森山軍治郎『民衆蜂起と祭り―秩父事件と伝統文化―』筑摩書房・1981年
秩父事件は、1884(明治17)年10月31日に埼玉県西部にはじまり、その後群馬県や長野県にまで範囲が広がった大規模な民衆蜂起である。民衆数千人が負債の延納や雑税減少などを求めて武装蜂起した。
本書の執筆者森山軍治郎氏は、秩父事件の当事者が残した日記の中に、俳句や和歌が盛り込まれていることに着目した。氏は、そうした俳句を文学作品としてではなく、歴史研究のための史料として扱うことで、秩父事件の中に潜む民衆の精神史を探り出そうと試みたのである。
また、氏は俳諧だけでなく民衆が伝統的に行ってきた祭りにも着目し、民衆が日常から蜂起へと高まりを見せる際に、祭りが重要なバネとなっていたことを示したのである。
いうならば、民衆の伝統意識や民衆の文化のレベルに着目して、秩父事件を位置づけたのである。
こうした視点は、イヴ・マリ・ベルセの『祭りと叛乱』(新評論・1980年)を想起させる。共同体での祭りの構造が、民衆の叛乱と不可分に結びついていたことを示し、16-18世紀の民衆の心性を、イヴ・マリ・ベルセは見事に描いた。(原文は1976年)
森山氏は、『民衆蜂起と祭り』を書くまで、フランス史をずっと専門にしてきたとのことなので、イブ・マリ・ベルセやエマニュエル・ル・ロア・ラデュリといったフランスの歴史学者の影響を大きく受けたのであろう。
それはさておき、森山氏が描いた秩父事件と民衆の心性の問題は、僕にとって非常に興味深く、おもしろいものだった。
僕自身、こうした視点の重要性を思い、現在はタイの民衆運動を民衆の文化の視点から考えている。
それは、『祭りと叛乱』なんかを読み返してみるといつも、今でも学ぶべきものは多いなぁと思うからだ。つまり、イヴ・マリ・ベルセは、民衆の祭りの中に日常を非日常に変える大いなる”パワー”を見出し、それを共同体との関連で語った。
そして現在、新たな共同体と個人の概念や理論が模索されているが、それを民衆の持つ文化の文脈で読み解いていくことは重要であろう。なぜならば、これだけネットが広がり、国の壁を越えたコミュニティが重層的に形成されている中で、重要な意味を持つのが、経済どうこうではなく、文化や人々の心の問題だと考えるからである。
その意味で、30年前に書かれた『祭りと叛乱』や『民衆蜂起と祭り』の視点は、まだまだ色あせていないのではなかろうか。そんな思いで、タイ東北部イサーンの民衆運動の史料を眺める毎日だ。
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