ピーターコン祭りは水に宿る神を呼ぶことから始まる。
イサーンやラオスの人びとはこの水の神をプラ・ウッパクットと呼ぶ。(細かい話はコチラ)
神招きは午前3時から始まるからなんとも恐ろしい。
祭りを前にした気分の高揚感からすすんだ前日の酒がぬけきらないからだ。
まぁ、そんな自己管理の至らなさはさておき、水の神は当然のことながら水にいる。
川や沼だ。
で、ダンサーイではマン川に宿っていると信じられている。
だからマン川にもぐって神を招かねばならない。
真夜中。
ジャオポー・セーンといわれる儀礼執行者が川の前で神を招く経をあげる。
読経が終わると唐突に、まだ辺り真っ暗な川の中を、儀礼執行役の一人が縦横無尽に泳ぎはじめる。
川の中に宿る神プラ・ウッパクット。
プラ・ウッパクットは地域によって色々な態だが、こちらダーンサーイでは卵形の石。
それを川から探し出すのだ。
まぁ、去年に引き続き今年も同じ石だったので、潜水師のおっちゃんは予めそれを持っていたか、あるいは水のどこかに隠してあったんだろう。
それでも水に潜り色んなところを探す仕草をみせる。
「これかー?」
「違う、違うー」
「じゃあ、これかー?」
潜水師のおっちゃんと、他の補佐役ジャオポーセーンとのやり取りが続く。
いくらタイは暑いとはいえども、真夜中の川の水はこたえることだろう。
というか、水は完全に泥水。
お世辞にも奇麗とはいえない。
それに儀礼執行者の方も、お世辞にも若者とはいえない。
なかなかの作業である。
1〜2分川を泳ぎ、ついにおっちゃんは水の神を見つけ出した。
どこか満足げに陸にあがるおっちゃん。
そんなおっちゃんのファイトを賞賛するかのように神の化身が丁重にかごへと入れられた。
そして神は、祭りの中心となるポーチャイ寺へと運ばれる。
神を招いた喜びで、行列は大騒ぎだ。
寺に到着すると、次に神の守護力を寺の四方に宿らせる儀礼が行われる。
それによって寺は神聖なケガレなき聖域となるとともに、祭りが無事に終わるように願われるのだ。
その姿は厳粛なようでいて、明るい場面もちらほら。
去年に引き続き、今年も同じおっちゃんが神の招聘儀礼を務めていたわけだが…
去年と同じように他の補佐役に何度か
「もういい、もういい」
と、読経を遮られる。
そのたびにはにかむおっちゃん。
どうやら、おっちゃんは適度という場面を越えるクセがあるようだ。
この分だと、来年もそんな場面が見られそうである。
そして読経の横では、まるでゴルゴのように拳銃を片手にタバコをすうおっちゃんがいる。
その後姿は他を寄せ付けない。
このおっちゃんは、四方の各場所に神が宿されるたびに発砲する役割なのだ。むろん空中にむけて。
この音には異常に驚かされる。
まぁ、これは直接儀礼とはあまり関係ない話だが。
というわけで、厳粛かつ和やかなムードで儀礼は終わる。
寺の四方に置かれた神は、寺全体、しいては祭りすべてを守護する。
寺に夜明けが近づく。
これからピーターコン祭りが始まることの高揚感。
おばちゃんたちは踊る。
<関連記事>
・踊る蛇。 ~ピーターコーン祭・サムハ儀礼 2~
・イサーンの村の夕食前。
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こういうのを見ると儀式儀礼がタイの人たちの生活の
返信削除日常の中に密着しているんだなーと改めて思いますね。
そして入り込み過ぎてついついやり過ぎてしまうおっちゃん、
何だか後姿だけで”言葉はいらないぜ”風なおっちゃん。
朝まで踊っても寝ずにそのまま働きに出るのかなーと思わせる
お母さんたち。タイに行ってつくづく感じた”生きている”
というエネルギー。よいですね~、ホント。
Phimaiさん
返信削除”生きている”というエネルギーですか。
そうですね。そういうの本当、感じますよね。
なんか、笑える部分とか、ちょっとちがくね?とかそういう面もありますけど、でもエネルギッシュですよね。
僕ら日本人はとかく儀礼などと距離が置かれている状況下にあるのでよけいに感じますね。何かを敬って謙虚に奉るという行為が、日常ととけ込んでいるのはすばらしいことだと思います。