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タイの泣けるCMに、字幕をいれてみた。

このブログで、これまでに何度か紹介している、タイ生命保険のCM。 どれもこれも、泣けるものばかりだ。 で、その中で「時間編」に字幕をつけてみた。 字幕をいれたのは人生、初。 さすがに成功したときは、オッと言ってしまった。 しかも、そのときには、軽く目をはらしていた。 泣きじゃくりながら、字幕を書いている様は、きっと異様だろう。 やはり、タイ生命保険のCMは泣けるのである。 ちなみに、もし字幕が入らない場合は、丸で囲まれたキャプチャーをオンにしていただきたい。そうすれば、表示されるはず。 応援のほど、よろしくお願いいたしま ...

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路上パン、仏像、焼き鳥、角質喰い魚。ごちゃ混ぜバンコク。

バンコクの街中・路上で、パン売り。 どうやら、その場でパンを焼き、売っているようだ。 店の目の前は、やたらと大きな道路。 激しい交通量だ。 で、店の隣には、やたらと大きい仏像さん。 道行く人々は、手を合わせつつ、通り過ぎていく。 で、焼き鳥屋。 定番だ。 そんな場所にて、おばちゃんはパンを焼き続けている。 なんかいろんなものがごちゃ混ぜになったこの街はやはり魅力的で面白いなぁと思って歩いていたら、足の角質を食べてくれる魚が入った水槽に足を浸すおっちゃんの姿。 なんというか、本当にごちゃ混ぜな街である。 ちなみに、パン。 タイにしては珍しく美味しいほうだった、気がする。 でもラオスのパンには勝てやしない。 応援のほど、よろしくお願いいたしま ...

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タクシーとイサーンの人々。”同郷の仲間達よคนบ้าบเดียวกัน”をBGMに。

タイ・バンコクは本当にタクシーが多い。 そして値段が安い。 初乗り料金は100円以下で、ワンメーターは5円ずつほど。 まぁ、かなり遠くに行ったとしても、そんなに深刻な値段になることはない。 というわけで僕は、日本ではタクシーに乗らないくせに、タイではそれなりに利用する。 で、運転手と話をすると、大概は地方出身者。 特に、タイ東北部イサーン出身者が多い、気がする。 イサーンに興味のある僕は、色々と尋ねる。 祭りの話なんかを聞くと、郷愁の念を抱いたような顔つきで、楽しげに語る運転手が多い。 そんなとき僕はいつも、”同郷の仲間たち(คนบ้าบเดียวกัน:コンバーンディアオカン)”が頭の中で流れる。 この歌の詳細や映像はコチラを参照してほしいが、その歌の中にこんな一節がある。 อ้ายทิดเคน ケーン ...

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魂を強化する儀礼に、ホロリ。 バーイシー・スークワン 。

バーイシー・スークワン(บายศรีสู่ขวัญ)。 バナナの葉で作られた、須弥山をかたどるバイシーบายศรีを皆で囲み、招魂や招福を行う儀礼である。                      <バーイシー>                <バーイシーをつくるおばちゃんたち> バーイシー・スークワンは、タイやラオでは一般的な儀礼で、子供の誕生や得度式、結婚式などといった、通過儀礼の際に行われる。 儀礼の発想としては、「身体に宿る魂が、体から離れて病気になったり、災難がおきたりしないよう、糸を手首に巻いて魂を留め置こう!」というもの。         <糸を手首に巻きつけて、魂が逃げていかないように!> 要は、自身の生命力を強化するために行われる、魂振り儀礼だ。 バーイシー・スークワン儀礼は、民間のバラモン(プ ...

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バンコク街角屋台。カリッと揚げパン。

タイ街角の屋台で時折見かける揚げパンは、妙に旨い。(アジア全般かな?) 僕が良く買う揚げパン屋では、おっちゃんがせっせとパンを練り、そしてカラリと揚げる光景がひろがる。 大量の油が使われていて、決して体によさそうではないが、これが、食い始めると止まらない。 油と炭水化物の大量摂取の事態に陥る。 実はタイでは、妙に甘い、砂糖入りの豆乳につけて食べるのが、一般的。 きっと、トータルで恐ろしいカロリーになるだろう。 ただ、さほど甘いものに興味がない僕は、砂糖入り豆乳をつけることはない。 それでも、揚げパン自体、体にはあまり優しくなさそうなので、店の前を通るときは葛藤だ。 買うか、買うまいか・・・ 夜道に光る屋台の灯りが、遠目に見えるたび、僕を悩ませる。 応援のほど、よろしくお願いいたします ...

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バンコクのゴミ出し環境。

バンコクでは、ゴミ出しが異常に楽チンだ。 日本のように、決まった曜日に分別されたゴミを出す、という制度ではない。 アパートの各階にある巨大なゴミ箱に、分別関係なくゴミを入れれば、それで完了なのだ。 まぁ、そんな楽な環境がゆえに、かつてパンツ一丁で部屋から閉め出されるという、ほろ苦い経験をしたこともある。(詳しくはコチラ) でも、それはまぁ、バンコクならではの経験であろう。 で、ゴミ出しが楽なのは、粗大ゴミにもいえるようだ。 長年愛用してきた、素敵な椅子。 しかし、ある日を境に、どうも、下部がグラついていた。 それでも気にせず、悠々と背にもたれかかり本を読んでいたら、突然の大破。 幸い怪我は無かったが、このせいで椅子に対する猜疑心というトラウマができたことは想像に難くない。 まぁ、それはともかく、長年愛用し ...

