ロットゥー交叉



最近、バンコクへ行くロットゥー(乗り合いのバン)に乗る機会が多い。

ロットゥーに乗っていると、様々な場面に出くわす。


先日は、異常に和気あいあいなロットゥーに乗り合わせた。

運転手と乗客がまるで知り合いかのように話し、乗客が降りるたびになぜか、運転手も一緒に降りて、客のドアー側にまわりこみ、

「さあ、次はどこだ〜」

なんて声をかける。

別にわざわざ降りないで、運転席から声をかければいいだろと思うのだが、そこは顔と顔を付け合わせたいという運転手のポリシーなのだろう。

彼は、とにかく休憩をふんだんにとり、そのたびに外にでて、乗客と話し込む。

ロットゥーの寅さん、と僕は心の中で呼んでいた。


まあ、おかげで、ふだんなら2時間弱でバンコクに到着するところを、3時間かかった。

タイらしいといえば、タイらしいが、急いでいる側からすれば至極迷惑な話である。


またある日は。

そろそろ、ロットゥーが出発するかという時に、とある母親が12-3歳くらいの女の子1人を、車へと乗せた。

女の子は、僕の後方に座った。

そして、その子の妹だろうか。4-5歳の女の子を母親は連れていて、

「ほら、言いな」

と促した。


妹はかわいらしく、

「がんばって勉強してね」

と女の子に向かって、言った。


続けて母親が

「ほら、そう言ってるからね。がんばるんだよ、じゃあ」

と、ろくに女の子の方を見ることなく、ドアーを閉めて歩いて行った。


しかし、すぐに引き返してきて

「これ持って行きなさい」

そういって、2-300バーツを渡した。


きっと、さっきの別れのときから、僕の後ろに座っていた女の子は泣いていたのだろう。

その姿は、お母さんの目には映っていたのだろう。

お母さんは気丈にふるまいながらも、少し声を震わして、右手で涙をふいた。

急ぎ、ドアーをしめ、妹とそのまま歩いて行った。

車を見送ることは悲しすぎてできなかったようだ。


車内ではしばし、女の子の涙する声が漏れていた。

なんだか、僕ももらい泣きしそうになった。


ロットゥーではいろんな人が、ほんの短い時間ではあるが、交叉して、一緒の空間をともにする。

いろいろな場面に遭遇するものである。




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2 件のコメント:

  1. 確かに、タイのバスの運転手さんて日本じゃ考えられない行動をする人多いですよね、
    こういう突っ込みどころ満載なのが笑ってしまって好きですけどね(笑)。
    そうかと思えばちょっと切ない場面に出くわしたり、私がタイを好きになった理由の1つは
    こういう人間模様が見れたことなのかもしれないって改めて気づきましたよ。

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  2. そうなんですよね。途中、突然止まったかと思ったら、豚串買いに行ってみたりしますもんね。
    この前も、ロットゥーでおかずを買いに市場で降りる運転手に出くわしました。
    田舎は、そういう風情(?)が残っていて、いいですよね。

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