「なぜ、皆泣いているんですか?」
僕と同じように儀礼の様子をカメラで撮影していた隣のタイ人に尋ねた。
「さーあ。まったく意味が分からない。どういうことだろう」
彼も首をかしげている。
ほぼ女性によって構成される儀礼集団。
彼女達は川に向かって祈りを捧げていた。
そのうち、一人の女性が泣き出すと、堰をきったように皆が涙を流しだしたのである。
だが、どうしたことだろう。
彼女達をながめていると、次第に僕も言いようのない感覚におちいる。
つられて涙が込み上げそうになる。
涙の連鎖...
そこで理由を問うことはできないようだ。
これは、タイの”奇祭”として有名なピーターコーン祭りの最終日に行われた”サムハ儀礼”の一幕である。
ピーターコーン祭りとは、ルーイ県ダーンサーイでのみで行われる祭りで、異様な姿の精霊に扮した者たちが街を闊歩する。
その姿から「タイのハロウィン」なんて呼ばれもする。
だが、実はこの祭り。
いろんな要素が絡み合い、タイ・イサーン社会の文化や心性すべてが凝縮されている。
3日間にわたって行われるこの祭りの種々の儀礼を理解すれば、タイに流れる血の成分みたいなものがみえてくる。
ピーターコーン祭りの物語性、龍神、精霊、仏教、ロケット祭り…すべてがタイ・イサーン社会の心性を反映しているのだ。
まぁそれはさておき、今回取り上げるサムハ儀礼(ブン・ブークバーン<開村記念祭>とも呼ばれる)は、タイ・イサーンの全地域・村で行われる年中行事の一つである。
村落を開いたときに追い出した土地のピー(精霊)を供養するため、あるいは一年間に蓄積された村の悪いことを祓うために儀礼が実施されるという。
一言でいってしまえば、村の厄祓いである。
儀礼ではまず、ジャオポー・グアンと言われる村の有力者と僧侶らが対置し、読経するところから始まる。
僧侶らが手にする糸は、最終的に川へと流される神輿と結ばれている。
読経によって仏法の力が転送される。
それが済むと僧侶は、神輿に巻き付けられた糸を切る。
仏法は糸を伝って神輿に転送され、そして糸が切られることによって神輿に封じ込められたのだ。
次に男達は川へと流す神輿を運びだす。
有力者ジャオポー・グアンと僧侶はそれにはついて行かない。
代わりに女性の儀礼集団が神輿の後に続くのである。
集団は川へと向って行く。
(続く。珍しく)
ポチリと応援クリックお願いします!
0 コメント:
コメントを投稿