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バンコク、医療関係を扱う店。看板が意味不明。

アヌサワリー(ビクトリーモニュメント:戦勝記念塔)に、医療関係のものを扱う店が何軒か並ぶ一角がある。 タイはなぜか、同じ系列の店が立ち並ぶケースが多い。 たとえば、スポーツ服屋ならスポーツ服屋が、材木屋なら材木屋が何軒も立ち並ぶのだ。 まぁ、それはさておき、この医療関係の店前には、ベッドや机、車椅子などが並べられている。 看板は、車椅子だ。 店名を見ると、シンハービールでおなじみの、シンハーの名。 系列なのだろうか? 詳細は不明である。 そして、このふくよかな女性の看板が意味するところもまた、不明。 そりゃ、道行くおっさんもチラリと見るはずである。 応援のほど、よろしくお願いいたします ...

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トタン屋根の下で。

トタン屋根の下。 彼女が彼氏の髪の毛を切ってあげている。 こういっちゃあなんだが、見た目、裕福とは言いがたい環境。(あくまでも想像だけど) でも、それでも、なんだか幸せそうだ(これもあくまでも想像)。 どんな髪型に仕上がったって、2人は笑ってすますんじゃないか(これも・・・)。 そんな気がする。 まぁ、しつこいようだが、あくまでも勝手な想像だし、当の2人にとっては大きなお世話であろう。 応援のほど、よろしくお願いいたします ...

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小さな幸せ。職人の串焼き。

人々が仕事を終え、帰路につき始める頃、この串焼き屋台は現れる。 ビュンビュン走る車をバックに、手際よく焼いていく姿はもはや職人芸。 単純に排気ガスや煙を気にしてのことなのだろうが、付けられたマスクがまた職人らしさを助長させているかのようだ。 「どういう経緯でこの仕事をやっているの?何年ぐらいやっているの?」 そう聞こうかと思ったが、あまりに職人的雰囲気に過ぎて怖気づく。 「職人は多くを語らないもんだ」と勝手に決め込み、自分を納得させた。 黙って、串を見つめる。 暗い夜道で職人気質的にいちゃんが1人、黙々と焼き、煙が立ち込めているのを見ると、なんだかホッとする。 今日も変わらず煙が上がっているねぇ、て。 小さいことだけど、なんとなく幸せを感じさせてくれる。 応援のほど、よろしくお願いいたします ...

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ムーディ、被り物屋。

街中にひっそりと佇む、かぶり物屋。 なんという名称か分からない帽子が、沢山並んでいる。 昔の軍人が被ったりした物なんかもあるようだ。 その佇まいに惹かれ、中に入っていろいろと見たかったが、どうも入りにくいムード。 なんか、よく分からない軍人のヘルメットみたいのをノリで、あるいは推されて買ってしまっても、使い道がないだろうし。 妙に時代を感じさせるおっちゃんの人形が置かれるディスプレイを写真におさめるにとどめた。 一日の売り上げは計り知れない。 応援のほど、よろしくお願いいたします ...

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バイヨーク・スカイホテルの象徴性。

バンコクのシンボルタワーともいえる、バイヨーク・スカイホテル。 バンコク一背が高いこのホテルは、街中を歩いていて、フトしたときに眺めることができる。 そしてバイヨークを見ると、妙にテンションがあがる。 「朝起きて、とりあえずタバコを吸いながらバイヨークを見ているだけで、本当に幸せな気持ちになる。タイに住んで、よかったなぁと思う瞬間・・・」 昔、近所に住む日本人の友人が僕に語った言葉だ。 朝一でタバコを吸うという行動以外は、共感できる。 やはり、バイヨークはバンコク・タイの象徴的存在である。 タイに住んでいることが日常化し、感覚が鈍化していくなかで、実はそれが格別に幸せなことであることを再確認させてくれる。 そう思えてならない。 そんなバイヨーク。 周辺は、四六時中活気にあふれ、賑わっている。 驚いたのは、朝の ...

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バンコクアート&カルチャーセンター。肥やし。

なんとも不思議な絵だ。 警備員が巨大なオブジェに挟まれながら、まじめに仕事をしている。 変なエヅラだ。 まぁ。それはさておき、ここバンコクアート&カルチャーセンター。 MBKの北側正面にある。 広い館内には、絵画などの芸術作品が並ぶ。 ちょっと芸術が分かる態をとりつつ、ブラブラと歩く。 だが、正直僕は、芸術とは縁遠い。 高価な作品を見ても、「そうなんだ~」くらいにしか思わないふしがある。 でも、”本物”が少しでもわかるようになるには、こうして直に見て感じることが必要だろう。 食だろうが、なんだろうがすべて、評価の高い”本物”に直に触れなければ、本物を見極める感性は育たない。 意識的に動かないと、目や舌は肥えない、のである。 センターを後にした僕は、「自分を肥やす、充実したアート鑑賞だった」なんて思いつ ...