遠い未来、弥勒の世に生まれかわることを期待して、この祭りは行われる。
ブンパウェート祭。
タイ東北部イサーンでは何度か見たことがあるが、ラオスでは初めて。
とはいえ、見聞の限り、ラオスとイサーンでは大きな差が無かった。
同じラオ人の社会だから、当然といえば当然かもしれない。
寺で僧侶の説法を聴くお婆ちゃんに、話をうかがってみた。
「そうだねぇ・・・
この祭りは、私が子供の頃からあったよ。
ラオスの村人皆が、大切にしている祭りだからねぇ。
祭りに参加すると、とても大きなタンブン(積徳行)になるんだよ。
弥勒様にも会える、というしね。
でもね、思い出すのは、子供の頃の楽しかったことかなぁ。
みんなで寺に一日中いてねぇ・・・
それは、それは楽しかったよ。
祭りの日には、大人たちがたくさん集まってねぇ。
みんな、綺麗な格好をして。
寺はいつもと雰囲気が違って、華やかで。
そこでわたしたち子供はみんな、寺の周りを走り回って遊んでねぇ・・・
そうそう、食べ物なんかもたくさん用意されてたから、だまってつまみ食いしたりしてさ。
それで、大人たちに、「お坊さんのだから!」って怒られたりしたもんだよ。
今思えば、罰当たりな行為だねぇ・・・
でもねぇ・・・
いやぁ、本当に、楽しかったねぇ・・・・」
懐かしい目で、お婆さんは静かに語った。
きっと、沢山の思い出が、寺の年中行事と重なっているのだろう。
祭りは”共同体を再生する役割を果たす”とか、”社会的な絆をつくって、民衆運動に発展する可能性を秘める”なんて、学者の間では言われ、重要視され、研究される。
僕もそんな視点をもっている、1人だ。
たしかに、祭りの機能に着目して学術的に捉えれば、そうだろう。
でも、そんな理屈を、このお婆さんに言ってみたところで、なんの意味もないような気がした。
学者がいうような理屈じゃ割り切れないコトが、当然のことだが、おばあちゃん、いや村人すべての人の記憶に刻まれているのだ。
なんだか、ブンパウェートのことで論文を書いている・・・なんて言うのがはばかれた。
少しの間、静かに、寺に流れる説法をおばあさんと並んで、聞いていた。
それだけでいいような、そしてそれが一番のような、そんな気がした。
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