村人たちの前で、ギターを弾き語るその友人は、物静かだ。 見た目はTOKIOの長瀬風なのに、高倉健ばりの渋いトーンを備えている。 僕とは性質が違う。 彼は、普段は村の役所に勤めている。 で、時々、村のイベントなどの際に、皆の前で歌を披露するのだ。 村人たちが寝静まった夜更け。 僕たちは、村の道にござを敷いて、酒を呑んだ。 同世代ということも手伝って、お互い気を使うこともなく、静かに酒を酌み交わす。 相手が高倉健ばりだと、僕も物静かに酒を嗜むようになるものである。 「俺は、歌手になるためにこの村を出て、都会へ行った。最初はバンコクに行き、その後、パッタヤーのとある店で歌っていたんだ。 でも、なかなか思うようにいかなかった・・・ 当時、一緒に住んでいた彼女も、僕と同じように、歌手だったんだ。 で、彼女は成功した。今もパッ ...
愛しきイサーンの子供たち、遊び方を知らない僕。
タイやラオスの田舎を歩いていると、必ずといっていいほど集まってくるのが、地元の子供たちだ。 特に、僕が長年お世話になっている家には、小学校低学年のお子さんがいて、友達も引っ切り無しにやってくる。 そのため僕の顔はすぐに近所の子達に覚えられ、道を歩いていても、「ハテ?どこの子だ?」という子から名を呼び止められる。 (実は大人たちからも同様に声をかけられる。たいがいは酒飲み!) だが、何を隠そう。 実は、僕は子供と遊ぶのが得意ではない。 別に子供が嫌いというわけではないのだが、基本的にどう遊んでいいのか分からないのだ。 犬と遊ぶほうが数倍、得意なのである。 ということで、子供たちが大勢ワッと来た日には、僕は戸惑いを隠せない。 一刻も早くこの場を去り、犬と戯れたくなる。 「見て、見て。りょうた兄ちゃん!」 と言ってわけ ...
イサーンの村の”先生”と、至極の時間。
イサーンの村々を歩いていると、自分の村の歴史や文化を丹念に調べている”先生”と呼ばれる人物に出くわすことが多い。 本当に学校で教鞭をとっているわけではないが、”先生”として村人から大いに尊敬されている。 確かに”先生”は勤勉で、「村博士」といった態である。 また、”先生”は、人材育成にも非常に熱心だ。 子供たちに自分たちの村の歴史や文化を調べさせたり、村の要人にインタビューをさせて映像化したり、あるいはセミナーにおいて子供たちの発表の場を必ず設けたりしている。 自分たちの村のことを自分たちで調べて気づかせ、考えさせ、発信させる。そうした環境を整えているのだ。 ところで今、イサーンの村人の多くは携帯電話を所有し、また徐々にだがインターネットも普及し始めている。 村人は世界につながるツールを手に入れつつあるのだ。 そのため今後 ...
イサーンのロイクラトンの始まりって?
昨日タイでは、ロイクラトン(灯篭流し)が実施された。 バナナの葉で作った灯篭を川に流すことで、川の精霊を祀り、水の恵みに対する感謝と、祈りをささげる。 「子供のころ、ロイクラトンやった?」 以前、同世代のイサーンの友人に聞いてみたことがある。 「やったなぁ。クラトン(灯篭)を家族皆で作ってさ。でも、綺麗に作れなかった記憶があるよ。」 「イサーンでロイクラトンをやるようになったのって、いつ頃かなぁ?」 「???ずっと昔だろ。そりゃあ」 「いや、ロイクラトンはもともとタイ中央部の慣習だよ。今は国民行事化しているから、イサーンでもやってるけどさ」 「そうかぁ、そういわれてみれば、6歳くらいに初めてやったような気がするから、その頃からイサーンでも始まったんじゃないか?」 「・・・・それは自分の記憶の始点であって、ロイクラ ...
