僕は、バンコクのチュラブックセンター前で、朝8時半のオープンを待っていた。
どこからともなく、読経が聞こえる。
オープンと同時に並みいる人びとをかき分けて急いで本屋に入るというわけではないので、ふらりとその読経の方に向かう。
ちょうど人びとが、僧侶に托鉢しているところだった。
なんだろう?
そう思って周囲を見渡すと、牛。
物憂げに僕を見つめていた。
これは牛の命を救うことで徳を積もう!ていう、いわば放生会。
プローイ・コーといわれる。
人びとはこぞって、喜捨をする。
また、花びらを購入し、牛にかけてやる。
花びらをかけられた牛は、少し困惑気味だ。
なんともいえない、目をしている。
人間の側は徳を積むという明確な目的に従い、祈る。
しかし動物はそんなことは知ったことではない。
「なんでおれ、今日いっぱいかけられてるんだ…」
そんな風に思っているかどうかは知らないが、でもなんとなくそう見える。
それは、江戸時代に広重が描いた「深川万年橋」の亀を彷彿させるムードである。
万年橋の「万年」と亀の「万年」にかけて描かれたこの亀は、江戸時代、亀の放生が行われていたことを示すという。
どこか物憂げで、可愛らしく、そして困惑した感じを受ける。
放生する側とされる側の意識の大きなギャップ。
放生会の場の独特なムードを生みだす余地は、そこにあるに違いない。
とまあ、よくわからないことを書いたが、牛の放生会を調べていたら、放生会を実施するタイのグループがFacebook上にあるのを知った。
色々な意味で、なかなかのページだ。
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