧めるのもわかる。そして、アメリカンな彼はやはり似合う。いい夜だった。チェンマイに戻った今、彼とzoomを使ってのディスカッションを再開した。ーThe ...

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居座り学生

今年、チェンマイ大学は60周年記念年。「12の倍数を大切にするタイ人にとって、60周年は大きな意味をもつんですよ」と同僚のタイ人の先生が言っていた。ということで、大学の式典準備が始まっている。僕は60周年記念の学部内委員に入っているので、どんなことを行うか、どんなグッズを作るかなどの会議に参加している。大学の企画がこのように回るのかぁ、と勉強になる。最近はありがたいことに、様々な委員や担当に携わらせてもらっている。学部諸イベントの委員、かるた部の顧問、論文査読委員、日本研究センター所長、カリキュラム運営委員、卒業式委員など…。年齢的に完全に中堅で、外交業務や、組織の意思決定を求めらる場面が多くなってきた。本人はいたって高校男子校生の精神状態のままのつもりでも、これらに携わっている僕は、周囲の方々からみれば割と気を遣う対象になりつつあるのかもしれない。僕自身はフランクに話していても、相手は立場という背景がちらついている可能性がある。少し寂しいことだが、だからこそ、僕はきちんとした振る舞いや配慮が求められるだろう。先日、研究室に学生数名が尋ねてきた。そして部屋に座り込み、1時間以上、ダベっていた。僕が仕事をしている横で、お構いなしにワイワイ騒いでいる。「・・・ははは。ですよねー、先生?」突然、振られる。「何が?聞いてなかったよ」「ははは。先生、仕事してるんだね」なぜか、笑ってる。「先生、見て見て。外でなんかやってるよ」窓から覗くと、職員の方達がボッチャという競技をやっていた。日本研究センターの職員の子も混じっていた。学生は窓を開けて、「おーい、⚪︎⚪︎さーん」と、その職員に手を振った。毎日会っているのに、なんか違う形で見かけあうと、手を振りたくなる。僕も「おーい」と手を振った。職員の子も、それ以外の方たちも、下から手を振ってくれた。微笑ましい光景だ。「あーダメだ、先生。暑い。早く窓を閉めて」学生が言った。周囲が気を遣い始めているというのは勘違いだったか、と思わなくもない。特に意味はないけど部屋に居座ってくれる学生たち。僕としては、嬉しい。そんな研究室の窓からは、ハナモツヤクノキの赤い花が満開が見ごろです。  ...