イサーンの病気治療。モーラム・ピーファー儀礼。
ござだけが敷かれた、薄暗い、がらんとした部屋。 冷蔵庫もテレビも、ない。 そんな部屋に1人で住むおばあさんは、我々来訪者を迎えるため、横たえていたござから、ゆっくりと身を起こし、こちらに近づいてきた。 80歳くらいのおばあさんは、体の調子があまり良くないらしい。 我々は、バンコクからの土産を手渡すと、おばあさんはタイ式の挨拶”ワーイ”をして、それを受け取り、部屋の片隅に置いた。 おばあさんとしばし、談笑。 体調が芳しくないおばあさんは、親戚たちの勧めで、モーラム・ピーファー儀礼を受けたという。 モーラム・ピーファー儀礼は、イサーンの村において、病人を治すために行なわれる呪術的な儀礼。 村のピーファー儀礼を行なう女性たち(世襲制)が集まり、踊る。 これにより、天の精霊が女性たちに宿り、病人を快癒に向かわせる ...
バンコクへ出稼ぎにきている、イサーン夫婦。
階段を上って突き当たりの部屋に、イサーンから出稼ぎにきている夫婦は住んでいる。 歳は、40歳に手が届くか、といったところだろうか。 家賃は、月1000バーツ(3000円)ほど。 4畳半くらいの広さで、小さな窓はあるが、トイレ・シャワーはない。 部屋の中には、テレビと食器棚、たたまれた布団だけが置かれている。 その布団に寄りかかりながら、旦那さんはムエタイのテレビ放映を見つめ、時折「オーイ!」などと声援を送る。 奥さんは、水や食べ物を用意する。 僕や友人たちは、奥さんと共に、イサーン料理をカーオ・ニアオ(もち米)でつまみつつ、しばし世間話。 旦那さんも、ムエタイを見つつ、会話に加わる。 ゆったりとした時間が、薄暗い4畳半の部屋に流れる。 笑いは、絶えない。 旦那さんは車の整備士で、奥さんは洋裁の仕事に従事し ...
イサーンの友人と僕の、育ってきた環境の違い。
同世代の、イサーン出身の友達と話をしていると、何気ないところで、育ってきた環境の違いを感じる。 友人の誕生日を祝う飲み会の席で 「子供の頃、誕生日に何かパーティーみたいなことをした?」 と尋ねてみる。 「そうだな。おかずが一品増えたな。で、ロウソクを立ててみたりしたかな。ケーキとかはないけど。当時、村でケーキなんて売ってなかったし。お菓子とかもバンコクに来て初めて食べたしなぁ・・・」 今のイサーンは状況が違う。 もちろん、裕福とはいえないが、それでも村でお菓子はそこら中で購入できるし、子供たちもそれを食べている。 誕生会にケーキを用意する家も見受けられる。 しかし、そんな状況は、友達にいわせれば、ここ10年ちょっとの話。その前までは、貧しいもんだったという。 でも、そんな貧しい子供時代を話す彼らに悲しい感じは漂って ...
”袖振り合うも多生の縁” 僕はラオ系?
日本から遠く離れた村にいると、ちょっとしたことでも”袖振り合うのも多生の縁”を感じる。 タイーラオ国境付近の村。 バイクを飛ばし、適当な小道に入り込んでみる。 森に囲まれた田舎道。 時折、土で汚れた人びとと、すれ違う。 きっと道は、田畑へと続いているのだろう。 前方に、お世辞にも綺麗な服装とはいいがたいおっちゃんが、ぶらぶらと歩いている。 これはおそらく、彼の横をすり抜けるとき、話しかけられるだろうなぁ。 「オーイ。サバイディ・ボー?(元気か?)」 ・・・ホラね。 笑顔で、「サバイディ(元気です)」と答える。 だが、そのあとおっちゃんは、あまりに訛り過ぎたラオ語でまくしたてたので、僕には何を言っているのかよくわからなかった。 笑顔で、その場を後にする。 しばらく進むと、畑作業に向かう夫婦と出会った ...
