いろいろとあったがようやく、「ようこそワットプーへ」的な場所に到着した。
パクセーの街からバイクで1時間20分、というところだろうか。
無事に着いた安心感から、とりあえず、ワットプーの前にあった食堂へ入る。
妙にガラーンとしていて不安だったが、これがなかなか美味だった。
「韓国からかい?」
店のおばちゃんが話しかけてきた。
「いや、日本です。どうしてですか?ワットプーには、韓国人が多く来るの?」
「いや、そういうわけじゃないけどね。やはり日本人のほうが多いよ。まぁ、ほとんどが西洋人だけどね。ただ、あなたの顔が韓国人っぽかったから」
そういえば昔、韓国で、韓国人にインタビューされたことを思い出した。
それからおばちゃんは、フラリとあらわれた若い子に肩をもまれながら、いろいろと話をしてくれた。
ワットプー遺跡のこと、この辺で行われる祭りのこと、ラオスという国のこと・・・
印象深かったのは、タイについての話だ。
「タイに行ったことあります?」
「あるよ。2回くらいかな。イサーンへ」
「タイはやっぱり好き?」
「タイは・・・そうだね、ちょっと怖いね」
それは、僕にとって思いもよらない答えだった。
「怖い?」
「そうだね。なんか怖いね。カンボジアのほうが親近感がわくよ」
うーん。意外な答えだ。
「でも、イサーン(タイ東北部)は同じラオの人々ですよね?」
「そうだね。イサーンはピーノーングカン(兄弟)だよ。彼らは信用できる。でも、タイ国はあまり信用できないよ」
どうやら、イサーンとタイ中央政府は別扱いのようだ。
もちろん、イサーンはタイの中にある一地方であり、タイ国。
でも、彼らの中では「国」と、歴史的に密接に関わる兄弟的存在としての「地域」とは、別物なのだ。
島国で育ってきた僕ら日本人には、国というものの一体性が、当然の前提になっている。
あまり、国内の「民族」の差みたいなものも意識することがない。
だから、もともと同じ民族であった(と考える)人々が、近代が生み出した「国」という範囲に、分断されることの想像力に欠けている。
そこで僕は、イサーンがタイの国家の一部となっている以上、そこの人々と出自を共にするラオスの人々も、タイのことがなんだか好きなんじゃないか、と勝手に思い込んでいたわけだ。
想像力の欠如。
それによって歪む勝手な思い込みは恐ろしいもんだなぁ、なんて思いながら、幸せそうに肩をもまれるおばちゃんの話に耳を傾けた。
ラオスの時間の流れは、あまりに緩やかだ。
応援のほど、よろしくお願いいたします
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