ラオスのとある村で夕暮れをむかえると。


のんびりとしているようで、それなりにあわただしいことに気づく。

一日の終わりに向けて、子供も大人も僧侶も、村を闊歩する。



空は夕焼けで薄暗い。


田舎もいいもんだな。

まぁ、たまにだからか。



山が妙に近く、「山際」と「山の端」の違いを国語の授業で習ったなぁ、なんて思い出す。



あのとき、まさかラオスでその違いを考えることになるなんて思いもしなかった・・・

まぁ、そんな想像力があったら、逆に怖い。



というか、この人何しているのだろう。







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タイ東北部ノーンカーイ県で最近話題になっている、自然発火する石。メコン川底を浚渫しているときに見つかった。

川岸に積んでいた土砂から突然煙がたちこめてきて、作業員たちは「火事だ~!!」と大騒ぎ。急いで鎮火にあたってみると、出てきたのはなんだか妙にやわらかい黄ばんだ石。石が自然発火しちゃうということにみな、驚いたわけだ。

で、村人はこの不思議な石を目前にして、「竜神の吐いた火の玉じゃない?」なんて噂をたてている。噂は広まり、参拝者が後を絶たないという。



なんで彼らは、自然発火する石を竜神の火の玉と考えるのか。

それはノーンカーイ県でみられる、陰暦11月の満月の夜の日に限って100発以上もの正体不明の火の玉が飛び出るという現象に基づいている。

未だにこの火の玉が何なのか、科学的にも証明されていないが、地域の人々は「バンファイ・パヤーナーク(竜神の火の玉)」と呼んでメコン川に棲む竜神が吐いていると信じている。

というわけで、今回の石が、地域の竜神伝説の文脈で解釈されているわけだ。



まぁ、実はこうした石は以前、タイ中部チョンブリー県でも発見されたことがあって、そのときの分析によるとリンだったとか・・・。だから、今回のケースもリンっぽい。

でも、今も竜神が深く信仰されている当地域の文化や伝承の文脈において、そんな科学的な解釈を振り回すことにどれほどの意味があるのか、といえば疑問だ。

不思議なことを前にして発揮される人々の想像力と解釈は、彼らのもつ文化的・歴史的背景と世界観に基づいている。そうした文化や歴史、世界観の理解に努めることのほうがよほど大切だろう。

「科学的じゃないものを信じる妄信者。後進的だね~」なんてのは、西洋/東洋、先進/後進・・・、といった二項対立構造にもとづいた解釈であって、今後の多文化社会を生きていくうえでは大きな障害となっちまうわけである。

とはいいつつ、なかなかそうした発想が抜けきれない僕や社会があるっていうのも事実なんだけど・・・うーん、矛盾。



まぁ、なにはともあれ、発火する石を見て竜神と結びつけるなんて、なんともロマンにあふれているじゃあないか。






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ワットプー聖堂を前にする。かなり痛みがみられる・・・。




側面からみると、ちと傾いている。




がたっと崩れたら・・・なんてことは考えずに中に入る。




奥にはちょっと間抜けな・・・なんてことも考えちゃいけない、神秘的な仏像がある。




ワットプー聖堂背後のリンガパルヴァ山は男性器を象徴するリンガの形で信仰を集めるだけでなく、地域の土地と人間を守護する精霊・祖霊(総じてピー)が宿っていると考えられている。いうなればチャンパーサックというくにの祖霊が宿っているわけで、その意味ではピー信仰の象徴的な場といえる。

とはいえ聖堂には、こんな若干お茶目な仏像も安置されている。まぁ要するに、精霊と仏教が混在した聖なる場。人々の信仰と実践においては仏教だろうが精霊だろうが、その分類にはあまり意味がないのである。



で、信仰の混在性という点ではもちろん僕も一緒。日本では、初詣に行って氏神を拝むし、寺に行って仏像も拝むことも多々だ。なんとなくご利益がありそうなものに敬意を払うわけだ。


