【遺跡入り口。石と石の間に入り込んでいた子猫。しゃべりかけると揃ってニャーと泣く】
ローイエットにしばらく滞在して、史料を集め回る予定だったのに、急きょバンコクにて予定が入ってしまった。そこで、残念だがローイエットを後にして、ダッシュでバンコクへ戻ることに。
とはいえ、用事は明日の朝から。
今日は夜遅くバンコクに着いても構いはしないということで、民衆運動があった場所とプラゴーナー遺跡だけでも見に行くことに。
そこで、ローイエットのお世話になっている人に、急きょバンコクへ帰らなくてはならなくなった旨を伝え、家を後にした。また、近いうちに来ることを約束した。
特にKさんの娘さんには誕生日には絶対に戻ってきてほしいなぁと、ボソッと言われたので、そのときにはまた是非来ようと決めたのだった。
そして、ベッドに関しては、本当にごめんなさいという気持ちでいっぱいだった。
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遺跡も民衆運動があった場所も、バンコクとは逆方向にあたったのだが、そんなことはお構い無しに、車を走らせた。
まずは、民衆運動のあった地へ。(といっても、その道すがらで、目的の遺跡を見かけたのだが)
民衆運動があった村の付近に到着するも、肝心の村の所在が分からない。
そこで、困ったときの役所ということで、情報を収集しに。いくらかの資料を得ることができ、また村の位置も把握した。
役所から村へ車を走らせ、到着した。予想通りとはいえ、当時を思い起こさせるものがあまりに何もなかった。本当にここで、何百という人々が立ち上がり、政府に対する反抗を見せたのか?というほど穏やかで、イサーンではどこでも見受けられるような村だった。
何人か村の古老に尋ねてみるも、当時のことは知らないという回答。
これは、今度まとまった時間をとって、誰かしらの紹介のもとで、きちんと聞き取り調査に来なくてはだめだなと考え、ちょっとの滞在で村を出ることにした。
史料を読むだけでは、どうしてもイメージがわかないから、今回実際に現地に来たことは決してマイナスではないだろう、などと思いながらバーミー(タイ風ラーメン)をすすった。
なぜだろうか、イサーンで食うバーミーはバンコクより安く、そして異常に美味に感じる。
気分的なものか?
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そのあとは、プラゴーナー遺跡へ。
ここは、マハーサラカム県の変わった村祠と関係する遺跡だ。そのため、興味があってきてみたのだが、驚いたことに、かつてKさんに連れられてきた遺跡だった。
ということで、どちらかというと懐かしいなという感覚で、遺跡を見たのだった。
遺跡は、11世紀ころに建てられたとされる。クメール様式。
当時のまま残っているが、やはりところどころ痛んできてはいるようだ。
遺跡の細かいことと、マハーサラカムで見た村祠とのことについては、調べがついた際に、記すことにする。
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僕は遺跡を後にした。
すると、遺跡の周りには、サルがウジャウジャいて、僕の車の上にもかなりの数、のぼっていた。一匹にいたっては、ラジオのアンテナをガシガシと噛んでいた。
また、車の周りには、観光客にサルのえさを売り歩くおばちゃんたちが、5,6人いた。タイ人ならば、タンブン(徳をつむ)のためにえさをおばちゃんたちから買って、それをサルにあげるのだろうが、僕は車に悪戯をしまくっていたサルにわざわざえさをあげる気にならず、また、実はちょっとサルが襲ってくるのが怖かったので、急いで車を出した。
車の中で、おばちゃんたちには悪いことをしたなと、ちょっと反省した。
サルに対しても大人気なかったかもしれない。
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そして、ここから6時間か7時間だろうか。田舎道を延々と、1人、車を走らせてバンコクに戻った。もちろん、”くりぃむしちゅー”で。
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