年末年始、日本に一時帰国していた。
そして、正月は理由あって、家族で東北・遠野へ行った。
遠野では車を借りたので、「東北に来たからには、やはり一度は被災地に訪れなければならない」という思いのもと、ホテルの方の勧めにしたがって、陸前高田へと向った。
遠野から山々を越え、そろそろ陸前高田かという場で、目の前にひろがった広大な土地。
なにもない。
津波に襲われた範囲の、そのあまりの広さに驚愕する。
海岸に近づくにつれ、言葉を失う。
外は、強い風がふいていた。
涙がでて、ただただ手を合わせることしかできなかった。
陸前高田で見たこと、感じたことは、ここで何回書いても、何回書き直してみても、うまく表現できない。
”来てよかった”
ただ、そう思った、そのことだけ書いておきたい。
" 奇跡の一本松 " から駐車場へと歩いている途中、目の前に虹がかかった。
前へ歩くための虹だ、と信じている。
<関連記事>
・夜空に舞う、コムローイ(天灯)。ロッブリーの一家団欒。
・ピマーイ遺跡。どことなく感じた”わび”の源泉。
・夕方5時からの、ロッブリー風情。
・タイ・ロッブリーのプール。日々、分刻みで行動す。
・車窓から見たアユタヤー付近の洪水。その大変さを少しだが、でもモロに実感する。
鼓舞のクリック、よろしくお願いいたします。
地震からもうすぐまる3年になるというのにまだ殆ど何も変わっていないんですね。
返信削除阪神大震災でもニュースなどでは復興が進んでいるような報道が何度もありましたけど、
神戸に住んでいて実際に”ようやく・・・”と思えたのは震災から10年後ですよ、10年!
東北の人たちの我慢強さにいつまで政治家も役人も甘えてるんでしょう?
自分も経験してるので怒りが込み上げてしまってどうしようもないです。
じつは、Phimaiさんをはじめ、実際に被災された方を前にして、その経験のない僕はどのような言葉を発していいのかと悩みます。
返信削除でも、今、僕はタイの方達と深く関わりあいながら、彼らに日本の現在の実情や文化、歴史などを伝えることが自分の1つの大きな役割だと信じています。親日的で、基本的に日本に対していいイメージを持っているタイの方たちに、色々な日本の”現実”を伝えなくてはなりません。(けっして押し付けるのではなくて)
だから、Phimaiさんのような「怒り」はもちろん、現場やほか様々なことを、自分なりに言葉として紡ぎ発信しなくてはならないと考えています。それが、被災された方にどれだけ有効な意味をもつかどうか、それは僕は決められませんが、でも僕はなんらかの意義があるはずだと信じて動いているつもりです。
ちょっと長くなってしまい、それにガラにもない熱さ(?)をみせてしまいました。でも、これが今の気持ちです〜!