ということで、ワットプー聖堂ではとりあえずお茶目な仏像を拝む。

そしておみくじをひいてみた。タイやラオスのおみくじは、日本のやり方とは少し異なる。

写真のように棒が何本か入った竹筒。



それをかちゃかちゃ振って、一本の棒が自然と飛び出るのを待つ。(かちゃかちゃの様子はコチラの動画を参照)


聖堂はかちゃかちゃという音だけが響く。

12番の棒が飛び出した。




そこで棚の12番につまれた紙を取り出し吉兆を占うのだ。




さっそく見てみる。




うーん、ラオス語・・・。いくらタイ語に近いとはいえ、今一つよくわからない。

ただ、一番下に書いてある電話番号は、おみくじを印刷した店のものらしい。

おみくじに広告。日本では見受けられない、不思議さだ。


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リンガが立ち並ぶ参道を抜けていく。


こうもリンガが並ぶと壮観である。

とはいえ、灼熱の日差しが、体に痛い。

リンガもいいが、日陰がほしいところだ。



そんなことを想っていると、右手に北宮殿、左手に南宮殿が迫ってきた。



宮殿にはシバ神のレリーフが彫られているというので、自然と心がワクつく。

ところが、残念なことに、遺跡の修復作業のため、宮殿内、立ち入り禁止。



どんな作業工程で、あとどれくらいで修復が完了する目処なのかを尋ねたかったが、ちと忙しいかなと思い、遠慮した。

僕はこう見えて、気を使うほうなのである。

まぁ、実際は、東南アジアの男性は基本的にはみな、あまり忙しそうにはしないし、見えもしないんだけど。



それはさておき、さらに進んでいくと、楼門の跡が僕を迎えた。



門は朽ちてもうないが、それを守る像は今も立っている。


供え物多く、今も信仰を集めている様子が伺える。



さて、ここからが遺跡へと続く石段。


石段の距離は長いが、勾配が緩やかなのが、せめてもの救いである。

悠久の歴史に思いをはせつつ、石段を踏みしめる。

やはり歴史に思いをはせるこのときが、一番の幸せである・・・



と思いきや、すぐに待ち受けた急勾配。


悠久の歴史なんぞを思い描いている余裕は無くなる。

灼熱の太陽もジリジリ。

息も絶え絶えだ。


一段、一段が妙に高い。

足が笑いはじめる。

これはいったいどこまで続くんだと思った矢先、石段を登りきった。

まだまだ、僕の体力も捨てたもんじゃないわけだ。

そして、姿を現すワットプー本殿。



おお。

一刻もはやく内部へ行きたい。

しかし、実際、足の疲れと、息遣いがそれをさせてくれない。

所詮、その程度の体力なのである。

逸る気持ちを抑えつつ、とりあえず今来た道を眺め、堪能する。



写真では伝わりにくいが、チャムパーサックの田舎を見渡すことが出来る絶景。


ワット・プーに通いなれた近所のおばちゃん(予想)も、腰に手を当て、景色を堪能する理由もうなずける。


おばちゃんは何を想っているのか、それは、計り知れない。

でも、次第に疲れは飛んでいく。


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「・・・・都(ヂャムパーサック)の近くには、リンガパルヴァ山がある。その頂上には祠があって、いつも5000人の兵がこれを守る・・・」

(7世紀、中国:唐で成立した『隋書』より)




