村長さんは、非常に親切にしてくれた。
いろいろと村内を案内してくれたあとには、食事を振舞ってくれた。
昨日の写真にもあったような村で取れたキノコをふんだんに使った炒め物や、ひき肉の炒め物、そしてもちろん、カーオニアオ(もち米に近い。手で食べる。ラオ系民族の主食)など、かなり出してくれて大満足。
そして、村長さんは、僕が文化的なことに興味があることを知ると、すぐに村で尊敬されている僧侶に連絡をし、アポイントをとってくれた。
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このときには、先生は先にバンコクへの帰路についており、また生徒たちもそれぞれにインタビュー調査があったため、1人、車でさっそく寺に行ってみることに。
案内されたとおり寺に向かうも、砂利道を相当に突き進む。本当にこの道で正しいのか不安になりながらも、言われた道を直進すると、かなり離れたところでお寺を発見。しかし、肝心の僧侶がいない。寺を掃除していた人に僧侶の所在を尋ねると、ちょっと出かけているので、午後に来いとのこと。
午前中に寺に訪ねて来いと僧侶は村長に言ったと聞いたのに、おかしいなと思ったが、いないとあればしょうがないということで、郡庁に行って情報収集に。マハーサラカム県で起こった民衆運動の情報を得るためだ。
しかし、あまり有力な情報を得ることなく、次にマハーサラカム大学へ。しかし、こちらは残念ながらお休み。
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ということで、いったん村に戻った。すると村長が、なぜ寺に行かないのだと問いかけてきたので、寺に行ったものの午後にならなくては僧侶が来ないといわれたことを告げると、そんなはずはないと、また電話を。そこで、僧侶は午前中ずっと僕を待っていたが、一向に来なかったと言っていることが分かったのだ。
村長さんは僧侶に嘘をついてしまったことになるから、急いでいくようにと僕に指示し、そこで、一泊させてもらった家主の案内のもと、急いで寺に向かった。
すると悲惨なことに、寺は僕が午前中に行ったところではなく、そのもっと手前にあったのである。あまりに森すぎて気付かなかったのだ。入り口は完全に森。寺も、寺という様相ではなく、森。いうならば、僧侶が森の中で生活しているという感じなのだ。
森の内部に入っていくと、僧侶を中心に村人たちがお堂を建てる作業をしていた。
その僧侶を見て僕は驚いた。
さすがに森の中で自然と一体となりながら修行生活を続けているからか、相当な人徳を備えているようにお見受けしたからだ。まだ50歳くらいのお若い僧侶なのだが、独特のムードを備えていた。
たまにタイでは、僧侶であるにもかかわらず、麻薬を使用して逮捕されたり、女性に手を出したりといった事件が取り沙汰されるが、ここで出会った僧侶はそんなこととは無縁の、日々修行に励む人徳者であると感じた。
僕は僧侶に会うや、その人徳に感服し、膝をついて遅れたことを詫びたのだった。
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僧侶は、快く森の中の自分の住まいに案内してくれ、そこでいろいろなお話を聞かせてくれた。
住まいといっても、家があるのではなく、一定の敷地の中に、雨にぬれないように天井だけがつくられているという、いわば完全なる屋外である。天井の下には、基本的には机と本棚、生活用品があるだけで、余計なものは一切なかった。本棚には様々な種類の本がぎっしりと詰まっていた。修行生活にとって不要なものは一切ない環境下で、目の前のすばらしき僧侶は、日夜、修行と勉強の日々を送っているようだ。
僧侶は、僕の拙いタイ語を必死に理解しようと努めてくださった。そして、その上で真摯にお答えをくれた。
お話は、僕の調べる民衆運動や、文化・伝統の問題だけでなく、仏教的な見地からの人生観や世界観の問題にまで、非常に幅広かった。高徳者の興味深いお話が聞けたのである。
気がつけば、2時間弱。森の中で、教えを受けた時間は、あっという間だった。
出会えてよかったと心から思った。
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