タイ東北部ピーファー儀礼と死生観
共同体に住む人々が継承する儀礼や祭礼は、その土地に住む人々の心の表現だ。
儀礼の説明の前に、今日詠んだ白石和文『この世の全部を敵に回して』について。
”・・・・私は「死」を考えることはそのまま「神」を考えることだと思っていますが、千年前、二千年前と比較して、現代人が神をいかに安易に考えているか痛感しています。誰もが、過去の人々は迷信と俗説に怯え、かつ踊らされていたと馬鹿にしていることでしょうが、私からすれば、よほど怯え踊っているのは現代人のほうです。いまの人ほど不可知なもの、超自然的で優しげなものにすぐコロッといってしまう人間はかつていなかったのではないでしょうか。そんな気がします。自分の死を真剣に考えなければ、神ほど通俗的になり得るものもありませんよね。・・・・・・”(P3~4)
この一節が妙に印象に残った。”神の通俗化”という言葉がとてもおもしろいと思う。
僕も、「死」の問題に関しては、本当のところ日々の中で強く意識し、考えなくっちゃって思ってはいる。なにしろ死というのは、遅かれ早かれ必ずやってくるものであり、その死を目前に控えたときに、めちゃくちゃ動じたり、送ってきた人生に後悔をしまくったり、といったことがないように、死に関しての心構えや、精神を鍛えることが必要だと思うからだ。そしてなにより、「死」を考えることは、つまり「生」を考えることにつながると思うのだ。
とはいえ、やはりなかなか難しいもの。ついついサラリと月日は経つものである。
いや、というよりも自分の中で死をリアルに感じるのが怖いから、無意識的に考えないようにしているというのが正直なところかもしれない。
それでも、なんとか死というものについて、自分のなかで十分に納得のいく考え方が欲しいなとは、常々思っている。
だから、僕はいろいろな人々の死生観にすごい興味がわく。そして、いろいろな地域の、いろいろな人々の死生観を反映するような論理や儀礼・祭礼に着目するのだ。
ということで、今日紹介するピーファー儀礼について。これは、今年の3月にタイの東北部のとある村で見た儀礼である。
この儀礼は、ある村人の病気を治すために、特別な踊りを舞って村の祖霊を呼び寄せ、快癒を願うというもの。村人たちのお話によると、村の祖霊たちの霊が、この儀礼によって村に下りてきて、その霊たちの特別な力によって病気が治るというのだ。
僕がたまたま今年3月に見たこの儀礼は、2年目のものだった。どういうことかというと、実際に病気になった人を回復させるために行われた儀礼は去年のことで、それが第1回目。
その後その病人は、無事に回復したのだが、この儀礼の決まりとしては、翌年以降も1年に1回、全部で3回はその儀礼を行わなければならないのである。それによって祖霊に対して、病気平癒への感謝の意を表明するのだ。だから来年もこの儀礼は行われるであろう。
さて、儀礼の模様については、百聞は一見にしかずってわけで、僕が説明をするよりも映像をご覧いただいたほうが早いかと思う。
「ケーン」という、日本でいえば笙のような楽器の音色にのって、儀礼を行う女性たちがトランス状態になったり、ぐるぐる依代のまわりを踊りながらまわっている模様がお分かりいただけるかと思う。
この儀礼を見ていて印象的だったのは、途中、ベロベロに酔っ払った男性が女性たちの舞う”場”へと侵入したときに、トランス状態に入っていた女性がその男性の背中をバンバンとたたいたところ。
男性は何らかの儀礼のタブーを犯したようだった。
女性たちが舞う場は、結界が張られた空間になっていて、その場には、男性としてはケーンの演奏者のみが入っていた。よって、どうやら、そんな神聖なる場に、観客であるはずの男性が入り込んだことがおそらくタブーだったのであろう。また、何かよくないことを言ったようでもあった。
いずれにせよ、この儀礼における女性やその場の神聖さが現れているような感じがした。村人の話によると、儀礼にたずさわる女性たちは、世襲制に基づいて選ばれていることが多いとのこと。ただし、もしも娘がいない場合には、親族のいずれから出すこともあるそうだ。
この儀礼は夜の8時くらいから始まったのだが、終わるのは朝5~6時。夜中に入って、僕は少しのつもりで眠ったらすっかり儀礼が終わってしまっていて、非常に残念な思いをしただった。来年、もう一度行ってみようかなぁ。
こうした病気や祖霊にまつわる共同体儀礼というのは、その土地の人々の死生観のひとつを反映していると思う。非常に興味深い。
【今日読んだ本を一応記しておきます】
・白石和文『この世の全部を敵に回して』小学館 2008年
・石澤良昭編『タイの寺院壁画と石造建築』めこん 1989年
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