写真で、ヒョコッと突出した山が、『隋書』に記載されるリンガパルヴァ山。

聖なるリンガのお山だ。



リンガとは、男性器の象徴。

そういわれてみれば、突出した山はその形に見えてくる。



7世紀の中国・唐の歴史書は、そこに5000人の兵が警備していたことを伝えているわけだ。

まぁ、人数の真偽は別として、それほどまでにリンガのバルヴァ山は、太古の昔から神聖視されていたのである。




そんなリンガパルヴァ山の山麓にあるワット・プー。

ゲートを抜けて心地いい空間を過ごしたあと、灼熱の太陽の下、遺跡へ向かう。

まず目の前に広がるのは、池である。




聖なる池、”バライ”。

バライは、巨大貯水池で、かつてのクメールの肥沃な空間作りには欠かせないものだった。

というのも、アンコール地方は、雨季にはほとんどの土地が冠水するくせに、乾季になるとカラカラに乾くという、なんともやっかいで厳しい自然環境下にある。

だから、バライのような貯水池を作ることで、水の確保と洪水の防止、二つの効果が期待されたわけだ。

太古の人々の生命に直接かかわる、重大な池なのである。



また、バライは”大海”を表現している。

大海は、ヒンドゥー神話『乳海攪拌(にゅうかいかくはん)』のワンシーンに登場する。

ヴィシュヌ神が「アムリタ(甘露)」という不死の薬を得るため、神々や阿修羅に命じ、ナーガ(蛇神)を綱代わりに綱引きをさせて、大海を攪拌させる。

すると、大海は乳海に変わり、アムリタが生じたというシーンである。



このアムリタとは、不死の薬であるが、収穫物を表現している。

つまり大海は、地上に収穫物を生み出す源の象徴的存在であり、”母胎”ともいえよう。

バライについて、ある碑文は、「大乳海のごとく喜びをもたらす池」で「その腕(分流)によって乳海自ら邪魔な水を取り除き、甘露(収穫物)の湖に変える」などと説明しているが、それも納得である。(石澤良昭『アンコール・王たちの物語』


生産面だけではなく、信仰や世界観の面にも、バライは深く食い込んでいるのだ。




男性器を象徴するリンガのお山。

母胎を象徴するバライのお池。

二つをつないで結実させるために、蛇神・ナーガは両者の間に今もひっそりと、立っている。






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<参考>

ワット・プーのゲートを抜けると、まずは、入場料を払いにいかなくてはならない。

入場料を払う建物は、なかなか立派なものだったので、写真だけアップしておこう。



建物内部は、小奇麗で、風通しもよく、心地いい。


本やら土産が陳列されている。



本を買おうかと思ったが、遺跡を歩くのに邪魔と判断し、帰りに持ち越した。



だが僕は、本購入を後回しにしておいて、それを買うためにまた戻ることはあまりない。

今回も、その通りになってしまった。



今となっては、なんの本を買おうと思ったかも、よく思い出せない。

非常に残念な結果なのだが、まぁ、そんなもんかという気もする。



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「日本でツナミが起きたらしいですね。とても心配です」




震災のニュースがラオスでも駆け巡った次の日、パクセーのとある寺で話をしたお坊さんに言われた。

まだ21歳だという若いお坊さんは、僕の質問にどれも真摯に答えてくれる心優しい方。

時折見せる笑顔がまだあどけなく、子供のようにも見えた。



「日本のツナミの映像はとても恐ろしいですね。心が痛いです。

多くの人々が犠牲になっているようですし。

あなたのご家族や友人は大丈夫ですか?」



「はい。両親とも連絡がとれ、無事なようです。友人も被災地にはいないと思います・・・

でも、本当にショックです」



「そうですね。自然はすばらしいものですが、恐ろしくもある。

人間は自然を操ることはできない。

自然の前で人間は無力です。

だから、自然界のピー(精霊)を崇拝し、日々、敬意を払わなくてはいけないんですね・・・・


これ以上の犠牲者が出ることなく、日本に平穏無事が訪れるように、僕も祈りますよ」



そう言ってお坊さんは、読経を始めた。

お坊さんの読経を聞きながら、僕は手を合わせた。


シャッ、シャッ、シャッ。

聖水が僕の体に吹きかけられた。



静寂に包まれた境内で、静かに流れる読経。

被災した日本にも届くような、そんな気がした。



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