タイ東北部(イサーン)へドライブ
異国の地を車で走るのは、やはり気持ちがいい。
先日、タイ東北部のちょうど中央部にあたるローイエット県、およびマハーサラカム県に1人でドライブしてきた。ドライブと一口に言っても、全行程にして1500㌔近く走行したので、ま、あんまり気楽な感じではなかったかもしれない。
この2県は、僕が今調べている民衆運動が起こったところであり、その実際の地点を見たかったというのが、今回の旅の大きな理由だ。
また、ローイエット県には、もうかれこれ3年の付き合いになるだろうか。いつも、非常にお世話になっている家が県内にあって、そこに久しぶりに挨拶に行こうというのも大きな目的であった。村の子どもたちにも長いこと会っていない。
旅のプランとしては、まず、マハーサラカム県のとある村に向かい、そこで、バンコクから調査にきている大学の先生とそのゼミ生たちに合流し、1泊をともにし、そのあとで、ローイエット県のお世話になっている家に行くことにした。
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バンコクでレンタカーを借り意気揚々と出発。
(ちなみにレンタカー代はプロモーションで1日990バーツ(約2700円くらい)だったかな)
そして、危険な走り満載な車があふれる恐ろしいバンコク中心部の道路を抜け、ドンムアン空港を過ぎたあたりで、「音楽でも」と宇多田のCDをオーディオに差し込んだ。しかし残念ながらエラーの文字。違うCDを何枚入れても同様。これからマハーサラカム県まで、約500キロ、無CD。
ただ、友達から受け継いだi-podを持参していたことが救いだった。これがなかったら、運転するとすぐに睡魔に襲われる特徴をもつ僕は、どこかしらで居眠り事故を起こしていた可能性が高い。そういう意味では、友達は大いなる恩人である。
とはいえ、私のi-podは”くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン”のポッドキャストのみ。ということで、全行程、ずっと、くりぃむしちゅー漬けだった。だが、「おそらく、おそらくだが、今現在、タイの田舎道をくりぃむしちゅうのラジオを聴きながら走っているやつは他にいないだろうな」と思うと、心なしか晴れ晴れとした気分になり、意気揚々とマハーサラカム県に向けて疾走したのだった。何事も、1人しかやっていないと思うと気持ちがいいものか。
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マハーサラカム県へは、日本の高速道路のように、一切信号のない田舎道を走るのだが、怖いのはコラート(ナコンラーチャシーマー)を過ぎたあたりから、中央分離帯がない場所が多く存在すること。お互いに時速100km以上出しながら、すれ違うのは非常にスリリングなものだ。
なんだかんだで事故することなく(勿論いいことだ。ちなみに警察の検問は受けた。全2回)、夕方、無事マハーサラカム県に到着した。しかし、県内に入るも、肝心の目的地である村がなかなか見つからない。郡と区までは、持参した地図でなんとか把握できるのだが、村までは記載されていないのだ。
そこで、道行くイサーンの人々に村の場所を尋ねるも、これが聞く人聞く人、皆答えが異なる。あっちこっちたらい回しにされて、ちょっと不安に。というのも、暗くなってしまうと、道には街灯も何もないので、村にたどり着くことは相当の困難を伴うことになるからだ。
そこで、道を歩いている人だけでなく、各家の中にいる人にも尋ねてみることに。すると、さすがに優しいイサーンの人々。たくさんの人たちが集まりはじめ、ああでもない、こうでもないと”寄り合い”が始まる。
激論の末に出された結論は、ばっちり正解。おかげで、ついに無事に目的の村に到着したのだった。村はかなり奥に入ったところで、きっと彼らの「会議」がなかったらそこにたどり着くことは困難だったろう。本当に感謝である。
村にたどり着いたことに一番驚いていたのは、待っていた先生だった。先生はまさか、僕が1人で運転してくるとは思っていなかったようで、「こんな奥地まで、その地図だけで来るとは、すごいっちゃすごいけど、ま、一言で言えば無謀だね」って。
ということで、その夜は、先生やゼミ生たちとともに食事をし、その後、かなり大きなホテルの下にあったカラオケに行って、そこで生徒たちはガンガンに唄っていた。あまり酒を呑む生徒がいなく、その点は寂しかったのだが、ま、でも素敵な夜を過ごしたわけだ。
そして、村人の家に帰って皆で雑魚寝。就寝。
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