「知人の葬儀があるから、リョウタも行くか?」
先日、タイ・イサーンの村のおっちゃんに誘われた。
話によると、もうご遺体は荼毘に付されたあとで、これから納骨の儀式が行われるという。
こりゃあ、見てみたい。
おっちゃんとバイクを併走し、寺に向かう。
イサーンの田舎道。バイクで走るのは、いつだって爽快だ。
寺に着くと、おっちゃんは「ほら、あそこ」と指差した。
見ると、人が横たわっている。
ドキリとする。
この地域ではこれくらいの半焼けの状態で火葬が終了なのか。
だが、おっちゃんによると、あれは荼毘に付したときに出た灰を人型にしたものであり、中に故人の骨が混ざっているのだと言う。
考えてみれば当然のことだが、それでもホッとする。
色々なおっちゃんたちが、動き出した。
どうやら、儀式の始まりのようだ。
まず人型の周りに糸が張られ、結界が作られた。
四方の蝋燭にうまいこと糸を張っていく。
で、結界が張られると、今度は人型に布がかぶせられる。
布の上には葉が置かれる。
おっちゃんによると、後に皆で葉の上に灰から選った遺骨をのせるのだという。
さて、次は僧侶の出番。
先の結界を張った糸の延長が、僧侶に渡され読経が行われた。
読経による徳が糸を通じてご遺体へと転送されていく。
故人の冥福が祈られる。
読経が済むと人型の周りに張られていた結界は外されて、僧侶は人型を崩しはじめた。
灰の中から遺骨を取り出す僧侶。
遺骨は葉の上に載せられた。
僧侶に続き、葬儀に参列していた遺族や地域住民皆で、遺骨を探し出す。
あまり悲しいムードではない。
まるで宝探しのように、大人も子供も灰の中を探る。
「コレは骨じゃないよ~単なる石だよ~」なんといった、日常ではあまり聴かない台詞も聞こえてくる。
僕も灰の中を恐る恐る探り、2,3の遺骨を葉の上に置いた。数日前まで生きていた人間の骨を手に取るのは奇妙な感じである。たとえ、見ず知らずの人のものとはいえども、だ。
骨が集められると、今度は骨洗い。まずは僧侶が聖水を振り掛けた。
そのあと参列者が続く。
これも、どちらかというとワイワイしている。
皆が骨への聖水かけを終えると、いよいよ骨は骨壷に収められる。
骨壷がまばゆい光を放っている。
骨壷は厳重に布に巻かれ、
再度僧侶の読経が始まる。
先において骨が洗われた場所には線香が焚かれ、清められる。
こうして、故人の納骨が無事に終わる。
読経が静かに流れていた。
故人はこれからゆっくりと、長い時間過ごした自らの土地で深い眠りにつくのである。
タイ人の骨に関する話は次回に譲ろう。
タイに行きたきゃ
タイに住みたきゃ
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