コレこそ、まさに・・・(タイの愛しき野良犬たち)
狛犬だな。 セブンイレブンを守護しているかのようだね。 それにしても、タイは本当に、野良犬が多い。 そこら中で、ゴロリと寝転んだ犬たちに出くわす。 どいつもこいつもグタッとしていて、可愛いかぎり。 田舎に行けば、猿も一緒に、なんて場面も。 犬猿! でも、僕がタイで一番好きな野良犬は、サメット島にいる黒犬と、その兄弟犬たち。 コイツはずっと僕のそばを離れない。 僕が走り出せば一緒になって走り出す。 僕が座っていれば、僕の体に微妙に触れる程度の場所にひょっこんと座る。 観光客の僕にも懐っこいのだ。 時折、こいつらに会いに行きたくなるが、サメット島までは、ちと遠い。 ちなみに、写真はカニの巣穴を掘っているところ。 15分ほど穴を掘り続けて、やっとこさカニをゲ ...
車、バイク屋へ突っ込む! タイに乾季の訪れ。
先日、夜風を楽しみつつ散歩をしていると、思いがけない光景に出くわした。 バイク屋に、車が突っ込んでいたのだ。 現場は、「こんなところでどうやって?」と疑問に思わずにはいられないほど、見通しの良い大通り。 携帯でもいじっていたのか、フルーツでも食っていたか、それともバイクに見とれてそのまま突っ込んでいったのか・・・ 何故かは一切不明だが、完全にバイクやへ突っ込んでいたのである。 僕が現場に出くわしたときはすでに、事故を起こしてしまったらしき男が、警察に囲まれて連行されていくところだった。 男はうな垂れつつ、神妙な面持ちで、警察へと続く夜の道に吸い込まれていった。 しかし、怒りがおさまらないのが、突っ込まれたバイク屋のおばちゃんである。 「あいつは、店に突っ込んだのに、なんのお詫びの言葉も無い!」 「あいつは、 ...
今日はタイではなく、彦根。 間伐した竹で作られた灯篭が、彦根城下町の宗安寺に並べられ、なんとも幻想的な情景。 「ひこねキャンドルナイト2010」というイベントだ。 キャンドルのやわらかな光が、闇夜に浮かび、道を照らす。 三成の旗印「大一大万大吉」の文字。 三成生誕450年の節目の年だしね。 井伊の赤備えにちなんだ、赤いキャンドルも並ぶ。 井伊家の「井」の字も、キャンドルで。 凛と冷えはじめる、晩秋の彦根城下町。 やわらかなキャンドルの光は、いくばくか寒さをやわらげてくれるようだった。 「タイのローイクラトン(灯篭流し)はもうすぐだ」と思ったしだいである。 応援のほど、よろしくお願いいたします にほんブロ ...
もしや”呪い”じゃないか? と怯えてみる。
まさか、”呪い”か? と、少しだけ怯えてみている。 ここ2、3日、腹痛と発熱で寝込んでいるのだ。 もちろん、普段であれば、腹痛と発熱をそんな風に解釈することは、ない。 いや、むしろありえないだろう。ピーポープ(胆喰いの霊)にとり憑かれているんじゃないんだし。 だが、今回は、少しおびえている。 それは、ある夢とその夢に対するタイ人の評価が、僕に”呪い”を想起させているのだ。 僕は最近、タイ東北部において100年以上前に発生した民衆運動について調べている。 公文書館に行っては、史料とにらめっこし、現場に行っては歴史を思う。 そんな日々だ。 して、その民衆運動。 特徴として、”呪術”によって奇跡を演じるカリスマ的存在が各地で名乗りを上げ、彼らを中心とした信者グループが、最終的に大規模な反政府運動に発展したというもの。 ...